(1)定型表現:フォーミュラとエピテトン
すでに述べたように、ホメーロスの叙事詩においては、全く、あるいはほぼ同じ表現(フォーミュラ)が繰り返し現れる。食事を終えたときには「飲食の欲を追い払うと」、相手の発言に驚いたり怒ったりすると「何たる言葉がそなたの歯垣を漏れたことか」、夜が明けた場面では「朝まだきに生まれ指薔薇色の女神が姿を現すと」、といったもので、かなり頻繁に使われている。その他にも、「物の具がカラカラと鳴る」、「そなたの言うことはいちいちもっともだ」など、様々な形が繰り返される。
また、度々使われる表現としてもう一つ、エピテトンがある。これは人物の名前などに付けられる枕詞のような言葉で、「俊足のアキレウス」「金髪のメネラオス」「眼光鋭きアテナ」といった形で使われる。特定の個人(神)だけでなく、ギリシア軍の兵士たちを指して「脛当て良きアカイア勢」、船について「均整取れた船」などとして使われることもある。その範囲は対象および表現のどちらも幅広く、言及される人物、事物の相当な割合に用いられている。
このような定型文は、韻律を整えつつ物語っていき、それを記憶するための助けにもなったことであろう。また、ホメーロスの段階ですでに伝統的な表現として知られていたものであったらしく、その意味が定かではないものもある。ヘーラー(ゼウスの妻である女神)については「牛の目の」、アテナについて「フクロウの目の」を意味する言葉がエピテトンとして使われているが、単に美貌を表すものとなっているようである。そしてこういった表現は、現代語への翻訳においても難しい点となっている。ホメーロスが直に接していた聴衆がトロイア戦争の伝説について知っていたように、これらの定型表現も、全く自然なものとして聴いていたのであろう。しかし二十六世紀もの時間を経て、そして言語の隔たりを越えて読むためには、特別に工夫が必要になってくるのである。
※叙事詩の引用は、特記しない限り松平千秋訳による。