(2)比喩
ホメーロスの比喩はかなり独特で、一言で表すと「数行に渡るほど長く、異様に具体的」であることが特徴となっている。
「ともにその胸中に燃やす戦意は凄まじかったが、それはあたかも海を行く舟人たちが、よく磨かれた樅の櫂で波を撃つにも倦み疲れ、疲れて手足も萎えた折、待ち望んだ順風を神が送られる時にも似て、二人は彼等を待ち望むトロイエ人の前に現れた。」
――イーリアス、第七歌
その数については『イーリアス』が『オデュッセイア』を上回るものの、そもそもどちらも多いので、物語の展開上の都合による差と考えられよう。『イーリアス』では、特に戦闘の場面で(叙事詩全体の分量としてそういう場面が大部分を占めるのだが)よく使われている。『オデュッセイア』は、それに比べると様々に場面が転換し、行動や事物を直接描写している(する必要がある)ことが多い。少なくともホメーロス的な比喩の対象にはなりづらい場面が多いのである。
『イーリアス』では、家畜を襲い、狩人に追われる獅子、といった比喩がたびたび現れる。当時はギリシアにも人々の身近なところにライオンがいたのか、ということだけでも驚きだが、このように、叙事詩は当時の風俗を数多く伝えてくれる。閑話休題、戦闘場面における勇士の戦いをそのように例える比喩がかなり多いが、大差のない表現が頻繁に使われるのは松平千秋の言うように「平凡陳腐」という誹りも免れ得ないものの、その中でも詩人の技巧が発揮されるものもある。
「一座の中でペレウスの子は、先導となって激しく哀哭し、敵を屠る両の腕を友の胸に置いていつまでも呻いてやまぬその姿は、鹿狩りに出た狩人に、深い森の茂みから密かに仔獅子を奪われた、たてがみも見事な獅子のよう、その後からかえって怒り悲しみ、男の足跡を辿りつつ、どこぞで見つけることができぬものかと、谷から谷へ渡ってゆく、激しい怒りに駆られつつ――その獅子にも似てアキレウスは、ミュルミドネス勢の間で激しく呻きつついうには、(……)」
――イーリアス、第十八歌
ここではアキレウスが、トロイア軍のヘクトルに殺された親友パトロクロスの遺体にすがって嘆き悲しんでいるが、この比喩によって、後にヘクトルがアキレウスに追い回されることを予告しているようである。
このような具体的な比喩は、まさに聴衆にその光景をまざまざと見せ、その場に身を置かせたことであろう。生活の中で目にしたり実際に体験する場面のような言葉が比喩として使われるのは、一見して奇妙にも思えるが、次項のアポストロペーと同じく、聴衆を物語りに参加させることに、効果的に働いたと思われる。