私が見た光
――なんて思ってた時期が私にもありました。
いやね、現在進行形でよく分からない巨大な獣に咥えられて地面や木に激しく叩き付けられたり、まあとにかくブンブンと振り回されている訳で、それはそれはもうまさにボロ雑巾のような扱いですよ。
え? さっきまでの悲壮感はどこ行ったって?
そうは言われてもねぇ……。
私もこれまでかと諦めていたのだが、いつまで経っても痛くも痒くもないので悲壮感もへったくれもあったものではないし、正直困惑している。
それでよくよく見たら牙も刺さってすらいないし、ただ挟み込んで咥えているだけだ。
それに振り回されるのも慣れたし、今ではちょっとしたアトラクション感覚に近い。
じゃれてるだけ?
いやいや、どう考えても違う。
むしろ殺意しか伝わってこない。
じゃあ何? やっぱり夢……?
黒い獣を改めて観察する。
虎の様な顔立で瞳はまるで鮫のように黒目が小さく無機質な印象を与え不気味に赤く光っている。それが普通の生物ではない事を物語っている。
刃物の様に伸びた爪は簡単に樹木を切り裂く程の鋭さで、時々触れる体毛は硬くて針金の束のような感触だ。
何より異常なのはこの巨体だろう。体高だけで私の倍近くあるのだ。
私はこんな異常な生物を見た事も、聞いた事もない。
この獣が私にとって脅威ではない事は分かった。
とは言えいつまでもボロ雑巾の様に扱われて気分がいいものではない。
ただでさえボロボロのドレスがさらに切り裂かれて泥だらけな上に、全身も涎にまみれてベトベトで獣臭い。
そもそもどうしてこんな事になっているのだろうか? 夢だとしてもこんなものはただの悪夢だ。
なんだか無性に腹が立ってきた。
……
イライラする。
本当にいい加減にして欲しい。
どうして私がこんな目に遭わなくちゃいけないのか?
……セ
声が聞こえる。
目が覚めた時から感じていたあのモヤモヤした感じが強くなり、全身に纏わりついてくる様な嫌な感覚。
何か言っている。
人の声なのかも定かではないが、何となく耳を傾けてはいけない気がする。
でも聞かずにはいられない、抑えられずにはいられない、私はこの声に従わなくちゃいけない。
まるで極上のお菓子を目の前にしたような、甘い誘惑にも似た悪魔の囁きが私の中で大きくなっていく。
……セ……ワ…………
怒りという感情の波が押し寄せてくる。
感情がエスカレートしていくにつれて声は大きくなっていく。
もう自分では抑えきれないくらいに感情が爆発しそうだ。
……コ……セ……ワセ……コワセ……壊セ!
『壊せ』
その言葉が私という人格を埋め尽くすかの如く頭の中を駆け巡り、激しい頭痛と共に私の意識はどこか深い所に沈んで行った。
「ぐっ、が……ぁ……ウ゛グァアアアアアアアアアアアアア!!」
――少女の口から発せられたとは思えない、獣の様な咆哮に大気が震えた。
それと共に彼女の全身から黒い魔力が迸り、周囲に闇が広がった。
瞳は爛々と紅く輝き、奇しくも目の前の獣同様に、いやそれ以上に理性も知性も感じさせない恐ろしいものへと変貌していた。
眼に映るもの全てが不愉快であるかの様に、裂けるように口を広げ叫んだ。
かつて、世界を震撼させた悪魔がここに蘇った。
少女の腹部に噛み付いていた獣は、急激に発せられた膨大な魔力を近距離でその身に浴びた事により、少女を咥えたまま地に伏し、既に息絶えていた。
しかし、少女だった者はそんな事は御構い無しとばかりに上顎と下顎を掴み、力任せに口を開かせそのまま引き裂いた。
そして、胴体と繋がっている上顎を掴んだまま、数トンはあろうと思われる巨体を振り回し、地面や木に何度も叩きつけた。
その際に木々は薙ぎ倒され、ひしゃげた胴体からは内臓が飛び散り、最終的に頭部だけが彼女の手元に残った。
今度はその頭部を、視界に入った獣に投げつけた。が、それは明後日の方向に飛んでいった。
だが、投げたその直後にはその獣に飛びかかり、眉間を殴りつけていた。
その瞬間パンッと軽い音が響いたかと思えば獣は頭部を消失しており、ふらりと倒れて動かなくなった。
その後何を思ったか彼女は既に絶命している獣の身体を蹴りつけ始めた。
何度も何度も蹴りつけ、何度も何度も踏み付ける。
それは人の道を外れた外道の所業であり、間違い無く狂人の類であると言えるだろう。
暫くそうしていると、何かを思い出したかのようにふと動きが止まり、振り向くと同時にまた別の獣に飛び掛かっていた。
今度は獣の前脚に抱き付く様にしがみつき、その鋭い歯でもって肉を喰いちぎり、もぐもぐと咀嚼していた。
これには立ち竦んでいた獣も自らの脚の一部を食いちぎられ、体勢を崩しながらも負けじと大口を広げて少女の上半身に喰らいつき引き剥がそうとする。
しかし獣の牙は少女を引き剥がすどころか傷をつける事すら出来ない。
少女は自身に必死に喰らい付いている獣の口に強引に腕を突っ込み、舌を引き千切った。
そして、痛みに悶える獣に飛び乗り拳骨を叩きつけ、物言わぬ骸へと変えた。
そんな中、一頭の獣が踵を返し逃げ出そうとした。
だが、少女から立ち上がる視覚化される程に濃密な魔力が、まるで意思を持っているかのようにグニャリと形を変えて、逃げ出す獣に追いすがり、刹那のうちに呑み込んだ。
最早戦意のある獣はいない、だが逃げ出す事すら出来ない。
仲間が襲われていても動けば殺される、と獣ながらに理解しているのかピクリとも動かなかったが、残った二頭の獣はまるで図ったかの様に同時に少女、いや化物へと飛び掛かった。
だがそこに少女の姿は既に無く、獣達にも認識出来ない程の速さで二頭の間を駆け抜け、すれ違いざまに二頭の首を切り落としていた。
既に息のあるものはいない。
しかし肉の一片、骨の一欠片にすらも怨みがあるかの如く、徹底的に叩き潰し、踏み潰す。
地面は抉れ、周りの樹木すら薙ぎ倒し、それでも足りないと狂ったように化物は暴れ回る――
♢ ♢ ♢
ここは……?
貴女は誰?
どうしてこんなところにいるの?
どうして泣いているの?
そう、なんだね。
ずっと一人で怖かったね。
もう一人なんかじゃないよ。
もういいんだよ。
ほら、泣かないで。
大丈夫。
よく頑張ったね――
♢ ♢ ♢
――気が付けば足元は血に覆われ、もとの原形が想像もつかない程にすり潰され、飛び散った肉片がそこかしこに転がっている。
どこかぼんやりとして実感がなかった。
モニター越しの映像を見ているようなそんな感覚。
目の前に映るこの惨状と、口の中に残っている血生臭い獣の血肉が胃の内容物を込み上げさせる。
「っう、ゔぇぇぇぇ」
魂とでもいうのだろうか、私の中に混ざりきれないもう一つ意識があった。
それは、私の自我が侵食され、ゆっくりと世界が遠くなっていく永遠とも思える様な一瞬の中で見つけた微かな光だった。
彼女はただひたすらに懺悔を繰り返していた。
彼女は自身の意思とは反対にあらゆるものを破壊し、殺戮する存在となってしまった。
大人、子供、その瞳に映る全てを等しくその手にかけ、目の前にある全てを呑み込んで行った
自ら破壊の権化へと成り下がった愚かしさ、卑劣な手段で欺き祖国を陥れられられた怒り、民を救えなかった悲しみ、そして愛する者までもをその手にかけた絶望、しかしその全ては自らの愚かさが招いた結果だと自身の存在を否定し続けていた――
♢ ♢ ♢
かつて、精霊に愛されその加護を宿した聖女と呼ばれる存在がいた。
彼女は人々を癒し、人の道を説き、希望を与え、民を愛し民に愛され、祖国に尽くしていた。
当時、彼女の国は聖女の祝福により肥沃な大地が広がり、飢えとは無縁だった。
しかしある日、隣国の策略により彼女の国の土地は呪われ、飢饉が訪れた。
そうとは知らず、彼女は隣国に支援を求めた、いや、そう仕向けられた。
そして、支援をする見返りに隣国へ嫁ぐ事を彼女に求めた。
彼女には心に決めた恋人がいたが、民の安寧を願った彼女は涙を飲みその条件を承諾した。
だが、聖女の祝福が届かなくなった事で呪いの効力が増し、大地は腐り、作物は全く育たなくなり、家畜は魔物へと変貌して人々は僅かな食料を巡って争うようになり、国はさらに荒れた。
そんな現状を知り、何も出来ない自分のもどかしさに苦悩する日々を過ごしていたある日。
国王に直談判をする為に国王の執務室へ向かっていたが、途中の部屋が少し開いており、そこから国王と誰かの話し声が聞こえた。
良くないとは思いつつも足を止め、二人の会話を聞いていると、そのあまりの内容に彼女の頭は真っ白になった。
曰く、祖国に支援をしたのは最初だけで、今や祖国は民の反乱を抑える事に手一杯で外交もまともに出来ない程に疲弊していて、その反乱すらもこの国が扇動していた。
曰く、事の発端となった土地にかけられた呪いも、聖女を手に入れ、あわよくば彼女の祖国を乗っ取る為にこの国が仕掛けた策略だった。
全てを知ってしまった彼女は部屋に乗り込み、感情のままにありとあらゆる罵詈雑言を二人に浴びせた。
しかし、聖女は気が触れてしまったのだと捕らえられ、そのまま尖塔に幽閉されてしまい、その事実が明るみに出る事は終ぞ無かった。
彼女は呪った。
日を追う毎に美しかったその姿はやつれ、怒りの形相を浮かべ別人の様に変わり果てていった。
彼女の怨嗟の声は連日連夜、尖塔に響き渡った。
怒りに囚われ続けた彼女はついに精霊の加護すらも失ってしまった。
しかし、何の因果か彼女は加護を失った代わりに、日に日に膨れ上がる彼女の怨念とも言える想いが異界の存在を招き寄せ、その身に宿った。
それは彼女の負の感情を糧に爆発的に成長していき、それが彼女の肉体を支配するのにそう時間はかからなかった。
彼女の肉体は既に奪われ、最早自分の意思ではどうする事も出来なかったが、心だけは完全に侵食される事なく何とか自我を保ち続け、必死に抵抗を続けた。
だが、自分の意思とは裏腹に、殺戮を繰り返す度に彼女は後悔した。
そして、ついに自らの罪に耐えきれなくなった彼女は次第に狂っていき、その心までも完全に呑み込まれた。
♢ ♢ ♢
――あの日、彼女という存在は消滅した筈だった。
永遠とも思えるような長い時間を彷徨い、消えそうになりながらも彼女の魂は今の今まで抗い続けていた。
私は彼女が犯した罪、そしてその苦悩を知った。
どうしようもなかったんだ、彼女だけが悪い訳じゃないのに彼女一人に背負わせるには重すぎる。
いっそ消えてしまった方が楽なのに、死よりもつらい苦しみの中で自らの魂を擦り減らしてまでも贖罪を続ける彼女は見ていられなかった。
誰かに赦してもらいたかったのかも知れない。
彼女はもう十分過ぎるほどにその罪を償った。
そんな彼女が救われない道理などあってはならない。
私にはただ彼女の話を聞く事しか出来なかった。
それで彼女が救われたのか私には分からない。
私の勝手な想いだが、彼女を無限の檻から解放出来た、それだけで私がここにいる理由として十分だ。
いや、それは或いは只の記憶の残滓に過ぎなかったのかも知れない。
今となってはもう分からない。
だけど、彼女が私を現実に還してくれたのだと思っている。
私は忘れないだろう。
彼女がここにいた事を、そして最後に少しだけ微笑んでくれた事を――
意味が分からない?
安心して下さい、私も分かりません!(キリッ
ここまて読んでくださって有難う御座います。




