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第二章 動き出す歯車

 少し時間を遡り。

 奇妙としか言い様のない年老いた男の声が、青く淡い魔法の光に照らされる、薄暗い部屋に響いた。

「さて、ヘルズネクトの探索及び、一帯に生息するモンスター殲滅の約16%を達成したと報告を受けたわけだが……どうだ、やはり無理そうか?」

 その奇妙な声に返すのは、淡い光に暗く照らされてなお絢爛さを失わない絨毯に、片膝をついて頭を垂れる、巨大かつ剛強な肉体を持った男だ。

「いえ、まだヘルズネクトを探索し始めて僅かの時が経ったばかりですので、無理と断ずるのは早計かと。加えて、勅命配布に貴族並び諸大臣からの一筆を集める事にも一週間の時が掛かり、民衆の眼に晒されたのが今日の午後になりますので――」

 窮屈そうに体を縮こませ跪く男の背中にゆったりと掛かる外套は、戦場の血だまりで染め上げた様に赤黒く、その色が示す意味は、彼が王国の近衛師団長を任されている事を表していた。

「――どうか、今しばらくの御時間を、我ら騎士へとお与え下さい」

 ジョイズ・モントレー。

 上げた武勲は数知れず、いくつもの戦場で死屍累々を築いてきた屈強な騎士である。

 そんな男がかしずく相手は、この世界に一人しかいない。

「くれてやれるものなら、私が持っている時間などいくらでも持って行け」

 アディティス・ブリアレオス・グロウス。

 トルティーニ大陸西方の殆どを国土とする、まさに大王である。

 けれど、その容姿を目の当たりにして、目の前の老人に『大王』という冠が頂いているなどとは到底思えないのが、このグロウスという男だ。

 言葉にすれば〝痩せこけて、白い髭を長く蓄える好々爺〟。

 だから、巨人と見間違える程の騎士が、この老人相手に頭を下げる様を子供が目にすれば、とても奇妙に映ったことだろう。あるいは老人を仙人と間違えたかもしれない。

「だがな、我が清廉(せいれん)たる騎士ジョイズ・モントレーよ。バナコーラの王が、こちらを悠長に待っているはずはないのだ。ヘルズネクトの土地の利権を奪い合うことでこの十か月を凌いできたが、最近では私の力で押さえておくことも甚だ難しくなっている。事実、国境間での争いは国力をゆっくりと、しかし着実に衰退させ、バナコーラだけでなく、他国の横やりすら受ける始末。情けない話だが、どう見積もっても手持ちの時間も体力も、積み重ねる言葉ですら残り少ない。問題が問題なだけに見過ごす事こそ出来ようはずもないが、注力のし過ぎは国そのものを落とされかねんのではないか?」

 本来ならば王たる身であるグロウスが、長と(いえど)も騎士の一人でしかないジョイズ・モントレーと二人きりの場所で口にするには、些か以上に問題ある発言で、側近の知将たる大臣らにこの現場を見られれば、憤懣(ふんまん)の声が上がるようなことだった。

 だが、グロウスという王は事実として、血に濡れた戦場を足に敷く騎士に、国の行く末を共に担げと言っていた。

 子供の鼻血にすら眉を寄せ、戦場の空気も嗅いだことのない傍仕えの高官ではなく、

 その手で、耳で、肌で、目で、時には舌で、人の生死を感じている一人の騎士に、

 向かうべき自国の指針を、王である自らが、確認を含めて尋ね問うているのだ。

『私は間違っていないだろうか?』、と。

 しかし、それは名誉なことであると同時に、危険な事でもある。

 権力者に気に入られるということはどの世界でも嫉妬の対象になるもので、嫉妬とは時に命すら脅かす劇薬になる。その権力者が一国の王ともなれば殊更に、口に出すまでもないことだ。

 けれど、ジョイズ・モントレーは自身が騎士であることも当然、危険を承知で一人の男として、王と二人きりの部屋で(かしず)いていた。

 そしてそれも、想像に容易いはずだ。

 いくつもの戦場を生き抜き、その身一つが巨大な凶器のような男を、何の躊躇いもなく跪かせるだけの求心力、采配力、決断力、何もかもを含めて、ここに居るアディティス・ブリアレオス・グロウスという王は魅力的なのである。

 故にこそ。

 岩塊から削られ、魔術によって命を吹き込まれたゴーレムの様な肉体を(こご)ませるジョイズ・モントレーは、会う度に躍り滾る胸の内をひた隠し、己が王に言うことが出来るのだ。

「陛下の深きお考えは戦うことしか出来ぬ一兵の我に及び付くことはございませんが、しかし、戦士として言えることがあるとするならば、非礼を承知で言上いたします」

 モントレーは淡い光の中でそう言い置いてから、一拍の間を開けて再び口を開いた。

()の隣国バナコーラが貴族、魔法学の名家と名高かったアルマディウス家は前頭首、ゴーシュ・レコイフス・ゲッペシュドール・アルマディウス侯爵がバナコーラ王に命ぜられて秘かに研究していた法は、〝伝説にある禁忌(きんき)(ほう)〟だと、この十か月で調べた結果明らかになりました。しかし、禁忌(きんき)(ほう)を研究することへ、良心の呵責に耐えかねた侯爵自らが、その秘密を持ち出し、ヘルズネクトへと隠してしまった。確かに秘密を隠すにはうってつけの場所ではありますが、如何せん、相手はあのバナコーラの王にございます。欲する物は全て手に入れようと企む、強欲の化身と呼ばれてなお憚らぬ外道の中の外道でございます。そんな者に禁忌の法を渡したが最後、何をしでかし始めるか。想像するにも惨いだろうことは、聡明な陛下の事、既にお考え及びでございましょう。もちろん、陛下が国民を案じ、そればかりか戦いの駒でしかない我らにすら気をかけて下さる事は重々身に染み入っている事ではございますが、いま手を引いてしまったら、バナコーラに禁忌の法を譲るも同義。なれば、今少しの猶予を、陛下には陛下たるお力を持って稼いで頂きたい所存にございます。その間に必ずや、禁忌の法を持ち帰ることをここに誓い、陛下から賜りし近衛師団長の役に恥じぬ様、務めたく存じます」

 モントレーは言い切って、静かに自分の腰にある無骨長大な大剣に手をやった。意味などない。ジョイズ・モントレーという一人の騎士の、ついやってしまう癖である。

 そのとき。「ふ、ふははは……」、と。小さな、しかし確かなグロウスの笑いが、薄暗いなかでも絢爛さを失わない部屋に、薄く、とても薄く響いた。

「私が持つ力で、か」

 グロウスは皺だらけの自分の顔を撫で、笑いの残滓をゆっくりと吐き出す。

「この老いぼれに、それほどの力があると思っているのか、我が精強たる騎士ジョイズ・モントレーよ。もう昔とは違うのだぞ?」

「我が君こそ、グロウス陛下なれば。身命賭すに何の恐れがありましょう?」

 一時の沈黙。言葉を飲み下し、しかし王であればこそ詰まることはない。

「そうか。ならば私も、私の持てる限りの力でバナコーラ軍のヘルズネクト探索を遅らせてみよう。良い王ではなかったからか、良い家臣に恵まれたと言う事は難しいが、長くお前の様な者がいてくれたからこそ、私は今でも王でいられるのだからな」

「勿体なきお言葉。しかし、陛下は民を慮れる良き王にございます」

 言われ、グロウスは髭を撫でた。小さな咳払いもついでに、モントレーに背を向ける。

(良き王、か)

 部屋の窓から、夜のとばりが下り切った城下をちらりと睥睨して思案しつつ、遠くでやたらと賑やかな一軒の店に、ふと目が留まった。

(民の笑顔こそ国力、か)

 そして夜の音がゆるり通り過ぎてようやく、グロウスはジョイズ・モントレーへと近づいた。

 隆々と盛り上がるモントレーの肩へ自分の骨ばった手を置いて、改めて命令を下す。

「我が剛健たる騎士ジョイズ・モントレーよ。お前の雄々しき威容を持って、このアディティスに勝利という冠と、民達へ平穏たる安らぎを勝ち取ってこい」

 切実に。力強く。命令という形をとった、年老いた男の願いが零れた。

 奇妙としか言いようのない声の中に、長い時を仕えたからこその感情を察した堅固たる巨体を持つジョイズ・モントレーは、己が肉体の奥底に歓喜に震える力みを押し殺して、ただ愚直なまでに粛々と命令を受け入れた。

「――死力を尽くしまして」

次回 「 朝はしっかり食べましょう 」

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