言葉を話す化物
「オ゛マエ゛、ツ゛ヨイ゛、シモベナ゛ル、ソ゛レ、ニゲル」
突然人の言語を発した一際大きな個体に驚きつつも、冷静に言葉を反芻してその意味を考える。
「私があなたの僕になったら二人を見逃す、ってこと?」
「ソウ゛ダ、オ゛マエ゛、ウ゛ム、シソン、タ゛ク゛サン、オ゛レ、オウ゛サマ」
そう言って、自身を王と名乗ったゴブリンはニチャリと笑った。
ゴブリンの王の言葉を理解した途端ナナシの全身に鳥肌が立った。
「無理、そういうの無理、ほんと無理だから」
彼女の言葉の意味こそ理解出来なかったが、何となく否定している事を理解したゴブリン王は、軽く片手を挙げて前方へ振り下ろした。
すると、ゴブリン王の後方から放物線を描いた矢がナナシ達へと斉射された。
ナナシならこの程度の攻撃はどうとでも出来るが、常人であるルークとフランは当たりどころが悪ければ即死すらあり得る。
その事を危惧した彼女は二人を守る為に覚えたての魔法を彼等に展開した。
「ナナシールドっ!」
再び矢が飛んで来た事に気付いたルークとフランはお互いを庇い合う様に抱き合い、目を瞑った。
しかし、いつまで経っても自分達を恐怖に陥れた弓矢特有の風切り音が聞こえてこない。
それどころか自然の喧騒すら聞こえてこない事を不思議に思った二人が恐る恐る目を開けると、そこには一片の光も届かない闇が広がっていた。
それは矢が二人に到達するよりも一瞬速く展開された漆黒のベールが二人を包み、闇の聖域にて守護された事を意味していた。
「セーフ! っと、あぶなっ」
魔法が間に合った事に安心する間もなく、自身に矢が降り注いで来た。
彼女は咄嗟に顔を庇う様に両腕を合わせた。
「いたたっ」
彼女に矢が刺さる事は無かったが、矢が当たった箇所からは少しだけ血が出ていた。
「意外と痛いし……って、あーもう鎧に刺さってるじゃん……」
斉射が止むと、彼女は小言を言いながら鎧に刺さった矢を雑に抜いた。
「グギギャッ!」
矢が通用しないと分かったゴブリン王は、側近の二体に「行ってこい」とばかりに声を上げた。
王の命令を受けた二体の側近は鉈の様に湾曲した剣を振りかざし、ナナシへと襲い掛かった。
「む……少し、本気でいくよ」
ポツリと呟いたかと思えば、抑えていた魔力を一気に解放し、目にも止まらぬ速さで二体の間を駆け抜け、ゴブリン王の目の前に立ち塞がった。
この時、彼女は態度にこそ出さなかったが、ルークとフランに早く治療を受けさせなければ、と少し焦っていた事で力の調節を誤り、無意識に悪魔の姿へと戻ってしまっていた。
ナナシを見失った側近達は後ろを振り返ろうとするが、何故か体がいう事をきかずに膝を突いた。
その少しの振動で首がズズッ、とズレたかと思えば彼等の首はそのままゴトリと草むらに落下した。頭部を失った体は重力に引かれ、崩れる様に地に伏した。
目の前で見ていたゴブリン王でさえ、何が起きたのか把握出来なかった。
さっきまでいた人間が消えたと思えば、目の前に禍々しい角を持った威圧感を放つ化物が立っていたのだ。
「グギャァアアアアアア!!」
彼は自身の理解の及ばない存在に恐怖を覚え、防衛本能から反射的に振り上げた拳を目の前の化物に叩きつけた。
ドオオオオオン!
王を冠するゴブリンの一撃は伊達ではない。
叩きつける様に放たれた拳はブオンッ、と大気を撓ませ放たれた必死の一撃、その拳を風が追いかけ、少し遅れて風圧が周囲を襲った。
ゴブリン王には手応えがあった。あったのだが、それは今まで感じた事のない、えも言えぬ感触だった。
ある時、彼が気まぐれに自身の部下であるゴブリンを殴りつけた時は何の抵抗もなく一瞬で地面の染みとなったはずだったが、しかして今は何かが拳に触れている感覚があった。
もはや彼は一時たりとて自身を脅かした存在がどうなったのか気が気でなく、はやる気持ちを抑えきれなかった。
風が止むや否や、振り下ろした拳の先を注視した。
しかし、そこには化物が軽く片手を挙げ、小さな掌でゴブリン王の拳を受け止めている姿があった。
「……」
ナナシは何事も無かったかの様に巨大な拳を軽く押し返した。
一方、ゴブリン王は予想だにしなかった力に押され尻餅をついた。
それは圧倒的な力の差がある証左であるが、彼はその事実には気付かず、初めてついた尻餅に驚き、ただ呆然としていた。
「ギギッ! ギギャァアアアア!」
我を取り戻したゴブリン王は初めて受けた屈辱に、先程までの恐怖を忘れ、怒り狂った雄叫びを上げながらナナシへと躍り掛かった。
しかし、そう来る事が分かっていたとばかりに、彼女は既に右手を引いていた。
ドパンッ!
次の瞬間、引き絞られた矢が放たれる様に、いつの間にか繰り出されていた拳がゴブリン王の腹を突き破り、巨大な風穴を開けていた。
大量の出血と主要な臓器を失った事で、ゴブリン王の体からは瞬く間に力が抜けていった。
巨体が膝をつき、支えを失った身体は前のめりに倒れ込んだ。
しかし、普段であればそのまま捨て置く筈のそれを何故かナナシが受け止めていた。
それは、彼女が初めて言葉を喋る魔物と出会い、それが自身の本質と何ら変わらないのではないのか、とゴブリン王と己を重ねてしまったが故の無意識の行動だった。
「…………ギ……」
ゴブリン王は既に瀕死の状態ではあったが、まだ微かに息がある事に気付いた。
「何か……いや……」
その姿に何を思ったのか、遺言を聞こうとしたナナシだが、それで何かが変わる訳でもなく、その行為は自身に芽生えた罪の意識から逃れる為の口実に過ぎず、そんな物には何の意味もないのだと彼女は口を閉ざした。
そして、次に彼女が見た時には既にゴブリンの王は息を引き取っていた――
ゴブリン王を倒したナナシは、目に見える範囲の残党を残らず殲滅した。そして、この機会にゴブリンの集落も叩きに行こうとしていた。
この時の彼女の感情は、もはや彼女自身よく分からない義務感だけとなっていた。
しかし、本来の護るべきルークとフランの治療を優先する為に引き返す事にした。
彼等は今すぐ死に至るような雰囲気ではなかったが、二人とも全身に大小様々な傷を負っている。ルークに至っては、矢が突き刺さったままの状態だ。
常識的に考えれば今すぐにでも治療が必要で、とてもではないが悠長に放って置いていい怪我では無い。
ナナシは展開していた魔法を解除し、不安そうに抱き合っている二人に声を掛けた。
「終わったよ。二人とも大丈夫?」
二人を覆っていた暗闇が晴れて、突然背後から掛けられた声に一瞬驚いた彼等だが、聞き覚えのあるその声が自分達を救出に来たナナシのものだと安堵して彼等は同時に振り返った。
「「ッ!?」」
彼等が安心して振り返ったのも束の間、彼等に再び驚愕と絶望が襲った。
「………ば、化け物……」
「ん……?」
この時彼女は気付いていなかったが、魔力を解放した際に山羊角や歯、紅く輝く瞳が発現していた。
つまり、本来の姿に戻っていたのだ。
人間の姿に戻る事は可能だが、結局は仮初めの姿に過ぎず、その姿で一定以上の魔力を解放すると自然体である悪魔の姿に戻ってしまう。文字通り化けの皮が剥がれてしまうのだ。
そうならない様に普段は抑えていたが、彼女は焦りから人間状態を保てる許容範囲を超えた魔力を解放してしまっていた。
思わずルークが口走った化物という単語にナナシが首を傾げた。
そして、少し考えて突然ハッとした表情で彼女は慌てて頭に手を当てた。
「あっ……」
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