七話 『 酒の席だ、無礼講さ! 』
町の案内として商会の玄関口に立っていたのは、日に焼けた褐色の肌が威勢の良さを教える、ルターナ・エリフォンだった。
ルターナに案内されてまず向かったのは、旅人にはお馴染みの薬屋だ。
そこで傷霊薬や毒消し効果のあるトクタミという香草、腹痛の薬にもなる眠気覚ましの丸薬などを買っていく。他にも小奇麗な婦人服店でミーナが服や下着を買ったり、路地裏のいかにも怪しい武具店や焼き貝の屋台などを回ったりしていたら夕方になった。
頃合いとしては、そろそろ酒場の窓に明かりが灯るような時間帯。
そう言えば朝からまともな食事をしていない事に腹が鳴ったことでようやく気付いたアグニとミーナが、ルターナに案内されてやってきた『食事処』という食事処に入って子羊の肉を頬張っているときだ。海を越えた北の国のアイスロードから船で送られてくるヴァッコスという度数の高い酒を、ショットグラスでチビチビ煽るルターナが口を開いた。
「なあ、聞いてもいいか?」
二人はよほど腹を減らせていたのか、いやしくも食事の手を止めずに『うん?』と目で答える。ミーナが貴族の出だとばれないのは、こういう『らしさ』というものがないところから来るのかもしれない。ちなみに、食事中は「邪魔になるから」と髪を後ろで纏めるミーナだ。
「あー、あんた、ミーナって言ったか?」
「もぐもぐ」チーズとトマトのサラダを咀嚼しながら頷く。
「あんたたちは二人で旅してるんだろう?」
「ガツガツ」芳ばしく焼けた肉に齧り付きながら頷く。
「そんなミーナに聞きたいんだが、あれはいつもどうしてるんだ?」
「んんっぐ?」カニのむき身と唐辛子で真っ赤に染まるパスタを頬張りながら首を捻る。
「あれと言えばあれさ。ミーナもそれなりの年齢だから、気にしてはいるんだろう?」
「ぐきゅぐきゅっ」木製のジョッキに注がれたブドウジュースを飲みながら眉を寄せる。
「だからほら、幾ら何でも月に一度は――」
「月のモノならこいつ来てないぞ?」
「ぶばぅううううううううっ!」
ミーナは飲んでいたブドウジュースをアグニに向かって噴きだした。
「何を言っているのかなこの変態は! それくらいちゃんと来てますからっ!」
ミーナが噴き出したジュースで顔中をべとべとにするアグニは、台拭きで顔を拭いながら馬鹿にするような表情を作って見せる。
「嘘を吐くな、嘘を。いつも一緒にいるこのアグニさんがその程度の事に気づかないはずあるか馬鹿者メ。まだまだ子供なんだよ、ミーナは。いや、オコチャマンだな」
「ムキーッ! オコチャマンじゃないもん! れっきとしたレディーだもん! 大体、アグニはマナーって言うか気遣いとか心遣いってものが足りないんだよっ! 食事中に、しかも人前で、月のモノなんていっちゃダメなのくらい気付いて欲しいんだけどっ!」
「あー、はいはい。そうでちゅねー、オコチャマーン。でも、この店の連中全員に喧伝したのは自分だからなー?」
「ハッ――!」
アグニに言われ体を固めるミーナは、ブリキ人形の様なギチギチした動きであたりを見渡した。そして顔どころか耳や首まで真っ赤に染めてアワアワしながら小さくなった。
時間的には宵の口であり、まだまだ火を落としてない工場も多くあるが、それでも店の中には店員の娘たちを含めて十人弱の人間がいるのだ。恥ずかしくだってなるだろう。
うー、と唸りながら隣を睨むミーナはペチンペチンとアグニの膝を叩き、そんなミーナをアグニはからからと笑う。
からかうことに今の所満足したアグニは、全く濁りのない葡萄酒を一気に飲み干して、追加の地ビールをこの店の看板娘だろう店員に叫びつつ、ルターナに視線を向けた。
「で、本当は何だ? まさか俺が言ったことを聞きたかったわけじゃねぇだろう?」
「ん。あ、ああ」
ルターナは浅い眠りから覚めたような反応を返して、すぐに笑って見せる。
「いや、なに。そんなたいした事じゃないよ。湯あみの……いや、体を洗う時にはどうしているんだと思っただけさ。けど、あんた達は仲がいい。わざわざ隠すこともないんだろうね」
仲がいい……アグニは口をひん曲げてため息を吐いた。
「そこまでじゃねぇよ。ただ少し長く一緒にいるだけだ」
「それでも、長く一緒に居られるだけで大したもんだよ」
チビチビと酒を舐めながらニヤつくルターナに、ふんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向くアグニ。ちょうど運ばれてきたジョッキをぐいと傾け、一気に煽った。
「まあ、そのことは分かった。でも、もっと聞かせてくれないか?」
「聞かせる?」
「ああ。こんな見てくれをしちゃいるが、あたしはあたしを縛る世界から一歩も外に出たことがない。だから、外の事を聞きたいんだよ」
ルターナは粗悪な濁りガラスで出来たショットグラスをコンッとテーブルに置いて、日に焼けた如何にも快活な顔でニカッと笑う。
「聞かせてくれ。あんた達のこれまでってやつを」
言われて、互いに見合わせるアグニとミーナ。
「って、言われても……そんな愉快な旅ではなかったけどな?」
「そう? あたしは楽しかったよ。きっとこれからも楽しいし」
「……まあ、お前はのんきだからな」
「のんきじゃないもん。ポジティブなんだもん」
「ああ、だから野宿だって夜も積極的なンダバラッティッシュティンフッッ!」
アグニの横っ面に鉄拳が制裁としてめり込んだ。ごろごろごろごろーっ、とアグニが壁際まで吹っ飛んでいく。もちろん、わなわなと震える鉄拳の主は、顔を真っ赤にするミーナだ。
「もーぅ! アグニのばかっあほっ! こんな所で言う事じゃないんだよぅ!」
プンスカ怒るミーナに、壁まで転がっていったアグニ。左顔面が奇妙な色になって腫れていた。
「ぷっ、くく、あっはははははははははは!」
だから、そんなアグニとミーナを見て、ルターナは笑った。
楽しそうに、羨ましそうに、大きな声で。
そして――。
こんな事を繰り返しながら、その夜は更けていった。
ちょっとした旅の出来事を語る中でアグニがミーナをからかい、からかわれたミーナがアグニを殴り飛ばして、ルターナが腹を抱えて大笑いする。
そのうち、店に集まる王都の職人連中も面白い旅人がいる事に気が付いてその輪に加わりだし、いつの間にか『食事処』は随分と賑々しくなった。あっちで見知らぬ者同士で酒を酌み交わせば、こっちで巨大な肉を食い散らかす客連中。途中でルターナの姿が見えなくなったが、最後には店主や店の娘たちすら加わって、盛大な馬鹿騒ぎになった。
それはまるで、嫌なことを忘れる為に開かれた、一夜限りの祭りのようだっだ。
本人にきちんと確かめたわけではない。
それでもきっと、ミーナは明日から過去を覗く行動に出るはずだ。
それはミーナにとって自分の親が死んだ理由を暴く行為で、楽しいはずがない。
だから今日くらいは笑い明かそう。
飲んで、食って、楽しみ明かそう。
アグニは柄にもなく、そんなことを思うのだった。
「よっしゃあぁ! 今日は俺のおごりだ、たのしもうぜぇえええええぇぇぇぇぇぇええぇ!」
次回 「 想いと思い出と、寂しい気持ち 1 」