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「それは冬が近づいてきて、少しだけ肌寒くなった季節のことだった」
猫が口を開いたのは、私達が施設の外に出て中庭を歩いている時だった。猫は空を見てつぶやく。私も空を見ると、ここにたどりついた時とは打って変わり、一面灰色の雲で覆われていた。それはまるで、雪でも降りそうなくらいどんよりとした雲だった。
「君は気が付いてしまったんだよ。この施設全体が異常なことに」
私は黙って聞いていると、猫はさらに話を始める。
「君の部屋の窓ガラスは、他の部屋と同じように板で塞がれていたけど、なんせ建物自体が古いから外が見える隙間があったんだ。そこで君は、夜眠れない時は外を見て時間をつぶしていた。
でも、そんなある日のことだった。建物の外からトラックの音が聞こえてきた。それに君が目をやると、夜中トラックに大人が数人で子供たちをトラックの中に乗せていたんだ。
初めは施設から外の世界へ出ていく子達なのだと思ったが、君は月明かりに照らされた子供達の表情を見て、ぞっと恐怖心が増した。それは、生気を失ってまるで、見るからに死人のような子供たちが、そこにいたからだった。
君はすぐに目をそらして、ベットの中に潜り込んだ。嫌なものを見てしまったかのように目を強くつぶる。早く寝てしまおうと思った時、夜の巡回をしていた警備兵の話す声が隙間から聞こえてきた。
兵士の男が話す内容はこうだった。あの子供達の行方や、これから人間爆弾になること。それに、違う建物で人間を化け物にしてしまうような訓練をしている子供がいること全てだった。
君は子供の姿や、その兵隊の言葉が一晩中頭から離れなくなっていた。
そして次の日、同じクラスだった子供たち二人に相談した。そこからだ。そこから君たちの脱出計画は始まったんだ」
猫が話をしだした時、空からはちらほらと雪が降ってきたかと思うと、雪はすぐに地面を真っ白に覆い隠し、一面雪だらけになった。
猫は、そんな様子なんか気にもしないかのように話を続ける。
「雪が積もったある日、君達はこれまですべての情報を集めて練った計画を、ついに実行に移した。その計画とは、警備兵を眠らせて隙を見てこのフェンスを駆け上って、外へ出るという単純なものだった」
猫がそう言った時、赤い返り血が付いた二人の男の子と全く汚れがついていない、女の子一人が、私の後ろを颯爽と通り過ぎて行くのが見えた。三人とも裸足で雪の中を走り、フェンスの方へ向かって走っている。その後ろで兵隊の、止まれ!という怒鳴り声が聞こえてきた。
でも子供たちには、止まろうとする気配はない。必死にフェンスを駆け上っていく。
「最初は、計画通りに事が進んでいた。でも犠牲も出た。三人は最初の兵隊から奪った銃で、次々と兵隊を殺していき、そのままフェンスを力ずくで上り切ろうとして失敗した」
猫が言い終わると、後ろから突然、ライフルの銃声が聞こえてきた。それは最初に雪を駆けていた男の子がフェンスを上り切った時だった。
その男の子の服に無数の銃弾の穴が開き、フェンスの下へと転がり落ちる。次にフェンスの上に登ったのはもう一人の男の子。だけど、その子も当然のようにライフルの餌食になった。
地面に落ちた男の子二人は、目を開けて血を口から流しながら、雪の上を自分たちの血で染めた。でも、そのおかげで、すでにフェンスを上り、向こうに飛び降りてしまった君には当たらなかった。
君は男の子二人が死んだことに気が付くと、振り返ってフェンス越に名前を叫んだ。でも男の子達からは返事は返ってこない。
君は流れる涙を腕でぬぐいながら、裸足のまま森へと走り出した。一言だけ『ごめんね・・・』と二人の男の子達に告げてね」
猫が口を閉じると、施設内では警報が鳴りだした。警報と共に子供が脱走したと告げ、見つけ次第殺すように兵隊に呼びかける。
だが、その警報はすぐに収まり、辺りを見渡すと雪の上に横たわっていた男の子二人も、いなくなっていた。
居るのは真っ白な雪の中に、目の前の黒い猫と私だけ。
「今のが、私なのね……」
私は猫にそっと小さく言った。
「そうだね。君はこの施設で、ただ一人脱出することができた。そして、冬の雪が積もる森の中をただひたすら裸足で走り抜け助かったんだ。
でもね、君はここで作戦のために殺した兵隊や、失った仲間の思いを、これから抱えて生きていかなければいけなくなってしまった。それは、まだ子供の君にとってどんなに重くのしかかったのか……僕には想像もつかないね」
猫は私の顔を見て言うと、さっきで治まっていた頭痛が再び襲ってきて目眩がした。目の前がぐらぐらと揺れる。
頭を押さえて、私は猫に言った。
「この後、私は、どうなったの?無事なの?」
「ふふっ。君はこの施設の近くにある村で無事に保護されたよ。でもね、君の物語はまだまだ続きがある・・・」
「それは・・・?」
「次に目が覚めた後で話すさ・・・。物事には順序があるからね・・・」
猫が笑いながらそう言ったのを最後に、私の意識が遠のきそこで途切れてしまった。次に目が覚める場所は、たぶんあの部屋だろう。そんなことを思いながら、私は猫の笑い顔をかすかな意識の中見て目をつぶった。倒れた感覚は全身には伝わってこない。そこには、雪の冷たさも感じなかった。