END③ 在りし日の記憶
『えいゆーごっこだー。ぎゃあああ。ヒュドラのブレスにやられたぁあああ』
『へい……おうじー。よごれちゃうからだめですよ』
『でたな魔女め。いまこの勇者がおまえを切ってやろうぞ。えくすきゃりばーえくすきゃりばー』
『ふぇっ? あいたっ』
『あくの魔女はせいぎの勇者のひっさつわざによってやられました。めでたしめでたし』
庭には幼い少年と少女がいた。
誰もが高い価値を有していると一目で見抜ける高価な服を着る少年は汚れなど一切気にせず泥んこの中を駆け回る。彼についていく少女の衣服も少年のものに比べたら落ちるが、それでもかなりの値打ちがする代物だった。
『うぇ~ん。まりぃべるはまじょじゃありませ~ん』
『せいばい! せいばい!』
『うぇええええん』
『……なくなよー。ほら。つぎはまりぃべるのすきなおままごとやるからさー』
『わーいおままごとだー! まりぃべる、へいかだいすきー!』
『だからおれは、まだへいかじゃなくておうじだってー』
少年に無邪気に抱きつく少女。
少年は年頃の羞恥心から芽生えた照れによって、押し返そうとするが少女はしつこくしばらく離れようとしなかった。
(へいかといっしょなのも、あといちにちだけ。あしたからは、きびしいくんれんがまっている)
一流の【暗殺者】になるための最低限の訓練はこれまでも少女は受けていた。
しかし明日から待つのはまさしく煉獄の日々。一秒たりともこの温かな日常に戻ることは許されなかった。
(ほんとうはしたくない。ちょっとだけでもすごくいたいのに。まりぃべる、へいかとずっといっしょにいたい)
『わたくし、およめさんがやりたいです』
『また? ほんとまりぃべるはおよめさんがすきなんだな』
『はい。まりぃべる、しょうらいはおよめさんになりたいのです』
『そっかー。いいひとがみつかるといいなー』
『はい。だかられんしゅうで、へいかがだんなさまになってください』
『わかった……おほん。かえったぞまりぃべる』
『おかえりなさいませ。ぱるたさま。これからおふろにしますか? ごはんにしますか? そ・れ・と・も?』
『えいゆーごっこだー! あくあがあらわれたぞー』
『きゃーだんなさまたすけてー』
少女は分かっている。少年と自分はこの先関わらないことを。
王と暗部。
その繋がりは命令とそれを命を賭して実行する人形でしかない。
ゆえに少女はこの時ばかりは、叶えられない夢をごっこと称して実現する。
『わははは。まおうはほろびたー。ひめはかえしてもらうぞー』
『ぱるたさま。ひめは、あなたをしんじておりました』
『うむ。ではひめよ、おれとけっこんしてもらうぞ』
『……えっ?』
『まりぃべるひめ。わたしはあなたをずっとあいしておりました。どうかあいのちぎりをかわしてくだされー』
『……』
『うわーまたまりぃべるがなきだしたー。ごめーん』
『ち、ちがうんですへいか。その、まりぃべるはかなしくてないてるんじゃなくて……その、あんまりにもへいかのこくはくがうれしくて』
ツーと落ちる涙。
遊びと分かっていても、少年のその言葉は少女の心に深く響いた。
困惑する少年をよそに、泣き続ける少女。
『まりぃべる。きょうどうかしたのか?』
『……じつはあしたから、わたくしはへいかとあえないんです』
『えーうそだー』
『ほんとうです。まりぃべるはしばらくおうちにかえるのです』
隠し通せと父からは言われていたが、感激のあまりついヒビの入った少女の心の壁から漏れてしまった。
しまった、と今さら後悔する少女。
もし王子に話してしまったことがバレたらひどい仕打ちを受ける。少女はせめて少年が誰にも告げ口しないよう口止めしようとした。
『うちにかえるんだろ? なのに、そんなにいやなのか?』
『えーと……そのー……ちょっと、いたいので』
『そりゃいやだなー。だってまりぃべる、いたいのきらいだろ』
『……はい……でもかえらないと。かえらないとおとうさまやおかあさまが、こわくて』
『だったら、おれがここにいさせてやるよ』
『……よろしいのですか?』
『うん』
『いえ。そんなこと、できるわけないですよ』
『できるよ。だっておれ、しょうらいはこのくにのおうさまなんだぜ。いちばんえらいんだぜ……よし。じゃあまりぃべるはおれのおよめさんになれ。なりたかったんだろ?』
『――』
世界の大半が未知で溢れてるからこその、実に堂々とした答え。
しかしたとえ暗部だとしても――いや暗部だからこそどんな稚拙な妄言であれ、未来の王という立場からの言葉である以上は従わなければいけないだろう。
まさかごっご遊びによって、少女の絶望がこんなにも簡単にひっくり返るとは。
少女の心に花が咲く。
(まりぃべる、ほんとうにずっとここにいていいんですか? へいかとずっといっしょにいていいんですか?)
少女が想像するのは、大人になってその頭に王冠を被った少年の隣に立つ自分。
同じ指輪を薬指に嵌めて、国民みんなから祝福される、
やがて少年の腕の中には赤ん坊がいて――
(――わたくしがまもらなければ。へいかのしあわせをだれにもこわされないよう、だれかがへいかをもらなければならない)
自分は影でいい。
同じ光に当たらない存在でも、この世間知らずでちょっぴりお馬鹿だけど優しい少年の幸福をいつまでも守りたいと少女は決心した。
『すみません。おきもちだけ、もらっておきます。まりぃべるは、おうちにかえらせてもらいます』
『えっ? いやだよ。おれ、まりぃべるといたいよー。やだやだー』
『だいじょうぶです。おとうさま、まりぃべるはすじがいいってほめてくれました。だから、すぐにかえってこれます』
『そうなのか』
『ええ。ですから、へいか……またおあいしましょう』
スカートをつまんでおしとやかに頭を下げる。
令嬢の皮を被ったまま、この日、少女は再開の約束をして少年の元から去った。
「ちくしょう。こっちも火で塞がってる。違う道を探すぞ」
「……」
マリィベルは去っていく兵士たちを見送ってから、闇から現れる。
(どうやら陽動が成功したようです。予想通り、大人数が森に集まってきました)
いくら飛空船でも消耗戦になれば物量差で王国には勝てない。いつか発生するエネルギー切れを狙って、補給する間も与えず兵士たちが立て続けに襲ってくる。
ならばこそこの初手の段階で戦力を分散し、団を立て直す時間を長引かせたかった。
(そろそろ逃げましょう。いくらなんでもこの人数相手じゃ、正面からでは【暗殺者】では勝てない)
ギギギ
土の下に秘められていた暗部の隠し通路に、マリィベルは誰にも気づかれないようひっそりと入った。
カン……カン……
どうやら追っ手はいないようだ。自分の足音だけが、空間に響く。
(……こんな時にどうしてでしょう……昔のことを思い出すのは)
矢に貫かれた傷口を抑えながら、マリィベルが進む。
じわじわした痛みと幼き頃の記憶が頭の中で混じり合う。
(わたくしと違って、本当に陛下は昔からお変わりなく)
彼女の脳裏に、ふとよぎる先代の王の姿。
『君が、今日から任につくんだね?』
『はい。父に代わりまして、本日からわたくしが王の手足となります。王の命令ならば、この命惜しくありません』
『……悪いが、君にそこまでやってもらうつもりはない』
『どういうことでしょうか?』
『将来、暗部は解散させる』
『――』
『闇なんてものを必要ではなくさせる。誰かに一方的に負の面を背負わせはしない。いつか君も、幼き日のように息子と無邪気に手を取り合ってえるような国にしたい』
『綺麗ごとです……そんなもの絵空事です』
『そうかもしれないな。実現させるには、難題が積み重なっている。愚かな王でも、無理だとは考えられる。でも綺麗ごとというのは、みんなそれが理想だと思っているんだ。ならばなんとかなるかもしれない』
その日から本当に、バタイアタスは暗部が活動しなくてもいいよう苦心した。
ただ信頼を得るためのその場限りの嘘ではなかったのだ。
(バタイアタス様はお亡くなりになられた。だけどクラッスではなく、あの底なしに情け深いパルタ様ならばきっと言われずともその思いを継いでいるはず)
自分が不利になるかもしれないのに、村長を助けた。
殺されるかもしれないのに、自分を王都まで救いにきた。
なにも知らなかったかもしれない――いや、なにも知らなかったからこそその行為はなんの表裏もない純粋な優しさだ。
(パルタ様ならば、マリィベルは全てを捧げられます)
血が抜けて、頭が朦朧としてきた。
もうすぐ出口。
確かパルタ様たちは共和国を目指すと言っていたはず。
向こうでなにをするかは分からない。
具体的にどこへ行くかも知らないから、きっと探すのに苦労するだろう。
……でも今度こそ、わたくしはあの日の約束を叶えにいきます。
「あっ」
隠し通路を抜けた先には、集団が待っていた。
その先頭にいるのは海軍第一師団団長バルバロイ。
「まさか暗部の人間が裏切るとはな」
「……知らなかったのにどうやって先回りを?」
「貴様は知らないかもしれないが、私には風が読める。見た目は上手く隠してあるが、目に見えないわずかな穴でも風は道を通過する」
さすがは三英雄の一人。
その能力は主戦場の海でなくても、獣以上の探知力を有していた。
「飛空船を追って戻ってきてみれば、まさか先にこんな鼠狩りをさせるとはなクラッス王」
「……」
「さっさと貴様は片付けて、私はやつらを追うことにする」
「……ッ!!」
チャキ
マリィベルは短刀を構える。
歯を強く噛み締め、体勢を落とす。
バルバロイはわずかに目を丸くさせたが、すぐに闘志を溢れさせる。
「団長の手を煩わせる必要はありません。ここはわたしたちが……」
「黙れ。全員、手を出すな」
(ここでこいつを殺さねば、パルタ様たちに増えた兵士たちが迫る。それだけは絶対にさせない!)
それにもしバルバロイを討つことができたのならば、確実に指導者を失った部下たちの動きは鈍くなる。
マリィベルは混乱に乗じて逃げ切れる可能性はグッと上がる。
マリィベルは唯一、自分が助かる道を突き進むことにした。
ビシュッ
闇と影を行き来してからの背後からの奇襲。初見でこれを躱せた相手など今までいなかった。
「……ガハッ」
「陸ならば私に勝ち目があると思ったか?」
シャキン
バルバロイは裏切者に刺した三月刀を鞘に戻す。
血の池に浸かりながら、マリィベルはバルバロイたちを見上げる。
縄で手首が縛られる。
捕まった後はどうなるのか分からない。けれど最終的に命がある確率は〇だ。
全てを悟りつつも、マリィベルはもうもがくこともできない。
ただ彼女は冷たくなっていく体温を感じながら、夢うつつの最中かなのようにわずかに口を動かした。
「……へいか……またお会いしましょう……」
これで三章 王都脱出編の終了です
よろしれけば感想もしくは今後作品をより良くするためのアドバイスなどを送っていただけると幸いです。