(1)-1 概要
トロイア戦争開始から10年が経とうとする頃、『イーリアス』の物語は始まる。前述の通り、その戦争の発端などといった状況説明はほとんどない。そのあたりは、すでに聴衆にとって当たり前の前提だったのであろう。以下に、開戦までの経緯を簡単に述べておく。
三柱の女神(ヘーラー、アテーナー、アプロディーテー)が美を競うため、トロイアの王子パリスに判定させるが、美女ヘレネーを与えると約束したアプロディーテーを選ぶ。これによってパリスはヘレネーをスパルタ(ラケダイモーン)から略奪してしまう。これに対してヘレネーの夫メネラーオスは兄のアガメムノーンとともにギリシア各地から軍勢を集め、トロイアへと攻め寄せる。
こうして開戦した戦争の末期に近い時期の出来事が『イーリアス』において語られる。『イーリアス』の後、アキレウスの死や木馬の計があり、トロイアの落城、そしてその後の物語へとつながる。
『イーリアス』のテーマは冒頭で語られているように、「アキレウスの怒り」である。名誉に高い価値を置いた世界で、その怒りが屈辱を挽回する英雄的活躍を呼び、収められるまでが語られる。