五話 『 薄墨の笑顔 』
笑顔で会釈をするマグティーノ。契約書に不備が無いか確認しつつ「ところで」と言葉をつなげた。アグニとミーナの紅茶を飲む手が止まる。
「あなた方は旅人とお見受けしますが、今回のドラゴンはご自身で討伐を?」
「いいや、運が良かっただけだよ」
「と、言いますと?」
「何しろ愚かな悪戯者が被っていたからな。そう手間はかかってない。まあ、奴らの血の臭いには参ったがな。香水で誤魔化していても、あれは酷い」
「……、それは。幸運でしたね」
言いながらマグティーノは手元のベルをチンと鳴らした。型にはまった笑顔が少し崩れているのは、おそらく焦っているからだろうとアグニは思う。国営商会が扱う商品は多種多様で、なかには臭いの移りやすい物もあるはずだ。それがもし食品や高級品なら売り物にならなくなってしまうのだろう、と。
ベルで呼んだ小姓へ何かを囁くマグティーノに、素知らぬ顔を向けるアグニ。ティーカップの底に残った紅茶を一気に煽って、血相変えて出ていく坊主を横目で見送った。
「で、話は終わりか?」
「はい。臭いの事は、もう少し早く教えて頂きたかったですが」
「そりゃ悪かったな」
「いえ。お二人には、今後とも商売の神ヘルメナのお導きがあることを祈っています」
ミーナが小さく手を上げたのは、この時だった。
「あの、あたしからもいいですか?」
少し言葉に詰まる質問に、マグティーノはやはりきっちりとした笑顔で柔らかく反応する。
「ええ、どうぞ」
「えっと、ここに来る前にちょっと聞いたんですけど……勅命、ってなんですか?」
勅命とは、国の長が法律や勅令の形式によらずに出す命令の事だ。例えば、法律にはなくとも人を裁ける。極端な話、あいつ嫌いだから殺しておいて、これ勅命だから。と王様が言えば、誰でも殺せる魔法の言葉だ。
だが、ミーナが聞きたいのはそういう事じゃない。
そしてそれは、商会の長であるマグティーノにも伝わっている。いや、その程度の事を察せなければ、相手の舌の裏を覗き見る商人のトップになどなれはしない。
マグティーノは「ああ」と一つ頷いてから、口を開いた。
「詳しい話は私も聞いていないのですがね、どうやら一年ほど前、隣国のバナコーラに住んでいたある貴族が、何かの『秘密』をゲールーゲ山の麓にあるヘルズネクトという深く広大な谷に隠したそうでして。それを探すのに、ドラゴンの品を集めているとか。何しろあの谷は、強靭で凶悪なモンスターが徘徊する魔の谷です。一週間ほど前に国軍の先遣隊が出発しましたが、彼らは今になっても帰ってこない。なら、救出も兼ねてもっと装備を強化させた人間を向かわせよう。そういった動きで発令されたのが、今回の勅命らしいですね」
その言葉を聞いて、眉を寄せるのはアグニだった。秘密という言葉をそんなに容易く口にしていい物かと訝るが、マグティーノはそれに気づいて笑顔で言葉を付け足した。
「怖い顔だ。大丈夫ですよ。『秘密』と言っても、この勅命は商会だけではなく、国中に公布されるものですから。ヘルズネクト攻略にあたって、腕に覚えのある者たちに呼びかけているのです。私が思うに、王の小遣い稼ぎ程度の事なのでしょう。国営商会を預かる身で言うのも難ですが、国だって一般の方に後ろ暗い仕事を任せることはしません。まあ、些末な事に構ってられない程の大事なら、話は変わってきますが……」
その瞬間、笑顔のままのマグティーノから、ドロリとした悪意ないし殺意のような何かが溢れ出した気がして、ミーナは「――っ」と息を飲み、アグニは目を細めて左手の指先でティーカップを不器用に遊ばせながら、内心で警戒した。
商人の戦い方は、以前暗殺者とやり合ったアグニの様に単純明快ではない。そして、単純明快ではないからこそ、殴る蹴るという暴力よりも多くの人間の命を奪えてしまう。
村一つ、町一つ、という規模で。物流を断つ、という方法を使って。
故に目の前に座るマグティーノという男は、その型にはまったような笑顔のままで殺しが出来る殺人鬼なのだろう。いくら国営商会規模の大きな資金力を持っていればこそその方法が使えるとはいっても、実際に行っていなければ今の様な雰囲気は作れないのだから。
(いや、むしろ……こいつ、人が死ぬのを楽しんでねぇか?)
アグニの目元が、妙な気配を持つ商人にピクリと僅か細まったのは、それが理由だった。
「さて、質問は以上で? 急かす様で申し訳ありませんが、この後には人と会う約束がありますので、失礼させていただきたいのですが」
マグティーノの言葉に、ミーナはアグニの右手を握っていた。意識して握った訳ではない。不安や恐れ、もしくは期待に怯えていたからこその行動だった。
「なら、最後に一つだけ」
ミーナ自身、気づかないうちに手に熱が籠る。
アグニは握り返すことはせず、緊張に震える手の甲を親指でそっと撫でた。
隣国のバナコーラにゲールーゲ山。一年ほど前に殺されたある貴族。
これだけのワードが重なるのなら、女心の機微に疎いアグニでも、今からミーナが聞こうとしている言葉の想像は容易い。その上、なんらかの『秘密』という言葉が出てきてもいるのだ。言葉が出てこないのも仕方がないだろう。
ミーナは一度ゆっくりと呼吸をしてから、再び口を開いた。
「さっきの話に出てきた『ある貴族』の……か、家名は知っていますか?」
次回 「 戸惑い 」