捨て犬少年と私の通学薬
1.
なんだか最近、ものすごい熱視線を感じる。親しい友人に相談してみても、まるで心あたりはないという。でも、これ、勘違いだとは思えないんだけどなあ。
鬱々とした気もちを抱えて、通学路を歩く。家の方向が全然ちがうから、ひとりぼっちの帰り道。慣れっこだけど、私は、さみしがりだから、やっぱり誰かと一緒の方がいい。
「なんだかなあ……」
はあ、とため息をついて、私は足を止めた。直後、バタついてから、止まる足音。どうせならもうちょっと、うまく尾行しようよ。
もういちど、歩きはじめるフリをして、すぐに振りかえってみる。曲がり角から飛びだして、隠れそこなった少年が、たたらを踏んで急ブレーキ。
あわてて逃げようとする首根っこを、ひょいと捕まえる。
「は、はな、放せ、て、くださ」
「おちついて話そうか。日本語で」
手を放すと、観念したように少年は座りこんだ。路上にぺったりと尻をつけて、がっくりとうなだれる。
「なんですかもう。ほっといてくださいよ。いつものペースより十分も遅れてるのに。予定押してますよ、バイトのシフト大丈夫なんですか」
「うん、なんできみがそれを知ってるのかはとりあえず置いておこう」
「僕のことも捨ておいてください。草葉の陰から見守っている小市民です。今朝の寝ぐせは可愛らしかったです」
「それきみ死んでるよ。って、見てたんかい」
「死んでもいいです。むしろ今すぐ死にたい気分です。これなんのご褒美ですか。夢ですか。夢で構わないので幸せなまま逝かせてください」
だめだこりゃ、話が通じない。ひたいに手をあてて、空をあおぐ。
「きみ、なんで私のこと……」
「好きですよ。あなたも僕のこと愛してますよね?」
脈絡のない告白に、目を丸めて立ちつくす。
「なんでまた、そう思うの」
「べつに返してもらえなくてもいいです。それがどこにも向いてないのなら、あなたのなかにすべてある。あなたのすべてがそこにあるなら、僕はぜんぶ丸ごと手にするだけだ」
一息に言いきってから、少年は、私の目をまっすぐに見つめてきた。
「あなたのすべては僕のもの。つまり、僕のこと、愛してますよね?」
論理がよくわからない。
「えーっと、……うん?」
「愛してますよね?」
真摯にみつめてくる捨て犬のようなまなざしに、私は、すこし考えこんだ。これは、化ける。一歩踏みまちがえたら、とんでもなく化けると、確信した。つまりバッドエンドフラグってやつ。
「だけど、きみは、言葉はいらないんでしょう?」
虚をつかれたような顔をして、少年はコクリとうなずいた。あ、ちょっと可愛いかも。
「ちょうど退屈してたところなの。影からコソコソついてくるんじゃなくて、横にならんで自分で確かめたら?」
バイトの時間まで、あまりない。立ちどまって、いつまでもこの子に構ってはいられないけど、私はひとりが嫌いなんだ。
まあ、いまのところは無害そうだし……?
「さ、いこっか」
きびすを返し、歩きだした私のあとから、ついてくる足音。ためらいがちに距離をつめて、となりにならぶ、ストーカー少年。
無言でジーっと見つめられるのは微妙な気分だけど、影からつけられるよりずっとマシだ。
「あ、あの、僕のこと、愛してますよね?」
「さあ、どうだろうね」
「じゃあ、僕以外、愛してませんよね?」
「私に聞いてちゃ、意味ないでしょう」
「じゃあ、……」
延々とくりかえされる中身のない問いに、中身のない返事をしながら、ちょうどいい道連れができたとほくそ笑んだ。
2.
へんな子犬をひろってから、一週間が経っていた。
どこからともなく現れて、気づいたらいなくなっている。でも、姿を見ない日は一度もない。あの子、学校いってるんだろうか。
今日も今日とて、帰り道にふらりと現れた子犬少年は、ななめ後ろを黙々と歩く。
「あの、僕、考えたんですけど」
「うん? なに」
首だけ、ちょっと横向けて、少年を見る。いつも服装は、私服。だぼついたパーカーに、痛んだジーンズ。履き古したスニーカーを引きずるように歩くのがクセ。
背中に垂れたフードは、だいたい裏返ってる。朝はだいたい寝ぐせで髪が立っていて、夕方にはへたってる。
それだけが、彼についてわかってること。
年下だとは、思うんだけど。
「僕のこと愛してるんですよね。ならなんで僕以外を見るんですかおかしいですよね? ほら、僕だけを見ればいいんですよ」
「あいかわらず話が飛ぶねえ」
脈絡のない質問は、少年の十八番のようだった。そんなところも面白いと感じるあたり、私、そうとう毒されてる。
「じゃあ、きみは、私以外をみてないの?」
「あなた以外のすべては背景です。僕の景色にあなたの姿がないなんてことはありえません。つまり、あなた以外はみてません」
きっぱりと言いきる少年の眼には、あいかわらず迷いがない。あんまり純粋に見つめてくるものだから、私のほうもイタズラ心が湧いた。
「――そこまで言うんだから、浮気なんてしたら許さないよ?」
うれしそうに笑ってうなずく少年は、やっぱりなんだか可愛かった。いい拾いものした。
3.
次の日、子犬はやってきて、開口一番に、こう言った。
「監禁されたいんですか?」
「したいの?」
「したくないけどしたいです」
反射的に問い返したら、少年もすぐさま言い返してきた。たぶん、なんにも考えずに飛びでた本音。なるほど、監禁したいのか。
「なんで?」
「だって、昨日の……」
ごにょごにょと呟いて、それから頭の整理がついたのか、少年は叫ぶように声を張った。
「不平等じゃないですか!」
私は耳を押さえて問い返す。
「なんで?」
少年のほほが膨らんだ。
「僕はあなただけ見てて、あなたは僕だけじゃなくて、でもあなたは僕ので、だからつまり、ええっと……とにかく! 監禁したら、僕以外なくなるから」
「ふぅん。でも、私のすべてがきみのものなんでしょ?」
間をあけずに少年がうなずく。
「なら、いいじゃんか。私が見たものもぜんぶきみのもの。私がなにを見ても、なにを感じても、きみの一部」
「うーん……」
「それと。――僕はあなたの、が抜けてるよ?」
私がきみのものなら、きみが私のものになるのは、とうぜんの話でしょ?
大口をあけて固まった子犬の頭を軽くなでて、私は上機嫌に口角を上げた。
4.
子犬と過ごす奇妙な時間は、季節が変わってもつづいていた。
登下校の道すがら。どこからともなくやってきて、どこへともなく去っていく。さびしがりな私には、肌寒くなりはじめたこの季節、意味もなくならんで歩くひとときがうれしい。
まともな会話がなりたったためしはないけど、それもそれでいいかなと思うくらい。
だから、ちょっと、いや、かなり――むかついていた。
「私、言ったのに」
きょとんと立ちつくした子犬が、わけがわからない様子で首をかしげる。いつもの服装に、最近、マフラーが加わった。
「……僕、なにかしました?」
なんだ、まともなことも言えるんじゃないか。って、そうじゃない。
「きみ、すぐとなりの中学の生徒だったんだ?」
「不登校ですけど一応」
「ずっと学校きてないの?」
「あなたをみるのに忙しくて」
「いつから?」
「さあ、覚えてないです。一年くらい?」
「うそつき。まだひと月だよ」
子犬はいよいよ、途方にくれたように眉尻を下げた。
「ええっと、怒ってます?」
「そうだね、怒ってる」
「どうして?」
今朝、学校の手前で。どこへともなく消えていくはずの彼は、セーラー服に身を包んだ女の子に呼びとめられた。
私だけを一心にみつめていた素直な瞳が、ほんの一瞬、べつの女の子に向いた。――とたんにわきあがる、黒い感情。どす黒く渦まいて、あっという間にひろがった。
「浮気はダメだって言ったでしょ。なんで、私以外の女と話したの?」
子犬は、ぱちくりと目をまたたかせる。
「なんのことですか?」
「朝。私と別れたあと」
「うーん、……わかりません」
真剣に考えこんで、少年は言う。
「あなたがいない世界で僕は生きていないので、それはたぶん僕じゃないし僕であるはずがないです」
「私がいないときだってあるでしょ?」
「そのときはきっと、抜け殻がフラフラしてるんです。なんにも覚えてないから」
「屁理屈」
「そうですか?」
「……きみ、本気で覚えてないんだもんね」
なんだか、段々、どうでもよくなってきた。大真面目に考えて、これなんだから、ろくな答えは出てこないだろう。
「もういいよ、きみの世界が私でできてるのはよーくわかったから」
そんな答えで満足してる私も、たいがいおかしい。
5.
誰でもよかったはずだった。ちょっと人恋しくてさみしいときに、目についた場所にいたから、たまたま拾いあげただけ。
朝と夕方。一日二回。常用薬のような登下校。麻薬のような常習性はない、……はず、だったんだけどなあ。
「ねぇ、子犬くん」
「子犬……って、僕のことですか」
「私と一緒に逝こうか」
真冬の季節。とうとうコートを着こむようになった少年が、白い息を吐きだして固まった。
「そうすれば、永久に一緒だよ」
子犬は、ちょっと考えて、言った。
「とても魅力的なお誘いですけど、またにしませんか?」
「どうして?」
「だって、死んでも一緒にいられるかなんてわかりません。そりゃあ最期の瞬間は最高の刹那かもしれないけれど。いつか手にはいることがわかってるオシマイより、いま手にいれてるシアワセを選ぶのっておかしいですか?」
「……自信家だね」
「なにがですか?」
だって、あなたは俺を愛してるんでしょう? ――最近、たまに出てくるようになった一人称で、きみが笑う。
少年の殻をやぶりはじめた捨て犬が、どんどん成長していく。なんだか置いていかれるようで、それはさみしいなぁと、さみしがり屋の私は悩んでいたのだけれど。
「そっか。きみは、私のこと愛してるんだったね」
ひとりで納得するようにつぶやいて、私は冬の空を見上げた。ちらほらと舞い落ちる雪の粒が、顔に当たって冷たい。
……そっか。
拾いあげた子犬が首輪を外したがる様子はないので、それでいいことにする。人肌恋しい季節。手が冷たい、とつぶやいて、子ども体温の手をとった。
これでいい、ことにしよう。
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