とある演劇部員の綾姫観察日記-1-(★)
それは、前触れなく届いた、一通の手紙だった。あて先どころか、差出人すら書かれていない。まっさらな白封筒から現れでたのは、まるで指令書のような一枚の紙である。
無機質なフォントが、整然と並んでいる。しかし、その割にはいささか、内容は混沌としてみえた。
――――――――――
・オリキャラを持っている方は必ず男子と女子一人以上のオリキャラを連れて来園する事。
・ちゃんと、他の人が理解できる言葉を使ってください。
・この動物園なんか変だなんて突っ込みはしないでくださいね!
・フリー、地雷、指名は好きなように選択して下さい。
――――――――――
本宮は、困惑した。どうやら、動物園にいかねばならぬらしい。どうしてこんなことに?
遠ざかりつつある記憶をたぐりよせて、ひとつの出来事を思いだした。なんのことはない。――爆破されたのだ。
やれやれ、とため息をついて、本宮は思案する。
外は寒い。とても寒い。寮から出たら最後、融通のきかない静脈認証に閉めだされるおそれさえある。
それになにより、と本宮は、過去に訪れた動物園の風景を思いうかべた。
――人混み。まして、若いカップルがうようよといる人ゴミのなかに、どうして飛びこんでいきたいと思える?
否。休日の動物園になど、好んで足を踏み入れるはずもない。ゆえに、本宮は、うけとった招待券をすぐさま封筒に収めなおした。コミュ障の所業である。
指令書もどきは抜きとり、かわりに、その辺に転がっていたメモパッドから一枚切り離す。そこにボールペンで「指令」を走り書きして、招待券に添えて封筒に収めた。
封蝋などと小洒落たものはないので、かわりにシールで封をする。ちょうどいいものがなかったので、目についた値札シールを利用してみた。210円。ふむ、それなりの価格設定だ。
裏返した、まっさらな封筒。切手すらもないその表面に、本宮はボールペンを走らせる。
――蓮見汀さま。
彼女ならばきっと、この券も、「指令」も、悪いようにはしないだろう。念のため、姉の協力を取りつけられるように口添えならぬ書添えもしておいた。
「さ、がんばってきてよ。――私が起きるころに、返事もらってきてくれる?」
一声高く鳴いたハヤブサが、力強く翼を広げて、首を下げる。そこにかかった鞄のなかに、丁寧に封筒を収めなおすと、本宮は窓を開けた。
吹きこんでくる寒風をものともせず、華麗な翼さばきで飛びだしていったハヤブサを見送り、本宮は笑んだ。
「いってらっしゃい。すてきなレポートを期待してるよ」
そして、窓を閉めると、本宮は、ふたたびぬくぬくとした布団のなかに身を横たえた。
かまくら状に端を折り込んだ掛け布団は、熱を逃がさず、とても快適だ。まさしく冬眠にうってつけな、本宮自慢の巣穴である。
――おやすみなさい。
*****
なぜ、俺は、こんな場所にいるのだろう。さえぎるもののない冬風が、背中に吹きつけてくる。この冷たさ、容赦のなさ、まるで幼馴染のようだ。
せめてもの悪あがきに、コートの前をかき寄せながら、俺は、悪夢のようなできごとを思いだしていた。
突然の着信。てっきり蓮見部長からだと思って通話ボタンを押せば、聞こえた声は、蓮見は蓮見でも蓮見汀――第二学年で魔王とあだ名される女傑のものだった。
ちなみに、部長の通り名は「悪魔」である。初公演「ファウスト」でみせた迫真の演技――悦に入ったメフィストフェレスが、あんまりにもあんまりであったため、彼女の印象は揺らがぬものとなったらしい。もはや演劇部の生ける伝説だ。
「姫に王子に魔王に悪魔。どんなファンタジーだよ」
あと、天使もいたっけ? 我らが第二学年は、とんだ豊作である。もう校内でRPGつくれちゃうじゃん。……いつか部長が言いだしそう。不参加希望だけど、そうはいかないんだろうなあ。
俺自身が、第三学年の悪魔こと蓮見部長のしもべとしてみられているなんて、すこし前まで思いもしなかった。あながち間違いでもないけど。部長には、まあ、いろんな恩があるし。
俺が部長の頼みを断れないことを、演劇部員たちは、みんな知っている。部長の妄言のために、超ハイクオリティな『まさかり』を作っちゃうくらいだと。
ああうん……俺って、ほんと馬鹿。
閑話休題。部長のことは、いまはいい。いや、よくないけど! 部長も共犯だけど! ――主犯は、魔王こと蓮見汀の方だ。
あれはヒドイ。ほんとヒドイ。どのくらいヒドイかっていうと、ドSな俺の幼馴染、ジンに匹敵するくらい、ヒドイ。
あの日、部長からの電話に、俺はいつものようにワンコールで飛びついたのだ――。
「もしもし! 部長?」
「とっても嬉しそうな声で受けてくれたところ悪いけど、あたしよ」
「なっ、ななぎ、さ、!?」
「はいはい姉さんじゃなくて残念ねー。ということで、ちょっと協力してもらえるかしら?」
「……協力? っていうか部長は」
「もちろん了承済みよ」
「職権乱用反対!」
「乱用したのは職権じゃなくて、妹権だけど」
「どっちにしろ反対ィイ!」
「あきらめなさいな。あんたにはどうにもならない筋からの口添えがあったのよ」
電話口のむこうから、蓮見汀のため息が届く。
「べつに、難しいことは要求しないわ。うちの残念王子を連れだしてほしいの」
「星野を? なんで俺が?」
「あんたじゃなくて姫にね」
秒速で否定されて、スマホ片手にうなだれる。ああそう、そうですよね。凡人な俺はお呼びでないと。だったら電話すんなボケ。――もちろん口には出さない。
「ちょっと待ってよ、蓮見だって知ってんだろ、あいつの本性」
「直接みたわけじゃないけどね。お姫さま、あたしの前じゃ猫脱がないのよ」
「さいですか……」
幼馴染は、いまだに、おままごとを続けているらしい。その様子を想像して震える。なにそれ怖い。ぜってえ近づかない。
「そのうち馬鹿王子が姫を誘うわ。なんとかして受諾させてよ」
「丸投げすぎない!?」
「やれ」
「ひどっ」
あんまりにも冷たい声色に、スマホを握る手に力が入る。ちょっと部長に似てた。くそう、やっぱ姉妹だ。
「で、尾行して、あたしに報告すること」
「はあ!?」
「ああ、それと、バスタオル持参した方がいいわよ」
「ちょ、待っ――」
それきり、通話はあっさりと切れた。
着信拒否されたのか、かけなおしても一向につながらない。
おいおい、どこが難しくないんだ。無茶ぶりすぎる。……っていうか。
「部長の携帯で着拒すんな馬鹿魔王ぅうう!」
結局、着信拒否の解除を盾にとられた俺は、あえなく魔王の手のひらで踊らされることになったのだった――。
【とある演劇部員の綾姫観察日記〜in動物園〜】
そんなこんなで、むかえた当日。
不気味なことに二つ返事でうなずいたジンのあとを、おっかなびっくり尾行してきた俺は、正面ゲートにあるトイレの陰で震えていたというわけだ。
ここまでの道筋、おなじ車両に乗りあわせるわけにはいかないから、こっそりタクシーで尾行してきた。
「前の、あの車! 追いかけてください!」
一回使ってみたかった魔法のセリフを唱えた俺を、タクシーの運ちゃんは、あきれたように見返した。
「……つぎのバスじゃ、だめなのかい?」
ごめんなさいお願いします。バックミラー越しに土下座をかました俺を、なにも言わずここまで送り届けてくれたおっちゃんには、どれだけ感謝してもしきれない。
――必要経費が痛いです。主に心。
さて、そんな俺の苦労を知るよしもない、綾姫こと綾女臣は、今日も今日とて可憐な笑みをふりまいていた。
天使の微笑を一身にうけているのは、チケット売り場の男性――って、おい、なんで招待券のくせに釣りがくるんだよ!?
にっこり笑って、疑惑の釣り銭を革財布に収めるジン。そのとなりには、感極まったように口もとをおさえ、いまどきめずらしいガラケーを神がかったスピードで構える長身の少女がいる。
いまさら語るまでもない、あれこそが今回の元凶、星の王子さまこと星野旺子だ。
星野個人にうらみはないが、俺としては微妙な心持ちにならざるをえない。クラスちがうし、あんまり関わったこともないんだけど。いつも魔王のとなりにいるし。
そう。星野は、魔王の配下だった。仮にも王子でありながら魔王軍にとりこまれるとは、なんたる不覚!
悪魔にかしずいてる俺が言えた話じゃないんだけどさ。うん。ちょっと言ってみたかった。
って、そんなことしてる場合じゃなかった。見失ったら魔王に殺される。精神的になぶり殺される。永久着拒は笑えない。
連れだってファンシーなゲートを目指す二人に遅れないよう、俺は、購入済みのチケットを握りしめて足を早めた。
――ところで、なんで星野は鼻ごとおさえてたんだろう?
1.
「も、もふもふ……、もふもふ、と、あや、綾姫、が、同時に視界に……」
なぜか、アルパカにチケットを差しだすジンを凝視して、星野がフルフルしてる。
流れにそって入園しようとしていた俺は、あわてて列を横にそれて、その様子を観察することにした。
「うわぁあああ! やばいやばいやばいなにこれ夢の共演すぎる永久保存確定お宝映像いっそ家宝にいたしま」
「うるさい」
ふりむいたジンが、スパァン――と澄んだ音をたてて、星野の頭をぶん殴る。身長差をものともせず、みごとに手首のスナップをきかせた一撃だった。
――って、なにしてんのジン!?
それ、女の子! 残念でもちょっと気持ちわるくても、そこの王子は女の子だから!
あんまりにもバイオレンスな幼馴染の所業に、ぼうぜんと固まっているあいだに、ジンはひとりで先にいってしまった。
とり残された星野は、ジンに殴られた箇所を手でなでて、瞳に涙をためる。あああ、言わんこっちゃない。そりゃ痛いよな、あれ、俺もくらったこと――。
「綾姫に触られたぁあ……!」
ぐへへ、と笑いながら、今晩は髪洗えないと、歓喜の涙をこぼしてガッツポーズをきめる星野に、俺はなにも言えなくなった。……帰っていい?
2.
ふらりと現れ、案内役をかってでたオオカミを、ジンは、無言で見下ろしている。もとい、威圧している。
はじめのうちこそ友好的だったオオカミは、徐々に警戒心をみせ、それもまたいまとなってはすっかり大人しく……よくみると震えてないか?
「あ、綾女、くん?」
硬直状態に突入して十分。よくぞ聞いてくれた! と内心、星野に盛大な拍手を送りながら、俺は、ずびっと鼻をすすった。
寒い。とても寒い。なんで、お前ら動かねーんだよ。
「なに」
オオカミから目を離さないまま、ジンが言う。
「あ、あのさ、そろそろ」
よし、星野、いけ! いまだ、そのまま言っちまえ!
震える身体を抱きしめて、俺は、いまかいまかと次の言葉を待つ。
「――写真撮っていい!?」
ガラケーを握りしめて、全力で星野は叫んだ。
「もののけ姫! リアルもののけ姫! 山犬じゃなくてオオカミだけど綾姫可愛いから問題なし! ねぇ、撮っていい!? いいよね? ぜひコレクションに加え」
「却下」
ジンにすげなく断られた星野は、絶望したように固まった。じわじわと眼が潤んで――って泣くの!? ここで泣くの!?
わけがわからないよ、と頭をかかえた俺を置きざりにして、星野は、えぐえぐと、しゃくりあげはじめた。
それをフォローするでもなく、ふんと鼻をならしたジンは、オオカミにむけて言いはなった。
「伏せ」
ピンと耳をたてて、オオカミは、じりじりと後ずさる。
「俺の命令が聞けないの?」
氷点下。ただでさえ冷えた空気が、いっそう凍えてガチンと固まる。気づけばオオカミは、腹を地面にすりつけて、前足を投げだしていた――ってウソぉ!?
満足げに笑ったジンは、犬のように身を伏せたオオカミの毛並みをなでて、ようやく星野をかえりみた。
「撮ってもいいよ?」
一瞬で泣きやんだ星野が、真顔でガラケーをかまえた衝撃を、俺は忘れない。
3.
オオカミをともなって、悠々と闊歩するジン――と、そのストーカーもとい星野。向かう先は猛獣エリア。そのなかでも、俊足自慢の肉食獣が暮らす一角だ。
それにしても、この動物園……。いや、みなは言うまい。猛獣が野放しにされすぎてるような気がしたけど、一番の猛獣を野放しにしてるのは他でもない俺だった。
早くも現実逃避をまじえながら、目はバカップル(仮)から離さない。ていうかカップルなの? あれ。
つづいて、番犬を侍らせたお姫さまの前に、恐れ多くも立ちふさがったのは、チーターだ。
勇者チーターは、「かけっこ勝負しよう」などと、圧倒的に自分有利の提案をする。それを簡単に受諾するジンではもちろんなくて――。
「俺の前を走る気?」
二匹めのお供が、できた瞬間だった。
ぐるり、と喉を震わせたオオカミと、その悲壮なまなざしに、なにかを悟ったのか。はたまた、麗しの君が浮かべる底冷えする花の笑みにひるんだのか。真偽のほどは、神のみぞしる。
平伏したチーターと、おとなしく『おすわり』を敢行するオオカミ。二頭の猛獣に挟まれてクスクスと笑う姫君を、カメラ小僧があらゆる角度から連写していた。
ねぇ、カップルなの? あれ。
4.
「なめてんの?」
開口一番に言いはなったお姫さまは、どうやら不機嫌。物陰にひそむ俺は、気が気でない。いますぐ飛び出していってジンをなだめたいのは山々なんだけど、そうはいかない事情がある。
『午前中のうちに見つかるなんてヘマしてないわよね?』
部長の携帯から届いたメッセージ。送り主はわかりきってる。魔王・蓮見汀だ。
俺は、冷や汗をだらだら流しながら、スマートフォンの電源を落とした。――やべ、やっちまった。気づいた途端、指がふるえて、電源ボタンが押せなくなった。寒いのに。こんなに寒いのに、なぜ汗が止まらない。
星野は、ぽかんと見上げている。なにをって? あろうことか、ジンに……何様俺様ジン様に「勉強教えてやる(意訳)」などとのたまったローラントゴリラを、だ。
「ふぅん。俺より賢い気でいるんだ? たかが家畜の分際で」
うわぁああ言っちゃったぁあああ! しかも、家畜。よりにもよって言葉のセレクトがひどい。っていうか、え? 家畜? ゴリラ家畜なの?
なにはともあれ、ジンが苛立ってる。マジで切れちゃう5秒前。ごめん嘘ついた。コンマ5秒前。むしろ、なう。
「あ、綾女くん?」
「――なに逃げてんの」
じりじりと後退しだした星野の腕を、ちらりとも見ずにジンがつかむ。わあ、腕組んじゃって超カップルっぽい★ ……どうみても捕獲です。
それでも、てっきり星野ならウハウハしてるかと思ったんだけど――俺の星野像はこの短時間で完全に崩壊している――意外なことに、星野はギクリと顔をこわばらせた。
じわじわ滲みでる涙は、入園時とは、どうも様子がちがって。なんかまずそう。焦った俺はとりあえず、バックパックのなかを必死にさばくった。
なんかないの、現場を打破するもの。でも、ふつうの持ち物以外なにも入――って、ああ!
「バスタオル!」
魔王の忠言どおり持参した、シンプルな生成り色のタオルをひっぱりだす。片端には、犬のワンポイント。ブサ可愛いアップリケが異彩を放つ。これ、俺が、保育園で使っていたお昼寝タオルだけど。
星野にむけて、エイヤと投げつけて、結果もみずに踵をかえす。俺の天才的なコントロールをもってすれば、顔面直撃コース一直線にちがいない。――ごめん、星野。
「うぎゃあ! な、なに!?」
「……。ブサ可愛犬?」
背中につきささる視線を感じながら、俺は必死こいて撤退した。気のせい。絶対、気のせい。不穏なつぶやきとか、ぜんぶ気のせいだから――!
5.
時間をおいて戦線復帰。なんとか尾行再開した、お昼刻。ジンと星野がおとずれた小動物の楽園で、ウサギが「手料理はいかが」と手招きしている。……お腹すいた。
空腹に耐えかねた俺は、そのへんの露店で買ったチュロスをほおばりながら、ふたりの動向を見守ることにした。
ジンは、ウサギを見下ろして、そのもふもふした身体を両手でつかみ上げる。構図だけは天使だ。星野の瞳が輝いた。
「俺に獣飯を食えと?」
ぴたり、と静止したウサギ――あ、アンゴラだ――を至近距離でみつめて、ジンが口角を上げる。慈愛に満ちた天使の微笑ではなく、よく俺にむけてくるタイプの笑い方。ようするに悪役の笑い方だ。
「ふぅん。その毛皮あったかそうだね」
「ににに似合うよ! 綾姫×ラビットファー! ベレー? マフラー? まじ神コラボ……やべ、鼻血が」
鼻息あらく熱弁していた星野が、あわてて鼻をおさえた。
ちがう! 星野ちがう! そこは肯定しちゃだめなところぉおお!
いまにも飛びだしそうな身体を、間一髪、露店の支柱に抱きついて留める。うっとりしている星野は役に立たない。ジンは、いよいよ黒い笑みを深めた。
――ウサギさん逃げてぇええ!
チュロス屋のおっちゃんが、なんとも言えない目をして俺をみてきた。すんません怪しいものでは……ありますが。
6.
ああもう、考えてみれば俺の立場ってなんだろう。幼馴染のデート(仮)を尾行して、延々とリポートして……いつ馬に蹴られてもおかしくない。
でも、この動物園に馬はいないみたいだし――と、俺は油断していた。だからって。
「蛇に噛まれるとか嘘だろうぅうう!?」
絶叫する俺の腕には、くっきりと残る牙の痕。なんて熱烈なキスマーク。
申し訳なさそうに絡みついた犯人が慰めてくれるけど、……きみ、毒蛇だよね? そこの掲示、猛毒って、書いて……うわ、気が遠く――。
数十メートル先で、ふり向いたジンが、目を細めてニィ――と笑った。となりではしゃぐ星野は気づかない。みて、横、いま、すっげぇ黒い顔……あれこそ、本性……。
っていうか、これ完全にバレてんじゃん。やべぇ。




