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勇気、ください。  作者: 愛野 恵。
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母親の性格

 家庭環境ももちろん、場面緘黙の原因になるのかも知れないが、パソコンで場面緘黙について調べている時に、気になる記事があったのだ。

 それは日本ではまだそんなに知られていない場面緘黙の誤解されやすい原因の一つとして、「過保護・支配的な母親」「無関心な父親」ということが書かれていたからだ。

 

 誤解されやすいという点から、直接の原因になったと考えるのは違うのかも知れないが、全く影響がないとも言い切れない。

 「過保護な母親」説について。私は娘を過保護に育ててきた。自分の中に不安があり、小さいうちから子供を一人でどこかに行かせたりもしなかったし、一緒に歩いていても、車の事故に巻き込まれないように過敏になったり、行き慣れない土地でははぐれてしまわないようにかなり神経を使っていた。少しの気の緩みが大事故になってしまうかも知れない、と、どうしても頭の中で悪い方向へ物事を考え、それを子供にも伝えてきたから、子供たちも不安に思う部分が多くなってしまったのかも知れない。

 そして、「無関心な父親」説については、旦那さんも、父親としての自覚がなかなか芽生えず、育児を私一人に任せていた部分もあった。一般的に、父親が教えることが多い野球のキャッチボールを息子に教えたのも私だった。当時の旦那さんは、「毎日仕事で疲れてるのに休みの日まで子供と遊べない」ようなことをよく言っていた。私はその当時は専業主婦だったので、それ以上は何も言えず、私が父親の代わりに男親がやるようなことを子供にしてあげたらいいんだ、という気持ちでいたのだった。

 「支配的な母親」説については、私は反省すべき点がいっぱいある。旦那さんと離婚する前には、関係がギクシャクして家の中の雰囲気もかなり悪かったので、そういう時に子供に甘えてこられると、イライラししてきつく当たってしまったりしたこともあった。そして、私の性格上、子供たちがちゃんと何かを出来ないとイライラして言葉で攻めてしまうことも多々あったのだ。やはり、そういう私の一面も娘の場面緘黙に多少なりとも影響を与えているのだと思うと、本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。


 別のサイトを見ていて、こんな意見もあった。

「私が小さい頃、自分も引っ込み思案でした。場面緘黙って遺伝するのでしょうか」

 私にも、これに当てはまる節があった。今でこそ、客商売で人前で大きな声を出せているが、子供の頃には随分とおとなしい子供だったのだ。

 自分でも忘れらないのは、小学校2年生の頃。音楽の授業の時に、トイレに行きたくなったが、「トイレに行きたい」というのが恥ずかしいことだと思ったために言えず、結局その場でおもらしをしてしまったことがある。幸い、周りの子に笑われたりすることもなく、私がおしっこを漏らしたことは知られずに済んだが、今思えば、おもらしをしてしまうほどトイレに行けなかっただなんて私はなんて恥ずかしがりだったんだろう。

 小学校3年生の時には、夫婦で出かけたお父さんとお母さんに、本当は「私も一緒に行きたい」と言うことが出来ずに、二人が出かけている間に壁に『私も行く』と落書きをしたことを覚えている。

 今の娘のように自分の親にさえ、そういう気持ちをちゃんと伝えられなかった私も、場面緘黙のような症状があったのかも知れない。

 そして、もしかしたら確認されていないだけで、遺伝の可能性もあったりするのではないだろうか。よく、お腹に赤ちゃんがいる時や、産んでから赤ちゃんをあやしている時なども、「母親が不安がると赤ちゃんに伝わってしまう」と言われることがある。それと同じような感じで、母親が極度の心配性の場合、それが子供に伝わって、子供も不安になってしまうのではないだろうか。


 自分自身で思い返してみると、こんな引っ込み思案な性格がだんだんと落ち着いていったのは、中学校に入ってからぐらいかも知れない。自分の中で何かがあったわけではないが、成長して「このままの自分でいいのか」という自問自答から、きっと変わってきたのだろうと思う。小さい頃から歌手になりたいという思いもあったので、オーディションを受ける機会もあったし、人前で大きな声で歌ったり、踊ったり、演技したり、とにかく何か出来なければ、と自分を奮い立たせたからかも知れない。


 自分の経験を考えると、もしかしたら娘も自分の中で何かが起きて、嘘のように場面緘黙の症状が消える日が来るかも知れない。

 けれど、いつかそういう日が来るのをただ何もせず待つわけにもいかない。少しでも早く症状が改善されるように、きっかけ作りというか、こちらからも何かしらのアクションを起こさないといけない、と私は考えたのだ。 

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