小説「0と1」
0ではない。少なくとも1ではあるだろう。
私は数学がきらいだった。計算が苦手なのではなく、数学の平坦な世界がいやなのだ。世界観とはイメージだ。それがないのが、私には歯がゆかった。
こんなことを言うと、理数系の人達に怒られるかもしれない。バカにされるかもしれない。しかし、しようがないことなんだ。
なぜ、マイナスとマイナスを掛けたらプラスになるのか、分数を分数で割っているのに、そう、割っているはずなのに数字が増えるなんて、まるでマジックショーを見ているみたいではないか。マジシャンが言う、「今からこのコインを増やしてみせましょう」まったく可笑しな話だ。ネズミ講じゃないんだから。
小学生の頃、先生になぜそうなるのか、と聞いたことがあったが、なに、そう決まっているんだ、それがルールなんだ、と軽く流されたのを覚えている。
特に0に対する疑問は深まるばかりだった。0とはなんだろう。目にも見えない、触れることもできない、まるで何もない「無」のようだが、実際に存在しているのが不思議でならない。
私は0ではない。少なくとも1ではあるだろうと思っていた。学校でのいじめ、引きこもり、就活の出遅れ、そして失敗、挫折。それでも「無」ではない。1はあるはずだ。私は生きているのだから。
社会には、マイナスが溢れている。プラスももちろんあるはずだが、よほど目が良くないと探すのが難しい。
私はある日、生きるのが辛くなり、親にもう無理だ、と泣きついてしまったのだが、あんたは本当に、一体そんなんでどうやって生きていくんだい、と返されただけだった。
私の中にマイナスが加算された。
別にこっちだって生きたくて生きている訳ではないのだ。生まれた流れで、1のままなのだ。なに、それなら0でもかまうもんか、0だって存在しているんだ、それが社会の決めたルールなんだろう?
社会にはイメージがない。平坦だ。皆単調に生きている。なにがマイナスとマイナスを掛ければプラスになるだ、ふん、下らん、とやけになるも、後日、私は内定を勝ち取ったのだった。
世界は不思議だ。いつのまに私はプラスになっていたのだろうか。考えても分からない。だからやはり、私は数学が嫌いなのだ。
0ではない。0になにを掛けても割っても0は0だ。私は生きている。それだけで充分じゃないか。