落下少女
歩き続けてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
閉じていたまぶたを見開く。
思い立つようにして周囲を見渡してみた。
しかし、いつも目に映るのは常に見慣れた光景。
そして、それを指し示すかのように…。
「また死んでる…」
目を見開いた少女。
友人だったはずの彼女が、祈るようにして手を合わせたまま倒れていた。
死体として腐臭を静かに放つ少女。
そしてそれを静かに見つめる私。
私から目を覚まさせたのは、彼女から静かに漂う死臭のせいではない。
私から正気を奪おうとする飢餓のせいか。
それとも猛烈な喉の渇きか。
けれど、今となってはそんなことを感じる余裕すらなかった。
寒い…。
凍えて死んでしまうような寒さだ。
そのせいだろうか。
ただ身に押し寄せるそれのせいで頭もろくに回らない。
誰かが来てくれるはずだ。
そんな気持ちをどこにも抱いていない自分に気付き、思わず苦笑する。
しかし、そう思うと不思議と安心を覚える。
自分はまだ生きているのだなと。
そんな当たり前のことを呆然と考えていた。
頭上を見上げる。
真っ黒に染め上げられた空には何の表情も伺い知ることはできない。
ただ沈黙を保つだけだ。
「……」
どれくらいの時間が経ったのか。
どこまで歩いていけばいいのか。
もう一度私は街を眺める。
住んでいたはずの街。
そこは、光が差すことのない死者の国だった。
「うっ…」
無造作に周囲にまかれた悪臭が強くなり、思わず鼻を覆う。
ただ嫌悪感がこみ上げるだけだ。
私たちはここで死んでいるよ…。
そんなことを教えようとしているのか。
視線の向こうに、自分を呼んでいるのか。
騒がしい声が聞こえてくる。
あれは…。
声を発する方へと目を移す。
見慣れた学生服を着ている。
自分の知る学校のみんながいたはずだった。
けれど…。
「…違う」
私の知る人は誰もいなかった。
獰猛さを秘めた灰色の濁った瞳。
何もない空間を見つめてはゲラゲラと笑いだす者。
急に倒れたまま、動かなくなる者や辺りの人々を襲っては楽しんでいる者。
死者と一言といっても、様々な種類の死者がいた。
目の前で広がる光景は、さながら死者の宴だ。
「……」
もう何の感慨もわかない。
けれど…。
「逃げなきゃ」
自分に言い聞かせるように言葉にする。
自由になった彼らを見て羨ましさすら覚えていたからだ。
同時に、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪を抱く。
きっとお腹がすいているからこんなことを考えてしまうんだ。
無理やりそう納得することにした。
だれども…。
このまま楽になりたい。なってしまいたい。
その気持ちだけは確かだった。
歩こう。
自分に言い聞かせるようにして私は再び歩き始める。
どこへ?
答えなんて分からない。
それでも、ここにいればどうなるかぐらいは分かっている。
このままでは…。
無事に彼らの仲間入りだ。
だけど…。
生きている。
自分はまだ生きているんだ。
彼らとは違う。
まだ…。
苦痛や喜びにも似た死者の呻き声に紛れ、入り組んだ裏の脇道を歩く。
なぜこんなことになったのか。
思い出せない。
自分が目を覚ました時、すべてが変わっていたのだ。
無理もない。
ただ淡々と道を歩いていく。
「あと少し、きっともう少しで」
無理やりそう言い聞かせ、折れそうな足に力を入れる。
敷き詰められた真っ黒な空間。
理性を奪われぬよう耐えながら歩いていく。
あれって…人?
代わり映えのしない景色に変化を見つけた。
目の前に一つの影が映っていたのだ。
だが影と呼ぶにはかなり黒に近い。
薄暗い通路を染める黒さえもさらに色濃く塗りつぶしてしまう。
そんな歪な人の影。
向こうも、こちらに気付いたのか。
こちらを覗き込んできた。
私はそれを眺める。
美しい長髪とか細い身体。
少女のシルエット。
それだけで彼女が美しい容姿をしているのだと理解してしまう。
「やっぱり!」
胸を撫で下ろす。
助けにきてくれたんだ!
安心感からか、腰が抜けそうになる
しかし…。
なぜだろう。
それは人のはずなのに、どこかへとすぐに消えてしまいそうな。
そんな気がした。
駆り立てるような焦燥感。
自然と足が速くなる。
待って…
彼女に歩いていく。
待って!
一心に、少女へ駆け寄る。
彼女に触れた。そんな気がした。
自分は助かるんだ。
そう思った矢先のこと。
「あっ…」
足に違和感を覚える。一瞬の出来事。
視界が暗転していた。
「っっ……!?」
今まで感じたことのない浮遊感。
私は遠い暗闇へ落下を始めていた。
風を裂く轟音とともに全身を風が突き抜けていく。
転落をしてしまった。
それも、とても高い崖から。
落ちたんだ、私は。
そんな状況にも関わらず、不思議と落ち着いていた。
私は数秒後には生きてはいないだろう。
ただの薄暗い路地を赤に染めるだけだ。
けど…いいのかな。
救われた。
不思議とそう思える。
彼らと同じにならずにすむ。
だから、きっと…。
あれは…。
人影が見える。
少女の影だ。
それは意思をもったように、こちらに振り向く。
「……」
影はこちらを見つめると、口角を吊り上げて何か言葉を呟いた。
これから起きる惨状を期待するようにしながら。
「い、いや…」
嫌だ。
やっぱり、こんな死に方なんて嫌だ。
こんなことのために…。
私は辛い生活に耐えてきたのか。
今までの思い出が走馬灯の様に駆け巡る。
自分が落下していく速度に合わせるようにして。
異様に長く感じられたその数秒。
頭蓋骨が砕ける音とともに、身体全体に冷たさが一気に広がった。