六話 『 戸惑い 』
「家名?」
質問されたマグティーノは僅か首を傾げた。
「家名、ですか。でも、それを知ってどうするのです?」
「え、いや、どうってことは、ないんですけど……」
ぎゅう、と。さらに手に力が入り、ミーナは目を逸らした。国を跨いでいるとはいえ、暗殺者に追われていたのだ。その貴族の娘が私かもしれないんです、などとは軽々しく言えないから、まごついてしまう。
はあ、と視界の端に映るミーナの尖る唇を見て、アグニは溜息もついでに口を挟んだ。
「いやなに、いまさっき馬鹿みたいな大金を掴んじゃいるが、俺たちもその貴族が隠した『秘密』ってやつを見つけてみたくなったんだよ。何せ国王の命令だ。謝礼だって期待できるに決まってる。それには貴族の家名を知っていた方が情報を集めやすいのは通りだ。ただちょっと、俺の連れは口下手でね。だから、その値踏みする様な目で見てやらないでくれねぇか?」
アグニが肩をすくめて言うと、マグティーノの視線がアグニに移った。商人によくある、相手の皮膚の裏側に書いてある真実でも見極める様な、見透かす視線だ。
だが、視線だけで怯むような胆力なら、アグニは旅になど出ていない。それに、アグニは喧嘩士だ。喧嘩士は喧嘩が出来るなら土俵なんて選びはしない。
だから、笑う。凶悪に、極悪に、超然とした悪人面で。
「頼むよ」
それを見たマグティーノは、値踏みするような視線から型にはまったような笑顔に表情をゆるく解いて、軽く手を上げて見せた。
「ああ、まったく。やはり暖を取るには寄り添いあった方がいい」
「余計な世話だ。で、どうなんだ? 知ってるなら教えてほしいんだが」
「ええ、確か」
マグティーノは自身の細い顎に指を当てて俯き、数秒ほど思案顔を作ると、そのまま。
「そう――〝アルマディウス〟――という家名だったはずです」
その瞬間。ミーナは眼を限界まで見開き、アグニの手を力一杯握りしめていた。
だから。カチャンと、アグニは左の指先で不器用に遊ばせていたティーカップを器用にひっくり返すことにした。カップの底に溜まる僅かな水滴が契約書にシミを作る。
「っと、悪ぃ。手が滑った」
言いながら、慌てた風を装いつつカップをソーサーに戻し、俯くミーナの肩に手を置いた。
「だとよ。どこにでもありそうな名前だから知ってても俺たちの得にはなりそうもないが、情報が有ると無いとじゃ動き方に違いが出る。まあ、良い事にしとこうぜ?」
「う、うん。そーだね」
無理やりといった納得の仕方ではあったが、ミーナは一つ頷いてアグニに言葉を返すと、驚きを懸命に隠しながら、マグティーノに向かって確認した。
「アルマディウス。間違いじゃ、無いんですよね?」
「ええ。その貴族がどのように関っていたのか仔細は確かではありませんが、家名に関しては間違いないです。私も商人ですからね。人の家名は忘れません。ただ、他国の国王が狙えるような『秘密』なので、当の本人含め、一族は事故か病気か暗殺か、もうすでに亡くなっていると考えて良いはずです。本来なら王とて他国の貴族の事、手を出していいものではないのですから。ですので、もし関係者の行方を探ろうとするならば、徒労に終わるかもしれないことを念頭に置いて探された方が――」
コッコッ、と。ノックが響き、来客を告げる小姓の声がドアの向こうから聞こえてきた。
『お話し中に失礼します。ライデン様がお見えになりました』
マグティーノはおや? といった様子でポケットから銀時計を取り出して確認すると、やれやれと息を吐く。
「気の早いお方だ」
そして、おもむろに立ち上がり、型にはまった笑顔で困ったように言った。
「お聞きの通り次のお客様が来られましたので、申し訳ありませんが……」
マグティーノの動きにつられるように、アグニ達もソファーから尻を持ち上げる。
「こっちこそ悪かったな、時間とらせちまったみたいで。しかも竜の死骸を買い上げてくれただけじゃなく、暇つぶしになる情報をもらって、感謝するよ」
「でしたら、ぜひ買い物は当商会の加盟店で」
「はっ、覚えてたらな」
いくぞ、ミーナ。とアグニはミーナの背中をぽんと叩いて出ていこうと足を出した。ミーナは少し呆けたような様子で後に続く。綺麗な応接室のドアノブに手をかけたところでアグニは「ああ」と思い出した。
「出来れば少し先払いして欲しい。この街に来たのは初めてだ。色々見て回りたい」
「でしたら、町の案内に誰か付けましょう。金貨で良ければ三十枚程用意しますよ」
「そうか、助かる」
「では、またのお取引と、お二人に商売の神ヘルメナのご加護がございますよう」
マグティーノの商人が使う常套句を最後に、アグニ達は澄ました風に部屋を後にした。
次回 「 酒の席だ、無礼講さ! 」