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剣と愛の果てに ーシオンと嘘つき少年ー

作者: 芳賀さこ

「牛が逃げた!!」

 赤毛で顔中そばかすだらけの少年が大声で叫びながら『宝船』に飛び込んできた。

 普通なら慌てふためく大人達が、皆態度が冷たい。

「この前も逃げなかったか」

「一体、お前ん家は牛を何頭飼っているんだよ」

「いい加減にしないか!!」

 今年十歳になるこの少年は『嘘つきライル』という名で町中知られているお騒がせ少年なのである。両親を流行り病で赤ん坊の時に亡くし、今は病弱な祖父と丘の上に二人で暮らしている。

 最初は、町の人々もライルの身の上を気遣って嘘を見過ごしていたが、あまりにも頻繁に言ってくる彼にほとほと愛想が尽きたのか次第に相手にしなくなっていった。

 そして、辿り着く所は……。

「あっ!! シオン!!」

 ライルの顔が一気に輝いた人物は、長身で漆黒の髪と瞳を持つ精悍な顔立ちの若者だった。

「牛が逃げたんだよ。一緒に来ておくれよ」

「分かった。案内してくれ」

 一仕事終えたばかりで息つく暇もなくライルと店を出て行シオンを見て、その場に居合わせた男達が溜息をついた。

「全くシオンも人がいい」

「ああ。何回騙されれば気が済むんだ」


 当のシオンはというと、男達の心配は見事的中して草原までついてきたもののライルから「ばーか」だの「お人好し」だの散々貶された上に逃げられてしまった。

 楽しそうに笑いながら丘を越えて行く少年を溜息交じりに見送りながら、また『宝船』へと戻って行くのは日常茶飯事になっている。


「どうだ、牛はいたか?」

 帰ってきたシオンに、いる筈がないと知っていて客達が意地悪そうに訊いてくるので曖昧な返事でやり過ごした。

「その様子だとまた騙されたな」

 と、口々に言うなかカウンターに座ったシオンがアイサにぼそりと呟いた。

「アイサはどう思う?」

「あの子は幼くして両親を亡くしているからね。しかも、人里離れた家にじいさんと二人暮らしだ。寂しいあまり嘘をついて大人達にかまってもらいたいのさ」

 アイサも幼い息子と亭主を亡くしているので、ライルの気持ちが痛いほど分かるに違いない。だから、彼が店に立ち寄った時はジュースやお菓子を振舞って話を聞いてやるのだろう。

「あんたも大変だろうけど、なるべく気遣っておくれ」

 彼の前に差し出されたグラスの酒はどうやら嘘に付き合った労いの報酬らしい。一気に煽ると開店準備へと立ち上がった。



 とはいうものの、日に日にシオンの出動回数が多くなるにつれてアイサもさすがに気の毒に思えたきた矢先だった。

「どうしたんだい!? その格好は!!」

 ふらっと現れた煤だらけのシオンの姿にアイサは思わず大声で叫んだ。

「色々あってな」

「ライルだね!? とにかく、シャワーを浴びてきな。着替えは用意しておくから」

 シオンが浴室へ向かうと、アイサは慌ただしく奥の部屋へ着替えを取りに行った。

 やがて、濡れた黒髪をタオルで拭きながらやってきたシオンの前にまたもグラスが置いてある。

「私から言っておいてなんだけど、少しはきつく叱ったらどうだい」

  自分が頼んだもののライルに翻弄されっ放しの彼が気の毒に思えた。

 だが、シオンは軽く笑って言った。

「別に命に関わることじゃないから構わんよ。世の中には、ついていい嘘といけない嘘がある。ライルの場合は前者だ」

「どう違うのさ」

「人の生死の問題さ。あの嘘は本当だったじゃ済まされないこともある。守れる命があるなら守りたいからな」

 そう語るシオンは、生粋の剣士でアイサから見ても格好いい。


 ライルは重い足取りで丘の上にある我が家を帰っていた。

 シオンを煤だらけにしたのがさすがに気が引けて、『宝船』の入り口で様子を窺っていると偶然二人の会話が聞こえてきたのだ。

 いつだってシオンは味方でいてくれた。それなのに、僕は……。

 落ち込んだり寂しい時に登る大きな木の上でライルが町を眺めていると、遠くで砂煙を撒き散らしながらこちらへ向かってくる盗賊に気が付いた。

 ライルは慌てて木から下りると急いで町へ走って行った。


 町へやって来て最初に向かう所は勿論『宝船』である。

「シオンはどこ!?」

 店にいたのは留守番を頼まれた客二人だけだった。

「シオンならアイサと出掛けたぞ」

「盗賊がこっちに向かっているんだ!!」

 すると、客達はげらげらと笑い出した。

「また嘘ばっかり」

「お前がやっつけたらどうだ。お得意の嘘でな」

 自ら蒔いた種とはいえ信じてもらえないのが非常に悔しかった。なんといっても、祖父の命が懸かっているというのに。

 目を真っ赤にして店を飛び出すとまっしぐらに家を目指した。


 しばらくして、シオンとアイサが店に戻ってきたが二人の表情が硬い。

「よお、どうした? そんな怖い顔して」

「今、自警団に聞いたんだけど盗賊がこの町へ来ているらしいんだよ」

 アイサの言葉に客達の顔が一気に青ざめた。

「じゃあ、あいつの言っていたことは本当だったのか!?」

「あいつ?」

「さっきライルが来てそんなこと言っていたんだが、俺はてっきり嘘かと……」

「それはいつの話だ!?」

 シオンの鋭い視線にどきまぎしながら客がちらっと壁時計を見て答えた。

「二十分くらい前だったと思う」

 最後まで聞かずシオンは剣を片手に『宝船』を出ると指笛を鳴らした。

 何処からともなくシオンの傍らにやってきた愛馬が並走すると、タイミングを合わせて飛び乗った。



 息も切れ切れに帰ってきた孫に祖父は「どうした」と怪訝そうに尋ねた。

「な、なんでもないよ。薪を割ってくる」

 大人達が当てにならない以上、せめて祖父だけは守らなければならない。

 壁に立てかけていた斧を掴んで、震える声を隠す様に精一杯元気よく答えて外に出た。

 さあ、来い。盗賊ども!!

 斧の柄を持つ手にぐっと力を込めて丘の先を睨んだ。


 町へ行くにはライル達に家を通らなければならない。だとしたら、真っ先に狙われるのは彼等の家である。

 シオンの馬は、軽やかに大地を蹴ってぐんぐんと加速していく。間に合ってくれと願いながら手綱を持つ手に力が入った。

 病弱な老人一人と幼い子ども一人。

 どう転んでも武装した盗賊に敵う筈がない。

 無事でいろよ!!

 ライルの無邪気な笑顔が脳裏に浮かんだ。


 複数の蹄の音に、ライルは胸の前で斧を構えた。そして、盗賊が姿を現すとその恐ろしい人相と数に圧倒されてその場に立ち竦んだ。

「おい、小僧。わざわざお出迎えか」

「それはご苦労なこった」

 盗賊は、足ががくがくと震えているライルを嘲笑した。

「こ、ここから出て行け!!」

「勇ましいな。だが、そんなへっぴり腰で俺達が殺れるのか」

 がむしゃらに斧を振り回すライルを盗賊の一人が剣で薙ぎ払い平手を見舞いすると、小さな少年はボールのように転がり倒れた。

「ひとまず、お前ん家で休ませてもらおうか」

 家には重病で臥せっている祖父がいる。じんじんと痛む頬を押さえて無力な自身を責めて唇を噛む。

 助けて!! 誰か!!

 こんな嘘つきの家に誰が信じて助けてくれるというのか。

 いや、一人だけいる。漆黒の髪と瞳を持つ剣士シオン・フォレスト。

 願いが通じたのか、一頭の黒い馬が一陣の風のごとく現れた。その乗り手に、ライルの瞳から大粒の涙がこぼれた。

「遅いよ……、シオン」

「すまん。道が混んでいたんだ」

 こんな草原で道が混む訳がないじゃないか、と文句を言ってやりたかったが、それこそ人を安心させる嘘だとライルは実感する。

 突然現れたシオンに盗賊が荒ぶる。

「なんだ!! 貴様は!?」

「礼儀がなっていないな。人に名を訊く時は先に名乗るもんだぜ」

 精悍な顔立ちに強気な黒い瞳、口角を上げて不敵な笑みを浮かべているこの男、どう見ても只者ではない。

 すると、一人の盗賊がシオンを指差して叫んだ。

「お前は『漆黒の剣士』シオン・フォレスト!!」

「ほう、盗賊にも名が知れているとは思わなかったよ」

「面白れえ。貴様を殺れば俺達も有名人だぜ!!」

 一斉に襲い掛かる盗賊達。しかし、シオンの敵ではなかった。

「ライル、家に入っていろ!!」

 シオンの叫び声で、今まで固まっていたライルの体が弾かれたように急いで家の中へ入っていった。

「外が騒がしいが、何が起きているんじゃ?」

 ドアに施錠して祖父の布団にしがみつく孫に訊いた。

「大丈夫。シオンがやっつけてくれるよ」


 シオンは見事ライルに応えた。

 物音がしなくなったのでそっとドアを開けてみると、盗賊達の無残な死体が転がっていると思いきや身動きできないものの皆生きている。

「なんで殺さないのさ!?」

 ライルは詰め寄ったが、シオンは小さく笑っただけだった。

 後から駆けつけた自警団が盗賊を縛り上げて町へ連れていくと、シオンもやれやれと丘を下りていった。

 結局、盗賊達は全員死罪になったが、あの時シオンが皆殺ししていても結果は一緒だとライルは釈然としない。

 だから、『宝船』に来て口を尖らせた。

「シオンは剣士だから殺しても文句言われないのに」

 グラスを拭いていたアイサの手が止まった。

「そうしないのがあいつの優しさってもんだよ」

「優しさ?」

 想像だにしない単語に目を白黒させる。

「たとえ、悪人でも人を殺すとなればそれは悲惨な光景だよ。そんな所を子どものあんたに見せてみな。一生、心に焼き付いて離れないだろうよ」

 ライルははっとして俯いた。以前、小屋の前で狼にやられた血だらけの子羊の死体を思い出したのだ。

「それにちゃんと法で裁かれる正しさも教えてくれたんだよ」

 剣士は、切り捨て御免を許されているが、その権限を行使せず法を通すシオンは立派だとアイサは言う。

 そう、シオンは優しく立派だ。嘘だと分かっていてもちゃんと話を聞いてくれるし、最後まで付き合ってくれる。騙されても漆黒の瞳を細めて笑うだけで怒鳴ろうともしない。

 そのくせ、気性の荒い盗賊を生かして退治出来る腕もある。

 目の前に置かれたオレンジジュースに口を付けようとした時にシオンが戻ってきた。

「よお、ライル。じいさんの具合はどうだ?」

 罰悪く先に逃げ出したのはライルの方で、彼の横をぶつかりながらすり抜けていくとあっという間アイサ達の視界から消えてしまった。

「なんだ、あれは」

 事情がさっぱり飲み込めないシオンは首を傾げながら買い出しの荷物をテーブルに置いた。

「今回のことでライルも成長したってことさ。さあ、準備を始めようかね」

 アイサが勢いよく背中を叩いたのであまりの痛さに顔をしかめた。


 実は、シオンも盗賊達の処罰を気にしていた。

 アイサはああ言ってくれたものの剣士としてはやはり甘い。

 襲ってくる者は斬れ。殺られる前に殺れ、と剣士の大半は師から叩きこまれる。

 だが、シオンの師の考えは少し変わっていた。

「屈強の剣士と私の噂を聞いた者達が、姿を見て逃げ出せば無駄な血が流れなくてすむだろう?」 

 この台詞は、まだ少年だったシオンが仲間を救うため初めて剣で人を殺した時に師が言ったものだ。

 当時は実感がなかったが、今となっては裏に隠された師の真の強さと優しさが胸に伝わる。

 俺は師に近づいているのだろうか。

 世の人々は、彼を『漆黒の剣士』と呼んで褒め称えている。なかには、師を越えたのではという者もいたがそれこそとんでもない話だ。

 だから、嘘をついて皆に自身の存在を認めてほしかったライルの気持ちが痛いほど分かる。シオンも自身の存在を模索している途中だから。

 お前さんはどう思う?

 懐から出した一枚の写真。そこには、ブランデー色の髪の美女が映っていた。この美しさで凄腕の剣士らしい。



 二年後、この女剣士と運命的な出逢いをするのだがそれはまた別の話である。








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