第7話 名も無き城砦攻防戦
中央歴105年10月2日午前 東大陸西端・瑞穂国占領地、名も無き城郭
今、成光の手元には、石鷲長誠が発した2通の書状がある。
1通は改めてこの地の統治権を与えて城主となることを認め、真道家の郡代に任じるというもの。
もう1通は、この地において自由裁量を許可し、更には叙爵を含む北王派との連絡交通を認める上、勝手次第の権限を与えるというものだ。
瑞穂国内においては凄まじい意味を持つ書状だが、その領域は大陸に限定されており、悪用や曲解を恐れたのか、瑞穂群島に権限が及ばないことが何故か明記されている。
故郷に錦を飾ることは当分出来そうにないばかりか、下手をするとこの書状の効果で一生瑞穂の地は踏めないかも知れないのだ。
しかしながら、勝手次第とは素晴らしい。
正に瑞穂侍の真骨頂、自分だけが再び戦国時代に戻されたようなもので、しかも戦国時代と違って一応瑞穂国という後背地を安全地帯と支援先として選択することが出来る。
「厄介なことになってしまった……けども。要は考えようか」
つぶやく成光の前には、遠目に浮塵子の大群の如き軍兵がひしめいている。
その集団が、ゆっくりとうねるように移動していた。
「さてさて、ようやく仕掛けて参ったぞ」
思いに耽っていた成光を、忠綱の言葉が現実に引き戻す。
その言葉に顔を上げてみれば、確かに遠方の平原からこの砦に続く山間の小川に沿って作られた狭い道を、大章兵が続々と登ってくる様子が窺える。
「まだここまでは距離もありますが、やっぱりかなり遅いですね」
「ここから平原に向かう時はそうでもありませんでしたが、退却時にあの道を通ってここへ来るのは随分と苦労させられましたから」
結希の言葉に成光は苦笑で応じる。
大章帝国へ進軍する時は当然ながら統制や規律も保たれており、進軍はそれ程苦にもならなかったが、退却時はてんでばらばらに皆が狭い道に殺到したので、上り坂である事と相まってかなりの混乱を来した。
今こちらに向かってきている大章兵達は当然統制が取れているので混乱はしていないが、狭い道行きと上り坂、左右の切り立った山肌に戸惑いの気持ちがあるのか、その足は極めて遅い。
「しかし、北王殿下からの情報であれば、敵の犀慶将軍は短気短慮であるとのことでしたが、慎重ですね?」
「まだ瑞穂軍が完全に撤退しようとしているとは掴み切れていないのであろう。単純にこの地は大軍の移動に適さぬということもあろうしな」
成光のふとした疑問の言葉に、兜の緒を締めながら忠綱が応じ、更に言葉を継ぐ。
「まあ、敵の想定通りであれば未だ瑞穂軍は5万からの精強な兵を抱えているから、3万の兵しか持たぬ犀慶将軍は迂闊にここを攻められまい。本来は足止めであろう」
「なるほど、それでまずは様子見ということですか……私たちは500程の小勢ですが、敵にはまだ瑞穂軍5万の姿がちらついているのですね」
納得した様子の成光の肩を無言のまま笑顔で叩く忠綱。
「しかし北王殿下も律儀ですねえ……自分達も北宣府に閉じ込められて大変でしょうに」
十河結希の言葉に、成光が応じる。
「そこは盟約を守ろうとしてのことだと好意的に考えましょう。まあ、北王殿下からすれば、私たちがここで粘らなければ自分達も終わってしまうわけですから、何としても陥落は避けて欲しいとの切実な思い故の行動でしょうけども」
「まあ緒戦やし、ここで文句の付けようのない勝ちを収めてやな、わいらの武名を大いに高めて瑞穂軍ここにありと存在感を示しちゃらなあかん。存分に馳走しちゃらいしょ」
横から現れた義武が、不敵な笑みをいつもどおり浮かべて言うのに頷き、成光はしっかりと口元に力を込めて頷くと、声を張り上げる。
「各々方!持ち場につかれよ!敵方大章帝国は東王殿下配下、犀慶将軍指揮の兵3万。これより迎え撃たん!」
一方成光らが籠もる砦の先。
平原と半島に連なる山地の境目に、東王軍が展開している。
東王家の紋章である朝日を模した旌旗が翻り、同じ紋を染め抜いた布で張られた天幕の前で、犀慶将軍は続々と半島の山間道を登り上がる自軍の兵を苛々した様子で眺めていた。
山道の周辺は木々が生い茂り、道は細く長いものが川沿いに1本だけ、先の砦まで続いている。
ここから見るに砦の周辺、特に自分達から見て正面は木々が切り払われて見通しがよくなっている。
犀慶将軍は大柄ででっぷりとした身体を大章風の金や銀をふんだんに使ったきらびやかな鱗鎧で包み、虎口を象った黄色の兜を被り、赤く長い外套を首元で止め、腰には分厚い直剣を差している。
周囲の将官達も犀慶将軍ほどではないが、きらびやかで周囲に栄える軍装をしている。
そして彼らの率いる兵は、地味な青銅製の粗末な札を重ねた鎧を身に付け、矛と青銅の枠で止めた木製の大盾を手にし、首元には白い木綿で出来た襟巻きを着け、頭には厚い木綿で出来た兜を被っていた。
割合軽装ではあるが、今回のような山間地には向いている兵装だ。
その後方からは同じ軍装で弩を装備した兵が続いている。
「もっと早く行けんのか?」
「道が狭く、周囲からの奇襲を警戒もせねばなりません。加えて相手の砦はまだかなり先で御座います」
将軍の問いに、配下の将官の1人が淡々と答える。
確かにその言は尤もであり、落ち度は無いものだ。
しかしそれでも犀慶は苛々した様子を隠そうともせず言葉を発する。
「大砲は持ち上がれぬし、馬も使えん。本当に山あいのこのような地を攻め立てねばならぬのか?」
その言葉を聞いた配下の将官達が顔を見合わせる。
瑞穂軍の守る砦は守りが堅いことは言わずと知れており、それはここから見るだけでも十分理解できるほどだ。
それでも砦を攻め落とすと決めたのは、他ならぬ犀慶将軍その人。
将官達が攻略は困難である事を説明し、あるいは忠告したのを無視して攻めることを決めた本人の言動とは思えない。
「北宣府を東王殿下の命令で清鈴智将軍が3万の兵をもって包囲しておりますが、瑞穂軍の逆襲があると挟撃されてしまうこととなります」
「ここで瑞穂軍を監視するだけでも良かったのでは?清将軍からはそう依頼されていたと思うのですが……」
「ふん!あの雌狐の鼻を明かしてやろうと思ったまでよ!」
将官達の言葉に、心底面白くなさそうに言う犀慶将軍。
北宣府を現在包囲している清鈴智は女性であるが、その武技武略を東王に買われて将軍にまで取り立てられた傑物だ。
犀慶将軍としてもその戦術的手腕は認めるところであるが、自分がその風下に立てられるのは面白くない。
今回の戦いも犀慶将軍は脇役である事は明らかで、兵数は同等とは雖も東王の主眼は北宣府の攻略を命じられた清鈴智将軍にある。
犀慶将軍が命じられたのは清鈴智将軍の助力。
そしてその清鈴智将軍から依頼という形で命じられたのは、北西の半島に撤兵した瑞穂軍の監視と足止めだったのだが、それを命じられた当の本人が面白く思っていないというわけである。
「東王殿下もあのような胡散臭い女を手塩に掛けるなど物好きな……」
犀慶将軍はぐっと拳を握り、歯を剥きだして言う。
「瑞穂の蛮人共などさっさと南の海へ追い落とし、わしが雌狐など出し抜いて北宣府を攻略してやろうぞ!さすれば東王殿下もあんな雌狐など役に立たぬとお気付きになるであろう!!」
「ようやくのお出ましですか」
「随分と慎重な者がおるようだなと思えば、単に山道に難渋しただけか」
成光の言葉に静かに応じた忠綱は、眼前の状況を確認する。
丸1日掛けて慎重な進軍をして来た犀慶将軍率いる東王軍は、この日ようやく成光らの籠もる砦の麓までやって来た。
本陣は少し後ろに控えているが、先陣の5千余は既に城の麓に達している。
総勢3万といったところだろうが、狭隘な山間にあって大兵を移動させるのは難しいと妥当な判断をしたと見え、ここまでやって来たのは全部で1万2千ほど。
残りは半島の付け根に当たる平原で留守居をしている。
そして、先陣の到着と戦列の調整が終わると同時に銅銃が城へと撃ち込まれた。
休憩や戦闘前の口上を一切せずにいきなりの攻撃。
これだけで敵将犀慶が強い攻撃性を持った将軍であると分かる。
大章帝国でよく使われる台車型の火砲は、狭隘な山間では使いづらいと判断したのか、帯同していない。
その代わりに三眼銃や銅銃が多数前面に配備され、成光らが籠もる砦に五月雨式に撃ち込んで来ている。
鉛弾や石弾が砦の粗末な石積みや大盾、垣盾を裏側に括り付けた壁に当って音を立てるが、山頂付近の砦に打ち上げる形になっていることや未だ距離がそれなりにある事で威力はそれ程でもなく、被害は出ていない。
麓で戦列を組み、一斉に射撃を繰り返す様はなかなかの猛攻振りではある。
白煙が次々と噴き上がり、閃光が時折きらめく。
時折弓矢や弩での射撃が交じり、喊声が上がる。
恐らく遠目には、もっと言えば犀慶将軍の本陣からは繰り返される射撃音と共に大規模な射撃戦が行われているように見えるだろう。
しかし、成光は一切の反撃を禁じているので、それこそ遠目には麓からの射撃に射竦められて、砦の中で身を縮こまらせているかのように映っていることだろう。
やがて射撃での制圧効果ありと見たのか、麓の軍が銃兵と槍兵を矛兵を入れ替え、山肌を砦目指して登り始める。
それを見ていた成光はにんまりと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「堀も切れず、城壁もなければ当然銃眼も無い。全く城としては嘆かわしい造りですね」
「はははは、言葉と意味が裏腹だな。しかしこの城ならではの戦いが出来るというものだろう?」
成光の言葉に、忠綱が面白がるように言うと、義武がへっと鼻で笑ってから口を開く。
「御前も御前の親父殿と一緒で悪辣やな。見た目は気のエエ若者やのによ、そんなとこもそっくりやいしょ」
犀慶将軍配下で最前線を任された将官の1人、荘禎高は、不気味に静まり返った山頂の砦を見ながら兵を鼓舞していた。
「進め進め!蛮族共を叩き出すのだ!」
檄に応えて気勢を上げる兵達を前に、荘禎高は腑に落ちないながらも自分も前線へ出る。
「ううむ、あまりにも抵抗が少ない……どういうことだ?」
「猛烈な射撃に恐れをなしたのではありませんか?」
副官が言うものの、いまいち釈然としない者を感じている荘禎高は首を捻りながらもどんどんと山肌を登る兵を増やしていく。
その最中にも関わらず、砦からは石の1つ、矢の一筋すら飛んでこないのだ。
北王軍の実質的な主戦力として一年あまりの間、大章帝国北部でその精強振りを大いに発揮した瑞穂軍であったが、劣勢に陥ると脆く、敢えなく兵を退いてしまった。
その剛強さと脆さの同居する有様に、大章国の有力者は不可思議なものを感じていたが、所詮は異国の理解しがたい者達という片付け方をしていた。
今正に、この砦攻めにおいてもその理解しがたい部分が生じているのかも知れない。
北宣府を救援するにしても、自分達の拠点を守るにしても、あまりにも動きがなさ過ぎるのだ。
そうは言っても、以前自分達がしたように重要拠点を包囲している際に背後を突かれてはたまらないので、この地に犀慶将軍配下の軍が配置されたのだ。
犀慶将軍はどうもこの配置が不満の様子で、今回の北宣府包囲戦の指揮官である清鈴智将軍の鼻を明かそうと考えている様子。
自分達は上位者の指示に従うだけだが、最初は少し危ういものを感じていた荘禎高。
しかし、今この無抵抗な粗末な砦を見て考えを改めつつある。
「やはり、瑞穂の者達は大章から総撤退をしているのではないか?」
「確かに、全く抵抗がありません。ひょっとしたら既に砦も放棄されているのかも知れませんね。旌旗1つ立っていない」
荘禎高のつぶやいた独り言に反応した副官。
その言葉に釣られて砦を見ると、確かに瑞穂国の将兵がよく掲げている吹流し型の旗や竹竿に付けられた縦長の旗が全く立っていない。
そんな無人とも思える砦に、麓から鈴生りの兵達が今、正に取り付こうとしている。
「これは……」
そこまで言いかけた荘禎高の目の前で、砦の壁が崩壊した。