最後の手記
日本を日本たらしめるものは何か?ということがテーマ
誰にも見せることのできないこの手記に、
何か価値があるのであろうか?
自分のために。
思考の整理するために書いているのではない。
頭は冷え切っている。
愚痴日記、というのが一番近いかもしれない。
日記は他者に見せることを前提としてないから。
それでいながら、
自分の言語世界に浸るのではなく、
だれかに、読んでもらいたい、
そんな気持ちが、心に片隅に、
花開くことない蕾のように固く結ぼれている。
承認欲求か。
誰に?
日本という国がなくなった。
死なない生物などいないように、
滅亡しなかった国家もない。
日本もまたしかり、というわけだ。
しかし、
われら島国の民は、日常を生きている。
歴史的転換点において、
9条派は被植民地化を無血開城と称した。
一部の旧自衛隊と愚連隊が組んでレジスタンスとなったが局地的で、
多くは、無関心に、成り行きに任せ従順だった。
支配国は、従順さを”果断なる平和主義者”だと賞賛した。
日本という国が、滅びなくなっても、自分が死ぬわけでもない。
トチ狂ったレジスタンスが、協力的でない10代の女の子を襲ったとのニュースが流れたが、
本土決戦がなかったことで、
婦女子の陵辱がほとんどなかった。
それでも、国が滅ぶという未曾有の事態に、島を喪失感が覆った。
多くの人が胸に感じるこの無常観こそ、日本という国家がなくなって栄える日本精神文化だ、
という文化人がいた。
伝統文化の継承と消滅、先進文明の淘汰と洗練を、感情なく呟く声があった。
支配者は、
平和を愛するものには、安寧な生活を保証すると、説いた。
社会保障は、本国と同等にコントロールされるため、生活保護など一部の弱者は切り捨てられたが、
税率などは、トータルではほぼ変わらず、
生活水準を維持することができた。
大多数の旧日本人は、安堵した。
三年後、
支配国から通達があった。
「公用語以外の言語の使用を禁止する」
学校教育は、すでに支配国の言語が用いられている。
役所の公文書は、日本語と支配国の言語が併記されていたが、日本語が消えた。
日本語が消えた。
そもそも、島国でしか使われない言語は不便で仕方なかった。
年老いて母国語を習うことは老人には難しく
生活での話し言葉としては、緩く許容されたが、
文書は厳しく統制された。
文化保護の観点からの非難を避けるため、
出版物は、旧国会図書館にて収集され直し、
その他は、焚書された。
そして五十年。
正直、もうこの手記を他人に見られても、罰せられることもあるまい。
日本語が読み書きできる人間は、私しかいないのだ。
何を書いているかわからない。
私が死ねば、日本語が死ぬ。
だが、それがどうしたというのだ。
島の民は、平和に暮らしているではないか。
それでいいのだ。
それでいいのだ。




