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扉を開けた瞬間、外は空襲でひどい有様になっているだろうと思っていたが、空は案外真っ青に透き通っていて、窓越しに見た壊れた建物や街並みは何もかも、元通りになっていた。
「ね、大丈夫って言ったでしょ?」
猫はどこか誇らしげに言う足を進める。
「待ってよ」
私は若干戸惑いながらも猫の後を追う。
「これ、どうやったの?何かの手品?」
猫に追いついた私は同じ歩調をとりながら猫に言う。
「そんな訳ないよ。ただ壊れた街じゃあ、瓦礫が散乱していて歩きづらいからね。でも街を歩く人たちはここにはもういない。この世界は、君と僕の二人っきりって訳さ」
そう言われてみれば、ここに来る途中あれだけいた人々がどこにもいなかった。まるで今、私たちが歩いている街は、ゴーストタウンのようだった。
猫の後を追いながら私は聞く。
「で、空襲から逃れようとした、私たちはいったいどうなったの?」
「なんだか君は自分のことなのに、人ごとのように僕に聞くんだね」
「かもしれないね。どうしても思い出すことができないから、自然と私の中でそうなっているのかもね……」
「分かったよ。じゃあさっきの話の続きをするね」
そう言って猫はさっきの話の続きをする。
街から逃げる大衆の中に紛れ込んだ君達と逃げている途中、また街全体に鳴り響いた空襲警報に気が付いた。それは、その場にいた人々にとっては、死を知らせる鐘のようなものだった。
上空には再び複数の爆撃機がやってきて、爆弾の雨を降らせていく。こうなってしまったら大衆はもうすでにパニックさ。人たちは逃げるのに必死で先へ先へと人を押しのけようとする。
そんな混乱に君は両親と離れてしまったんだ。いや、離れただけならまだましだったのかもしれない。
両親と離れてしまった先で一発の爆弾が落ちて炸裂したんだ。そして、君は見てしまった。両親やその他、大勢の人が肉片を辺りにまき散らしながら死んでいく姿をね。
君は血とも泥とも分からない汚れを顔につけながら、その場で腰を地べたにつけて動かなくなってしまった。
僕はそんな君の服を引っ張った。ここにいるのは危ないって思ったからね。何度も何度も僕は君に対して呼びかけたし、服を強く引っ張ってもみた。だけど、君の目には僕の存在なんか入る余地がなかった。
街の爆撃がより激しくなった頃、結局君をその場から引き剥がしてくれたのは、先の出来事を見ていた街の警備員を名乗る体の細い男の人だったかな。混乱の中ずっとふさぎ込んでいる君が気になったみたい。
警備員は君を抱えて街の外れにある丘の上まで連れて行ってくれた。それで意識を失っている君の代わりに、猫の僕に『この子を頼むよ。僕はまだしなくちゃいけない仕事があるんだ』ってお別れの言葉を告げてその場を去って行ってしまった」
猫は、そこで口を閉じた。猫の話を聞いていたので気が付かなかったが、いつの間にかこの街の公園に、私達は辿り着いていた。
公園と言ってもそこは小さなもので、木に囲まれた簡単な遊具に噴水がある程度だ。
猫は公園の木のベンチにちょこんと飛び乗り、私にもここに座るように言う。
「ここはいったいどこなの?」
私は、猫の隣に座ると聞いてみた。
「公園さ」
「いや、公園なのは見て分かるよ。私が聞きたいのはなんでこんなとこに、あなたが連れてきたのかってこと」
猫はふふっと笑った。
「懐かしかったからさ……」
「え?」
「僕がここに来たのは、この公園が懐かしかったからさ。よく君は僕をここに連れてこの公園に来ていた。それで、僕と一緒に遊んでくれたんだ。今、思ったらその頃が一番楽しかったかもね」
「そんなの今の私に言われても分かんないよ……」
猫の他愛ない笑顔は、私は正直ずるいと思った。さっきみたいに私を馬鹿にしたりからかっているのなら言い返せるものの、今はどんな言葉を投げかければいいか分からなくなる。
そして、隣に座る猫は、どこか遠いとこを見るように再び話しだした。
「君はね。警備員の男に助けられた後、少ししてから目を覚ましたんだ。君の目に真っ先に移りこんできたのは、真っ赤に燃える街の光景だった。
街は一日かけてすべて燃え上がり、灰と瓦礫だけになった。丘の上に逃げてきた街の人達は、そこで何日も途方に暮れてしまった。食料もなければ水もない。おまけにこれから行く当てもない人たちがそこには大勢いた。
僕と君もその中の一人だった。助けてくれた警備員の人はいつまで経っても戻ってこない。もしかしたらとっくに、爆撃に巻き込まれて死んでしまったのかもしれないし、それとも僕達を見限ってどこかへ行ってしまったかもしれない。でもそんなこと僕たちにとっては知る余地もなかった。
誰も助けてくれない日々が過ぎて行った。人がどんどん餓死で死んでいくのを僕たちはそこからずっと見ていた。君はあれからずっと生きる希望を失ったような顔をしていたね。僕も君とは大差なかったけど。
僕は君を見限って一人で生きていく選択肢もあった。だけどなぜかそれはできなかった。このまま君と一生を終えられるのなら、それでもいいかなって思ったからかな。
君は、僕にとって大切な家族だったからね。君を見捨てることなんてできる訳なかった」
猫の口調が少しだけ涙ぐんできたのは、私の気のせいだろうか。しかし、私はそれをからかうことはできなかった。この猫は必死にあった出来事を、私に伝えてくれているのだから。
「私はそこで死んでしまったんだね・・・」
私がそう言うと猫は首を左右に振る。
「いや、死んだのは僕だけさ」
「どういうこと?」
猫はまた話を続けだした。
「もうだめだと思ったかすかな意識の中、僕と君の目の前に黒い服を着た男達、数人現れた。一瞬、死神でも迎えに来たのかと思ったけど、生憎それは生きている人間だった。
その男達は君に手を差し伸べてこう言った。『さぁ一緒に来てもらおう。悪いようにはしない・・・』って。
君に男達の力に抗う力は残ってなく、男達に抱えられながらどこかへ連れていかれてしまった。そしてそれが僕の生きていた時の最後の記憶だ……」
猫はそう話終わるベンチをすっと降り私を向いて口を開ける。
「ここまでで、なにか質問はある」
「私はその後、男達にどこに連れていかれたの?もしかして軍隊の奴隷にでも、されたとか?」
「奴隷か・・・。いや、ある意味それよりもっとひどいことになったのかもしれないね」
私は体に力が自然と入ってしまいベンチから立ち上がった。
「私に何があったのか、教えて!」
声にも力がこもるが、猫はふふんと笑う。
「分かったよ。けどそれはまた後でね・・・・」
猫がそう言ったのを最後に、私の頭の中が朦朧とし全身の力がそこで抜けてしまう。
「待って・・・よ・・・」
そんなことを口に出すが、もう言葉になってはいない。
そして私は、その場で倒れこみ意識が遠のいてしまった。