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九話 『 想いと思い出と、寂しい気持ち 2 』


「ねぇ? アグニってさ、傷だらけだよね」

 アグニは天井を見上げたまま答える。

「まあ、旅してりゃあそんくらいつくだろ」

「ううん、そんなことない。だってあたしには……」

 言葉が止まり、逡巡するような間が開いた。

「覚えてるかな?」

 ミーナはアグニの肩の傷を撫でながら、改めて口を開く。

「これはね、羊飼いの町であたしを大きな狼から守ってくれた時に付いた傷で、胸にあるこれは、あたしが盗賊に追われて崖から落ちそうになった時についた傷なんだよ?」

「あ? そう、だったか……?」

「うん。あたし覚えてるもん。――他にもいっぱい、いっぱい、あたしはアグニに守られて、アグニに沢山傷をつけてきた。ごめんね、痛かったよね」

「んー……。ンな昔のことなんて覚えてねぇからなあ」

「ふうん……なら、良いけど」

 湯の中で身じろぐミーナ。アグニという入れ物にすっぽり収まるような場所を探す。まるで自分の体に合う隙間を探す猫の様に暫くグニグニと動いていたミーナの動きが止まり、また僅かな沈黙が過ぎた。

「ねえ、アグニ」

「ん?」

「何で聞かないの?」

「聞くって、何を?」

「傷の事」

「そりゃお前、傷は男の勲章だからな。誰かの所為にしたらみっともねぇだろ」

「そっちの事……?」

「何だ、違うのか?」

 途端、ぷくっとミーナの頬が膨らんだ。

「聞けばいいじゃん。アグニのいじわるっ」

「話せばいいだろ。ミーナのオコチャマン」

 ぶう垂れるように見上げるミーナと、それでも天井を見上げるアグニ。

 数秒そうして、降参したのはアグニの方だった。ため息が漏れ、視線が下がる。

「……一緒に旅するようになって十か月。ミーナの水浴びシーンを偶然目にした事があった時から七か月くらいか? あの時お前、ものすげー動揺してたろうに。『背中、見た?』って。あの後しばらくよそよそしくなったし、触っちゃいけねぇとこなんだなって思ってたのに、今の言い方じゃ俺が鈍感なチェリー君みてぇじゃねぇか……」

「それでもあたし女の子だし」

「男がリードしろってか? リードされたかったら、もっと大人になるこった」

「うっさい。これでもあたしはレディーだもん」

 ちょこんと突き出される唇に不貞腐れた様な目。湯気でしっとりと濡れ始めた髪の毛と合わせてみると意地を張った猫の様だった。

 アグニはわざとらしく呆れた様な目を向けて、それからミーナの首元を隠す髪に手をやった。途端ミーナの肩が小さく跳ね、体が縮こまる。アグニはゆっくりと、髪を纏める様に全体を掬いながら手を動かし、左の肩口から右わき腹の近くまである大きな傷をさらけ出していった。

 酷い傷だった。あるいは、何故この傷を負って生きていられたのか不思議なほどに。

 アグニはその傷の端から端まで指を這わせ、

「いま、ミーナが笑っていられる事は奇跡だな」

 そっと傷の上に腕を回した。

「ミーナがこの傷の事をどう思っているかなんて知らねぇけど、これはお前が生きた証だ。オコチャマンでも女だから気になるのはしょうがねぇけどよ、こんな怪我を負って、それでもこうして生きてんだ。それはお前が生きようと頑張った証拠だろ? だから……そんなお前の頑張りを聞かせてくれるなら、ちゃんと聞くよ。俺は、いつでもお前の隣に居るんだから」

 そう言ってミーナの頭に手を置くアグニはわしゃわしゃと撫で回す。

 アグニに寄りかかったまま俯くミーナは小さく頷いて、にへへーと照れた様に笑った。

 だが。さんざん話を引っ張っておいて、ミーナはこんな事を最初に言う。

「っていっても、あたしもよく覚えてないんだけどねー」

「覚えてないんかい」

「うん、覚えてない」

 直球ストレートな回答だった。

「でも、少しは覚えてるんだよ?」

「例えば?」

「没落したアルマディウス家は、魔法研究では世界でも屈指だったんだけど、あたしがアグニと会う半年くらい前だったかな、とある研究中に事故を起こしちゃったの」

「ほう、魔法研究は事故を起こしやすいって聞いたことがあるけど、それで――」

「で、その事故を起こした張本人が、あたしなんだよ」

「は?」

 アグニの表情が固まった。あー、と唸りながら考えを纏めて改めて口を動かす。

「それって、自業自得ってことか?」

「オブラートに包んで言えば『若気の至り』ってやつだね」

 使い方が微妙に間違っていた。

 いまから心底暗い話が始まるものだと思っていたアグニは僅か頭痛を覚える。

「……なんだ、俺はてっきり、お前の奥の方にある話すのも辛い話かと思ったのに。しかも俺と会う半年前ってことは、全然分別の付く歳じゃねぇか。もっと小さい頃なら同情もするんだが……なんつーか、ちょっとがっかりしてるぞ、俺」

「ま、まあまあ、傷を見られるのはやっぱり嫌だし、話しはここからなんだよ」

 ミーナは苦く眉を寄せると、仕切り直す様にこてんとアグニに寄りかかる。

「でね? そこからほとんど記憶はないんだけど、研究用に作られた別館には薬品や器具、起爆性の魔法石や発熱性の魔法陣なんかがあって、あたしはそこで――」

 ミーナは考えるような間を開けてから、まるで重要な真相を告げる様に言った。

「――この傷を負ったの」

「は?」

 アグニの眉が寄る。

「いや待て、事故はどこ行った? 事故の真相を話そうとしてたんじゃないのか?」

「それはそうなんだけど……でも、そこで何があったのか、あたし知らないし」

 眉の皺が深くなった。覚えて無いとは言っていたが、まさか一番肝心な部分を忘れているとは思っていなかったから混乱する。

 それでもミーナの言葉は不明瞭なまま続いていく。

「あたしにはそのときの記憶がないんだよ。けど、何か大きな事故があったのは背中の傷から間違いないでしょ? なのに父様も母様も、その時のことを話してくれなかったの。『お前が生きていてくれたらそれでいい』とか言って、いつもはぐらかされちゃってた。だからきっと、あたしが何か大きな失敗をしちゃった所為で事故が起きて、事故が起きたから背中の傷は出来たんだろうなーって、思ってるんだ」

「あー……つまり、傷が出来た本当の理由は何も知らないって事か?」

「まあ、その通り……かな」

 にへへー、と。ミーナは困ったように笑った。その顔を見たアグニは、ミーナの頭をぽんぽんと叩くように撫でながら「なんだそりゃ」と気を抜いたのだった。

次回 「 想いと思い出と、寂しい気持ち 3 」

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