表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/24

第6話 石鷲長誠の置き土産

 中央歴105年8月10日、半島の付け根


 北宣府近郊の戦いにおいて北王軍と分かれて離脱し、拠点まで撤退していた石鷲長誠の元に、北王からの使者が到着した。


「ふん、軟弱の女王おんなおうが何ぞ文句でも付けに使者を寄越しでもしたのか。相変わらず悠長でのんきな者どもじゃ」


 流石に戦装束は解いていないが、鎧や兜は外した状態で使者を引見する石鷲長誠。

 他の諸将も似たり寄ったりの格好で、瑞穂軍主力にとって、大陸での戦はもう終わったことになりつつある事を如実に示している。

 石鷲家の家紋が染め抜かれた大布で陣幕こそ張られてはいるものの、武装した兵もまばらでどちらかと言えば移動の準備に大わらわといった風情だ。


 使者が察するまでもなく、これは撤退の準備。


 むしろ隠す気も無い石鷲長誠らは、使者が来訪しても構わず指示を出し、瑞穂から乗ってきた大船にどんどんと荷物や兵を乗せている。

 そこに当然ながら軍装のままの北王の使者が案内の兵を前にして現れた。

 使者は石鷲長誠らの格好に少し驚いた様子だったが、平静を装って包拳礼を贈りつつ口を開く。


「石鷲長誠将軍にありましてはご機嫌麗しゅう……」

「機嫌麗しゅうなどないわ。早う用件を申せい」


 使者の言上を遮り、面倒くさそうに手を振りながらぞんざいな態度で言う石鷲長誠に、使者は一瞬口ごもる。

 今は一介の使者を務めているとは言え、高位にある大章国の武官である。


 如何に同盟軍の総大将とは言え、その態度は不遜に過ぎる。

 本来ならばそれなりに丁重に迎えなければならない相手であるはずが、最早戦は終わりで今後大陸と関わる事もないと思い定めている石鷲長誠にとって、彼は最早丁重に扱うべき相手ではないのだ。


「早う申せ!わしは間もなく瑞穂へ帰るのじゃ!」

「はっ、ははっ、されば……」


 苛々を爆発させて怒声を上げた石鷲長誠に思うところはあるものの、役目は果たさなければならないと我慢を重ねて使者が口上を述べ始める。


「今までの支援に御礼を申し上げますと共に、此度の戦は武運拙く痛み分けと成申したが……」

「やかましい!早う申せと言うておろうが!」


 痛み分けという言葉が気に入らなかった石鷲長誠が青筋を立てて怒声を放つと、周辺の武将達がはやし立てる。

 使者は三度我慢を重ねて更に頭を下げると、最早遠慮は無用と本題に入った。


「されば……石鷲長誠様ら瑞穂の方々が拠点となされたこの地の処遇についてですが、我ら大章国に返還頂きたい」

「何?返還とな?」

「はい、返還頂きたいのです」


 使者の思い掛けない言葉に、大名や部将達が唖然とする。

 この地は無主の地であり、そうであるからこそ瑞穂国が拠点を設けたのだ。

 その辺は本気で大陸進出を考えていた真道長規が抜かりなく調べさせており、間違いは無い。

 しばらく唖然としていた石鷲長誠だったが、次第に怒りの感情が生じてきた。


「馬鹿を申せ。ここはそもそもが無主の地、その為に我らはここを拠点に北王殿下を支援して参ったのじゃ。その際に我が瑞穂国のものとなっておるし、既にここは所領として与えたわ。取り消せぬ。今更自分達の領域と申すのは慮外のことであろうが」

「それは困り申す。我らもこの地は我らの大恩人に是非とも授けたいのです。その者は先頃の大戦で我らを救って下さった者でして……」


 しかしそれまでのへりくだっていた態度は何だったのかと思わせるような、使者の物言いに、三度石鷲長誠は声を荒げる。


「くどい!この地は我らのものよ。その大恩人とやらの恩賞には北王殿下の領地の一部を宛てれば良かろう。斯様なことは議するに値せぬ」

「では、石鷲長誠様はこの地はあくまでも瑞穂国に属するとおっしゃいますか?」

「無論のこと。わしらが裁量し支配した領地をわしの配下に与えた。故にここは既に瑞穂の地よ……重ねて言うがここは無主の地であった。お主らの物ではない」

「されば、この所領とやらはどなたにお預けなされますのか?」

「そ、それは……」


 成光があの書状を手にしてこの地を所領として得たことを、石鷲長誠は知らない。

 それを知ってか知らずしてか、使者が言う。


「まさか放置されるのですか?であれば我らに御返還頂きたい」

「うぬっ、まだ言うか!この地は無主の地であったのを我が接収したのじゃ!わしが所領として与えたのじゃから、その者がこの地を治めるの当然!言われるまでも無いわ」

「ではそれはどなたですか?」

「むう……」


 再び成光のことを知らないために口ごもる石鷲長誠。

 そこへ天幕を捲って下座から現れた水軍将の栗須弘盛が声を上げた。


「口上中失礼致す……今後この地を治めるのは黒江成光と申す者でございます」

「おお!その名は聞き及んでおりますぞ。北宣府近郊の二回目の大戦で素晴らしき戦い振りで騎馬部族を撃破し、我らが北王殿下をお守り下された者共の棟梁ですな!それは素晴らしき采配。流石は瑞穂の総大将でございます」


 栗須弘盛の言葉に一旦振り返ってそう言うと、使者は石鷲長誠に笑顔で向き直る。

 しかしその事実を今、しかも真道家と相当因縁のある黒江家の者が手に入れたことを知り、石鷲長誠は苦虫をかみ潰したような顔で言う。


「う、うむ。奴に与えた。ま、間違いは……ない」


 使者はそれを聞き、それまでの不承面を改めて満面の笑みで言葉を継ぐ。


「それは重畳、これでこの地を悪党共に掠め取られる心配は無くなり申した。感謝致します……それで、ものは相談なのですが」

「何じゃ」


 栗須弘盛が苦い顔をしているのが気になったが、それよりもさっさと使者を追い返して一刻でも早く撤退を始めたい石鷲長誠が応じると、使者は口を開いた。


「その、黒江成光殿ですが、我が大章国の官爵を授けたいのですが……」

「うぬっ?」

「僭越ながらそれはお断り致す。我が瑞穂の侍は主君からのみ官位役職を授けられることになっております。お気遣いは大層有り難く存じますが、その者に代わってお断り致す」


 驚く石鷲長誠を余所に、栗須弘盛が横の自席に着きながら応答する。


「それは如何にも残念、やはりご本人に直接お話ししたところ、そう仰っておりましてな。それでもどうしてもと言うのであれば総大将の石鷲長誠様に言上して欲しいとのことでして……」


 使者の言を聞きつつ石鷲長誠はしばらく思案した後、ゆっくりと言う。


「いや、この地の領主に限っては……異国の官職を受けて良い事にしよう」

「石鷲殿!?」


 驚く弘盛に石鷲長誠は意味ありげな笑みを向ける。

 他の部将達は興味深そうに2人の遣り取りを見つめ、使者はまた無表情に戻った。

 そんな周囲の反応を余所に、石鷲長誠は得意げに言葉を継ぐ。


「いや、良く考えてみられよ栗須殿。この地に居残るその黒江成光とやらは、大章の北王殿下と連携するためにこの地に居残るのじゃから、大章の官職を受けておいた方が何かと便宜が図りやすかろう。そうではないかな?」

「お言葉ながら、黒江家は瑞穂においては我らと同格の真道家直臣。その直臣と配下の者を置き捨てにするばかりか、異国へ売り渡そうと仰るのか?」

「失敬な!誰が置き捨てになど……そうではない、栗須殿。あくまで便宜を考えてのことじゃ。使者殿のおる前で心苦しいが、我らが退いた後、残念なことにしばらく瑞穂はこの地に兵を出せぬ。彼の者には現地で頑張って貰う他あるまい。その為にも北王殿下から官爵を授かっておった方が都合が良かろう?」

「詭弁ですな」


 ぴしゃりと言い放った弘盛に、長誠は怒りの表情で言う。


「詭弁などではないわ!もう良い!わしの権限で黒江何某くろえなにがしには、この地において勝手次第を許す!書き付けを用意せよ」


 直ぐに右筆が書状を用意し、長誠が花押をしたためて書状が用意された。

 それを見ていた弘盛はため息をつく。

 勝手次第とは領地を勝手に増やしても良いし、増やした領地は自分の判断で処分や統治をして良いという、臣下に与えるとしては最大の権限だ。


 本来は石鷲長誠に与えられるような権限ではなく、真道長規その人だけが配下に与えうる権限を持っているはずだが、石鷲長誠はその真道長規から大陸出征に関する論功行賞の権限の内、瑞穂国内に影響の無い財貨領地に関するものを全て与えられている。


「勝手次第とは大きく出ましたな。宜しいのですかな?」

「ふん、地侍如きがわしらと同格などと片腹痛いわ。如何に武功を挙げようとも所詮は卑しい地侍、虫のような者如きに何が出来ようか。呉れてはやるが勝手次第、やれるものならやってみよ」


 呆れを多分に含んだ弘盛の言葉に、蔑みを乗せて応じる長誠。

 それを北王配下の使者はじっと見つめていたが、その書状が運ばれていくのを見てから再度包拳礼を贈って口を開いた。


「この地は黒江成光殿が瑞穂国の領土として治め、我ら北王殿下との遣り取りは黒江殿が自由にして良いとの理解で宜しゅうございましょうか?」

「うむ」

「では、これで全ての問題は解決致しました。私は失礼致します」


 鷹揚に頷く長誠をちらりと見た使者はそのまま踵を返し、案内の兵に先導されて陣を出て行く。

 その姿を見送り、苦い顔のままの弘盛を余所に他の武将が言う。


「てっきり撤退を引き留めに来たものとばかり思っていましたが……」

「ふん、最早瑞穂は当てにせぬとの当てつけであろう。不愉快じゃ」


 長誠が使者の小さくなった背中を憎々しげに見つめながら吐き捨てると、書状を認めるべく近習が持参した筆を執るが、ふと思案顔に変わる。


「ふむ、この地に国名などをつけねば具合が悪いか……では」


 サラサラと書付けに記した地名は、八重。


「やつえ、やのえ、はちのえ……それとも、やえ?ですかな」

「ふん、わしの意はハエじゃ。まあ残された者がどう読もうとも勝手じゃがな」


 さすがの意味に絶句する諸将を余所に、いやらしい笑みを浮かべてそう言う石鷲長誠。

 手早く気の乗らない様子で書状を書き終えてから更に言葉を継ぐ。


「最早一刻の猶予もならぬわ。不要なモノをこの地に残し、さっさと瑞穂へ帰るぞ」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ