家庭環境
娘が場面緘黙になった原因が、家庭環境にあるとしたら・・・?私はあらゆる方向で原因になるかも知れないことを考えた。
私は結婚当時、実家に住まわせてもらっていたので、旦那さんはマスオさん状態だった。そのことが関係するのかしないのかは知れないが、新婚生活からラブラブというわけではなく、娘が生まれた後には夫婦関係は完全に冷え切ってしまい、息子が9歳、娘が2歳の頃に一度離婚をしている。その頃、私には付き合っている男性がいた。旦那さんが私を見てくれない寂しさから、別の男性に甘えてしまったのだ。離婚が成立したら、どうせその彼氏と再婚するんだし・・・と、娘を何回かその人に会わせたことがあるのだ。今になって考えると、まだ2歳と言えども、突然パパじゃない男の人に会ったりしたら戸惑うのではないか。実際、2歳にして娘はすごくその人のことを覚えていた。自分と遊んでくれて楽しかったからなのかも知れないが、彼の車と同じ車が停まっているのを見ると
「あ・・・?」
と言ってその車を気にしたりすることも度々あった。その後、その彼とは一緒になることもなく終わり、子供たちのために元の旦那さんと復縁したわけだが、娘の中にあの時の彼のことがまだ残っているのかも知れない。私も怖くて今更娘に「青い車の人覚えてる?」とか聞けない。
もしかしたら、この一件が娘の心の奥に不安感を植え付けてしまったのだろうか・・・と私は考えてしまう。子供たちには離婚をしたことはしばらく伏せておこうと、「仕事の都合でパパだけ家を出る」という風に言い聞かせていた。復縁したのは、それから半年過ぎた頃だったから、半年ほどしか旦那さんと離れていなかったのだが、小さいながらに娘は考えていたのかも知れない。「パパがお仕事でいないだけなのに、この人は誰だろう」と。でも、当時は私も「彼氏のことも娘は小さいからそのうちすぐ忘れる」とタカをくくっていたのだが、もしかしたら未だに覚えているのかも知れない。
復縁してからの私は、とにかく子供たちに心配をかけまいと、旦那さんと仲良くしていつも家庭に笑いを絶やさなかった。幸い、子供たちは私の言動にいつも楽しく笑ってくれるので、私も本当にいつも救われた思いをしていた。
そして、最初は「子供たちのためだけの復縁」だったのが、私も旦那さんもお互い反省して、今までは意思の疎通がちゃんと出来てなかったからうまく行かなかったんだ、と、何かあればきちんと話し合い、小さなこともちゃんと相談して、だんだんとギスギスしていた関係も穏やかになってきた。
そして、復縁を機に、私たちはマイホームを購入し、お世話になっていた実家を出た。と、言っても、実家のすぐ近くにたまたまいい物件があったので、いわゆる『スープの冷めない距離』で実家と行き来出来るようになり、これはこれでまた良い結果になったと考えている。
実家を出たおかげで、今までマスオさん状態で動きづらかった旦那さんも、一家の大黒柱、子供たちの父親という自覚が芽生え、以前よりかなり頼りになる存在になった。ただ、私は・・・実家にいる兄から言わせると、「母親を捨てた」ように見えたらしく、散々ひどいことを言われた。私は母親のためにも自分が実家にいるより、近くに住んで時々訪れる方がいいと思ったから家を出ることに決めたのだ。実家には独身の私の兄が住んでいる。この先、実家に住み続けたとしても、子供たちはどんどん大きくなり、自分たちの部屋も必要になるだろう。上の子が大きくなり、兄と衝突しないとも言い切れない。兄もまだ40代。私たち一家が家を出たことで、兄も気兼ねなくお嫁さんを迎えられるかも知れない。そんなことをいろいろ考えての上で、実家を出ることに決めたのだが、未だに私が実家に行くと兄は不機嫌な顔を見せる。まぁ、それでも母親がわかってくれているので、いいのだ。
自分たちの家が出来たことで、娘は少しは安心出来ただろうと私は考える。
「パパのお仕事はもう終わったの?」
と、娘が聞いてきたことがあった。仕事の都合で家を出ているという言い訳を信じていたからだろう。
「もう終わったから家に帰ってきたんだよ」
そう言うと、娘が安心したような顔をした。やはり、娘にとって父親は旦那さんであって、他の誰でもないのだ。旦那さんも、離婚する前と今を比べると、断然今の方が父親らしく、子供たちの面倒も見てくれるようになったし、家のため家族のためにいろいろと動いてくれるようになった。
娘があの彼氏のことを覚えているかは今となっては聞けないが、自分の父親がちゃんといてくれることに安心してくれたらいいな、と思うのだった。
離婚をしたのが娘が2歳の頃、復縁したのがその約半年後。実家を出たのがその翌年。2~3歳で、家庭環境に変化があり、いい方向に向いてはきたが、その後4歳で幼稚園に入り、また少し環境が違ってきたため場面緘黙になったのだろうか。集団生活を始めた娘には、ある特徴があった。それは、何をするにも「一番最後」なのだ。移動する時も、お片付けの時も、給食の時も。先生に気にかけて欲しいけど自分から言えないので違う意味で目立つようにしていたのかも知れない。この頃から少しずつ周りの子と違う感じがしていた。