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コンコン
「夏目せんぱーい
こんにちはー」
デスクで本を開いて
ノートに何かを書いている
今日は眼鏡をかけていない
講義がある日はかけない様だ
「冬音…
またお前か…」
いつもの調子で
怠そうに背もたれに体重を預けて冬音を見る
「…」
2人いることに
一瞬固まる夏目
顔がひきつっていく
「私の親友の由香です」
冬音が由香の紹介を言い終わるか否かの所で
夏目は冬音を引っ張り本棚の裏に連れていく
「うわっ
あ、由香はソファーでくつろいでてー」
由香にそう言いながら
冬音は消えていった
「どういうつもりだよ」
「え?
先輩が由香を1度見ておきたいって言ったじゃないですか!」
由香に聞こえないよう至近距離でコソコソと話す
「お前らがくだらないことしてる間に
俺はとっくに観察してんだよ」
「え!?
でも先輩講義うけてたじゃないですか
私見ましたよ!」
「講義室覗いたのかよ…」
無駄だとしか思えない行為をしている冬音に
心底呆れる
「あの講義室から外見てたら
お前達がおかしなことやってるのが
見えたんだよ」
「おかしなことってなんですか!
菜胡ちゃんを由香に紹介してただけです!」
徐々に冬音の声が大きくなる
「知ってるよ、見てたからな!」
そんな冬音につられて
夏目の声も大きくなる
2人のコソコソしながらも
聞こえてくる声に反応して
本棚の裏を覗きに来る
「冬音?
何、してるの?」
「あ…」
「…」
振り向いた2人は
話し込んでしまっていたことに気づいた
「あはは…
何でもないよ」
ぎこちない笑顔を作りながら
冬音は由香とともにソファーに座る
一瞬だけ振り返って見た夏目の目は
冬音を睨んでいた
あまりの寒気に
見なかったことにした冬音
「ったく
何部外者連れ込んでるんだよ」
ドカッと2人の向かいのソファーに腰を下ろす
「あ…私が夏目さんに会ってみたいって言ったんです」
夏目の威圧的な雰囲気を感じ取ったのか
由香は申し訳なさそうにする
その横で自分に責任が無いことをアピールするように
何度も頷いている
「はぁ、どうせ冬音の思い付きでここに来たんだろ?」
「え…だって…
ここにいる確率が一番高いと思ったから…」
決して由香に強くせがまれた訳じゃない
なんとなくでここに連れてきたことがバレている
ビビってしまった冬音は
モゴモゴと小さい声でしか喋らない
「で?
なんでここに来たんだ?」
「だからさっき言った…」
そこまで言って隣に由香がいることを思い出した
ここで冬音が由香を連れてきた本当の理由を言ったら
さっきコソコソと夏目と話した意味がなくなる
「えっと…
だから、あれですよ!
心理学部の名物である夏目先輩を見てもらおえと思ったんですよ!」
やってしまった
「…」
夏目は黙ったままで何も言わない
その無言が
冬音を精神的に追い詰める
「ごめんなさーい!」
ギリギリまで耐えたが
もう崖っぷちまで追い詰められた冬音は
由香をおいてその場から逃げ出した
「冬音!?」
衝撃的な逃げ足の速さと
自分がおいていかれたということに
驚くしかない由香
「謝ってるけど反省なんかしてねーだろ、あれ
最悪また部外者を連れ込むかもな…」
未来を予想して頭を抱える
夏目は冬音と出会って
長く一緒に過ごした訳ではないのだが
冬音がどういう人間なのか
かなり正確に把握し始めていた
そして
冬音を観察した結果を踏まえて夏目が想定した未来は…
まさにその通りになるのだが
それはまだ先の話
「あの…
冬音とはどうやって知り合ったんですか?」
残された由香は
気になっていたことを色々と聞いてみることにした
「あいつがこの部屋に
急に押し掛けて来たんだよ」
「へぇ
冬音は何事にも積極的ですからね」
「積極的ねぇ
確かにそれは認めるよ
大分振り回されてるがな」
「天才を振り回すんですね」
さすが冬音だなぁ
とケラケラ笑っている
「私も冬音みたいになりたいなー」
由香の口から本音がこぼれる
「あんな好き勝手やる女になりたいのか?
モテねーぞ」
「モテたいなんて思ってませんよ
冬音みたいに明るくて思いやりがある人になれればいいなーって
ずっと思ってるんですけどね…」
「あいつは…
冬音は、他人の悩みを聞いて共感できる
簡単にやってるけど
相当難しいことなんだ」
心理学では共感することが大切だと言われる
しかし夏目にはそれが出来ない
だから相手が共感されていると思うような
言葉を研究してきた
苦労したことを
自然とできる冬音が
驚異的な存在ともとれるのだ
「夏目さんは
冬音のことを良くわかってるんですね」
由香は親友の自分よりも
冬音のことを理解しているのかもしれない
と感心する
「まぁな」
夏目にとって
冬音は単純すぎて面白いくらいだ
想定した通りに動くのだから
由香をおいてきてしまったことを後悔しつつ
重たい足を懸命に動かし
やっと夏目恵介研究室の扉の前まで来た
一度ゆっくりと深呼吸をして
心を落ち着ける
そして
恐る恐る扉を開き
隙間から中を覗く
バレていない
そう思った冬音だったが
夏目の方を見た瞬間目が合った
「ほら、迎えがきたぞ」
こちらを覗く冬音を見ながら
由香にそう言うと
ソファーを立ち上がりデスクに向かった
「夏目さん
お邪魔しました」
冬音が来ていることに気付いた由香は
夏目に挨拶をすると
研究室を後にした
校舎を出て
広場に来た2人は
芝生の上に座って陽にあたる
「ごめんね
夏目先輩のとこにおいて行っちゃって」
「んーん
平気だったよ
お陰で色々話せたし
でね?
私、思ったんだけど
貴くんのこと諦めようかな…
いや、諦めってよりも
タイプじゃないってわかったっていうか…」
「え!?」
唐突な由香の発言に
軽いパニック状態の冬音
どうして由香の心に変化があったのかわからない
作戦は失敗だったのだから
まさか…
しかし1つだけ思い当たることがある
「夏目先輩に何か言われた?」
それしか考えられなかった
どんな心理トリックを使ったのかはわからないが
本気になった夏目なら
由香の心の変化を引き起こせそうだと
冬音はそう思った
だが、
「夏目さんとその話はしてないよ」
「え?
…じゃあ、なんで?」
確信に近かった可能性が消滅し
もう何がなんだかわからなくなっている
「冬音と夏目さんのやり取り見てて
こんなカップルいいなーって思ったの」
何の話だ?
冬音の頭の中は
?でパンクしそうになる
「だって冬音は夏目さんを信頼してるでしょ?」
「まぁ…」
夏目の噂を耳にして
実際に会って
信頼したから彼の言う通りに
作戦を行ってきた
信頼していない訳ではない
「夏目さんも冬音のことを誰よりも理解してる」
「それは…」
言葉にしたら同じかもしれないが
由香は大きく意味を履き違えている
夏目がそういう事を言ったのであれば
それは間違いなく
単純だから、とか
わかりやすいから、とか
そういう意味で言ったのだと
冬音は確信する
決して恋人同士で使う場合の意味を持つ言葉ではない、と
「もっと視野を広げてみようと思ったの
相手を縛っても安心なんかないし
自分の思いを押し付けるだけじゃダメだし
余裕をもって
恋愛をしようかなって
冬音みたいにね」
「あ…うん…」
当然ながら歯切れが悪くなる冬音
完全に由香は勘違いをしている
今すぐにでも否定をしたい
しかしその勘違いのお陰で
貴くんから脱しようとしているのだ
「そろそろ行くね!
あ、もしかして夏目さんとの事秘密にしてる?
なら、誰にも言わないね
今日はありがと!
またねー」
何かが吹っ切れたように
立ち上がった由香は
清々しそうに手を振りながら
大学を出て行った
1人モヤモヤが渦巻く冬音を残して
数日後
夏目恵介研究所には
珈琲を飲む夏目と冬音がいた
「もうこの研究室にも
慣れてきましたねー」
「慣れるなよ…
で、話ってなんだ?」
今日冬音がこの研究室を訪れたのは
くつろぎながら珈琲を飲むためではない
由香についての
報告をするためだ
「由香のことです
あれから、貴くんへのもうアタックは終わりにして
告白してくれてた他の男子と付き合ってます」
「貴くんじゃなくなったからって
恋愛依存症を克服したとは言えない」
「はい…
でも今回は友達の意見も参考にしながら
恋愛を楽しんでいるようですよ
しかも!なんと!」
急に声を大にしたため
夏目は冬音から距離を取ろうとする
「彼氏ができた由香に
貴くんが食いついたんです!
もちろんフッたらしいんですけどね」
「お前は…」
珈琲カップを片手に
哀れみにも似た視線を冬音に送る
「なんですか…」
「男は本能的に多くの女に手を出したがるし
更に貴くんって奴は
恋愛をゲームとして楽しんでる所がある
だから手に入りにくそうな女を前にした時に
スイッチが入るんだよ
自分に興味が無さそうで外見だけは良い
お前を見たときみたいにな
とすると
今まではいつでも手に入れられると思っていたが
急に他の男のものになるという
事態が起きて
手に入りにくい存在となった小林由香に
興味を持つのは…
想定できるだろ?」
細かく説明してくれたため
なんとか冬音もついてこられた
「夏目先輩じゃないと
そんなの想定できませんよ」
でもやっぱり
想定しろというのは無理な話だ
しかし冬音の依頼を完遂してくれたのも事実
「ありがとうございます
本当に解決してくれるなんて
正直びっくりです
恋愛心理士ってかんじですかね」
思い付いたネーミングを
勝手につける
「んな資格いらねーよ
2度と下らねぇ相談持ち込むな!
いいな!」
「はいはい」
珈琲を口に運びながら
テキトーに返事をする冬音
「ところで
小林由香が貴くんを止めた理由はなんだ?」
「っ…」
突っ込まれたくないところを問われ
珈琲を吐き出しそうになる
「それ、気になりますか?
知らなくても…」
「俺としては
そこが1番重要だ」
なんとか誤魔化したい冬音だが
夏目が許すはずがない
「知ってるんだろ?」
「…
あ、憧れのカップルを見つけたみたいですよ」
「あの、お前の紹介してた奴等に
憧れたのか!?」
そんな訳がないといった表情をする夏目
「いえ…」
「だよな
じゃあ、誰だ?」
言わないと帰れないと思い
重い口を開いた
「由香、私が夏目先輩と付き合ってるって勘違いしてて…」
それだけ言うと
夏目は全てを理解したようだ
「…」
「…」
時が止まったかのように
どちらも何も言わない
さすがの夏目も
こればっかりは想定外だったようだ
「というわけで
失礼しますっ」
沈黙を破り
研究室を出ていく冬音
…
ジッと冬音が出て行った扉を見ている夏目
まだ外に誰かいるような気がするのだ
気になって扉を開けると…
「まだいたのか?
何やってんだ?」
「うわぁっ…」
慌てて何かを後ろに隠す冬音がいた
「何でもないでーすっ」
そう言いながら
冬音は廊下をかなりのスピードで
駆けていった
嫌な予感がする
そう思って冬音のいた位置に立ってみる
すると目の前には丁度プレートがあり…
「恋愛心理士夏目恵介研究所…」
プレートの隙間にマジックで
"恋愛心理士"の文字が
「…っ冬音ーー!」
夏目の怒りのこもった声が
人気のない廊下に響きわたるのだった