五話 『 既知の外に追いやられた怪物 』
ミーナ曰く変な人は、細かく動く口で何かを呟き、見開く眼球は忙しなく左右に揺れて、その両腕は自分の肩を抱いた格好でカタカタと震えている。なのに両足は直立不動のまましっかりとその体重を支えているから、見ていて気色の悪い人物だった。不気味以外に適当な言葉が見つからない。
アグニは最初、場の空気に当てられた未熟者でも紛れ込んだのだろうと思った。しかし、ミーナに教えられた人物は、周りの猛者が発する威圧感に気圧されたというより、自分自身の内面から溢れる何かを強制的に押さえ付けられている様に見える。
言ってしまえば、アグニの目にその人間は魔術か何かで『狂戦士化した人間』に映ったのだ。
アグニは僅か眉根を寄せて、ぴくりと目蓋をヒクつかせる。
(誰かの奴隷か? でも主人らしき奴なんてどこにも……)
「ね、変でしょう? 共同不信でしょう?」
「……それを言うなら挙動不審だ。共同者が信じられなくなるって怖いぞ?」
「あれ、間違った?」
「ああ、間違いだ」
「にへへー」
照れたように笑うミーナを横目に一瞥して、再び挙動不審者に視線を戻すアグニ。
と、そのとき。
「よく集まった!」
重く芯の通った大声が、広場を揺らした。
一般人にはない強烈さを持った二百を超える視線が一斉に動く。
視線の先の小さな檀上には、大きな鉄板に柄を付けた様な大剣を鞘に収めて腰に提げる、ゴーレムのような躯体の男が屹立していた。その背には戦場の血だまりで染め上げた様な赤黒い外套を棚引かせている。
戦いを知らない人間でも数が集まれば異様な迫力を持つというのに、ここに集まった死を知る猛者の強烈な視線を受けてなお、彼は何一つ変わらない。
ジョイズ・モントレー。
それが、この男の強さを示す。
「初めに言っておく。今回の作戦は、ここに居る九割以上の人間が死ぬと思え」
途端、血気盛んな連中の眼つきが変わった。ざわり、と薄い波紋が場に広がっていく。男の重量感のある言葉が、集まる連中に真剣さと高揚を浮かばせるのだ。
近衛師団長ジョイズ・モントレ―の言葉が続く。
「これは、諸君らを低く見ている訳ではない。諸君らと同様に腕の立つ王国騎士ら三十二名が隊をなし、わけあってその正体を教えることの出来ない『秘密』を探しにヘルズネクトの深部に向かったのが一週間前。戻ってきたのは大怪我をした伝令が一人。それが意味するところは一つしかないだろう」
つまり、国が誇る騎士でも死ぬ可能性を有する場所が、ヘルズネクトだと言っている。
「だからこそ、我は言う。命惜しい者は今すぐ去れ。人を思えぬ者は踵を返せ。これは腕試しではない。私利私欲に走る者に未来はなく、未来を求める者に名誉は輝くのだ。戦いに己を賭ける理由は各人で決めるほかないが、その中で己の命を守る物はいま隣にいる者の刃かもしれぬ事を心に刻め。作戦に参加するのなら、名も知らぬ他人を守り、守られるだけの意識を持て。他人が生きてこそ、自分を生かすことが出来るのだ。でなければ、決して生きて帰ることは出来ないと今の内から知っておけ」
一時の沈黙。
静かなのに力のある声には、真実のみが持つ緊張感が含まれていた。この作戦はそれほどまでに恐ろしいと、言葉の内外に語られていた。
ジョイズ・モントレーは、壇上からゆっくりと場を見渡し、それぞれを見る。
視線の流れや肩の震えや、僅かな後じさり。膝や腰の落ち具合から、各々の細かな仕草まで。
そして、最後に告げる。
「話を聞き、この我をその眼で見た己の胸に問い、決めるがいい。出発は今から四半刻後。集合場所はグロウス城下を囲む市壁に設けられた南門。時間が来れば待ちはせず、しかし、集まらなくても笑う者はない。己の命は己で ―― 」
狂気に満ちた叫びとは、笑い声によく似た響きを持つものだ。
「ゥきょきゃきゃがはぎちちちちきゃきょきょきょきょきょきょきょきゃーーっ!」
灰色の男が咆哮した。
突然の奇声に周りの人間がぎょっとした視線を向ければ、そこにはミーナ曰く変な人が狂った叫びを上げている。
天上を仰ぎ見る頭。泡を吹く口角。眼球は限界まで反転し、自分の肩を抱くように回されていたはずの腕は広げられて、力み過ぎでブルブルと震えていた。
「なんだ、こいつ……?」
訝った目を向けるのは、灰色の男の隣に立つ戦士然とした風貌の参加者。
直後――ぽーん、と。
ボールでも蹴り上げた様な軽さで、戦士の首が宙を舞った。
アグニはミーナの眼を片手で塞ぎ、耳元で囁く。
「こっから先は目ぇ閉じてろ――な?」
場に居るほとんどの連中が跳ね上がった戦士の首を阿呆面で追い、地に落ちた戦士の首は何が起きたのか分からないといった表情で『あれ?』と音のない声を上げる。
何が起きたのか分からなかった。ただ全員一致した意見として、血で濡れた右手をだらりと下げている灰色の男は、異常だと理解した。
意識が切り替わり、場の空気が一気に張り詰める。
示すのは、臨戦態勢。
一人一人の眼の奥には戦いに猛る獣でも飼っているかのような獰猛さが垣間見え、しかし、そんな瞳に囲まれてなお、灰色の男は自身の異常性を証明し続けていく。
バツンッ! と。男の脚の筋肉が皮膚を裂く勢いで膨らんだ次の瞬間には、空気の壁を無理やり引き裂くような速度で掻き消えた。
目を見開く参加者たち。
灰色の男の素早さに驚いているのではない。
自分が死んだことに驚いているのだ。
ぶしゃアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!
噴水される真っ赤な血液。
転がるのは、どうにか十に満たない参加者たちの首。
「うきょくえらららあああああああああああああああああああああああああああっ!」
奇声をあげ、参加者の首を斬り飛ばし、灰色の男は一直線に壇上を目指す。
だが。
壇上に居るジョイズ・モントレーを含む広場に居る二十名の騎士らは、驚異の戦闘力を見せる灰色の男が突っ込んできても微動だにせず、威風堂々とした態度を崩さない。
それが、王国騎士。
慌てる必要はない。
壇上に居るのは我らが師団長殿だ。
灰色の男の足が数レートルに近づいてようやく、ジョイズ・モントレーは腰に下がった大剣に手を添えた――。
次回 「 王国近衛師団長 」