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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

防空壕

作者: じゃぱ

 この防空壕へ来て何日経っただろう。

 僕の通っていた高校はどうなったのだろうか。

 来たばかりの頃は皆で励ましあい、この生活を乗り越えようとしていたはずなのに、今では誰もが意気消沈としている。

 もう数えるのも忘れたほど何日も着たままの制服。白かったシャツは汚れて変色し、おかしな匂いを発している。しかしそれは誰も同じだ。みんな汚れた服でふさぎこんでいる。

 かろうじて元気なのは、この防空壕を拠点としている兵隊だけだ。その兵隊も日に日に人数が減り、防空壕の隅には死体袋や手足をもがれた兵士が寝かされていた。

 ここには結構な人数がいるはずだが、灯火管制されていて明かりも点けられない状況では数も把握できない。食料も底を突きかけている。1日に缶詰1つとコップ1杯の水。缶詰は3人で1つだった。

 防空壕の出入り口。出て行くのはかろうじて動ける兵士たち。戻ってくるのは死体か負傷した兵士たち。もう、誰も希望など口にしなかった。


「民間人から徴兵を行う」

 防空壕を仕切っている兵隊の隊長が口にした。兵士が足りないのだ。このままではこの防空壕を守ることはできないから、民間人から戦う者を選ぶということだ。

 疲労しきった状態で、誰が戦えるというのか。僕はそう思った。

 隊長は、成人男性で若い者から優先的に徴兵すると言った。兵隊の命令は絶対だった。逆らえば殺される。若い男や家族を持つ父親が選ばれ、銃を手に防空壕の外へ出て行った。

 戻ってきたとき、幾人かは手足がなかった。死体は無かった。死人が出なかったのではなく、運ぶことすら出来なかったのだとわかった。

 僕はその間、ずっと防空壕の隅で座り、その様子を眺めていた。


 何日か経って、成人男性で徴兵できるものが足りなくなった。後残っているのは50を過ぎた男性か、女子供しかいない。適齢の男は皆負傷して呻き声をあげているか、外で死体となっているのだろう。

 高校生からも徴兵すると隊長は言った。

 僕の番だった。

 隊長は、高校生は10人もいればよいと言った。ここにいる高校生の男は15人。

 僕は絶対行きたくなかった。隅でうずくまり、なるべく目立たないようにしていた。

「俺が志願します」

 僕の隣にいた同級生が名乗り出た。高校では素行が悪く、停学になったこともある奴だった。

「僕も行きます」

 次に名乗り出たのは学校一の秀才だった。

 2人とも他の人たちとは目つきが違っていた。

「僕たちが皆さんのことを守ります」

 秀才が言った。力強い言葉だった。

 それに触発されたのか、2人に近しい人間が何人か名乗りを上げ、隊長が希望した10人が揃った。

「戦うのは俺たちが最後にするから」

 そう僕たちに言って秀才は防空壕から出て行った。そして戻ってこなかった。

 帰ってきたのは素行の悪い同級生だけだった。右手右足が無かった。

 学校では見たことの無い、情けない声で泣いていた。お母さんお母さんと何度も呼んでいた。

 その声が聞こえなくなったとき、そいつが死んだと分かった。


「高校生の男は全て徴兵する」

 隊長が言った。

 とうとう僕の番が来た。嫌だった。死にたくなった。

 あの防空壕の外へ出れば、外で死ぬか、手足をもがれてここで苦しみながら死ぬかしかない。

 兵士が目の前に来た。僕は必死に首を振った。

 通じない。

 無理やり立たされ、整列させられた。

 銃を目の前に出される。受け取れということなのだろう。

 他の人はしぶしぶ受け取っている。

 僕は目の前に差し出された銃を眺めた。赤茶けた色をしている。それが幾人もの血で染まっていることが分かった。あの同級生の血も、この銃に付いているのだろうか。

 逃げ出したかった。

 後ろを見ると、暗い防空壕の中、皆がこちらをじっと見ていた。悲しみと、何かにすがるような目。

 怖かった。

 その時、整列していた内の1人が銃を受け取るのを拒否して逃げ出した。防空壕の奥へと走っていく。すぐに数人の兵士が追いかけた。

 しばらくして、1発の銃声が聞こえた。静かになった。

「――おい」

 はっと気が付くと目の前の兵士が怖い顔をして僕に銃を差し出していた。

 受け取ると間違いなく死ぬ。拒否しても間違いなく死ぬ。

 僕に選択肢はなかった。

 ゆっくりと両手を前に出した。冷たい金属と樹脂の感触があった。

 僕は銃を手にしていた。既に血に染まった銃。それを手にすることの意味。

 僕は自分でも気づかぬうちに泣いていた。涙が止まらなかった。自分の意志とは関係なく、涙が流れた。


 簡単に銃の操作を教わり、夜になるとすぐに防空壕の外へ出された。

 中でも銃声や爆音が聞こえていたが、外に出るとそれがはっきりと聞こえた。

 ちょっとした丘になっているところがあり、そこからおそるおそる街の様子を眺めた。

 自分の記憶と照合するものは何も無かった。建物は全て崩れ落ち、木々も全て焼け果てて丸裸になっていた。銃や爆弾、照明弾の明かりが、暗い夜を所々照らしていた。

 縦に並んで前進する。なるべく身を低く。

 そのくらいの知識は映画などで知っていた。

 しかし映画には、こんな肉の焼け焦げた臭いはなかった。吐きそうなほどだった。

 すぐに銃弾が飛び交う戦場に着いた。

 塹壕が掘られていて道になっている。そこを身を低くして通れば敵に気づかれずに接近できると言われた。

 何人かの兵士を残し、僕たちは前進するように言われた。不意の戦闘に備え、銃剣を付け、しぶしぶながらもゆっくりと前に進む。

 ふと後ろを振り返ると、後ろに残った兵士たちは僕たちに銃口を向けていた。

 逃げたら味方にも殺される。

 ここに自分を助けてくれる人など誰もいなかった。

 隣を歩く男も息遣いが荒い。何も見えていないようだった。

 

 死ぬ。


 僕も敵に撃たれて死ぬ。いや、爆弾で四肢をもぎ取られて死ぬ。いや、地雷で足を失い、悶え苦しみながら死ぬ。いや、味方に誤射されて死ぬ。いや――

 

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。


 ただそれだけを考えた。銃声や爆音など耳に入らないくいらい、ただ死ぬことが怖かった。

 そして塹壕の曲がり角にあたるところだった。


 敵がいた。


 いや、敵なのだろうか。暗くてよく分からない。背を向けていて僕には気づいていない。

 どうすればいいんだ。撃っていいのか。殺していいのか。

 僕は固まった。

 そして目の前の敵兵は僕に気づいた。目が合った。驚いているようだった。

 そして手にしている銃をこちらに向けようとしてくる。

 その瞬間、何かが壊れた。

 手足をもがれ、泣き叫ぶ同級生の姿が頭に浮かんだ。自分の次の瞬間そうなる。何もしなければ。


「うわああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」


 僕は叫んだ。そして前に向かって走った。目の前の銃口が光ったかもしれないが気にしない。

 ただ走り、銃剣を目の前のニンゲンに突き立てた。

 衣服と肉を貫く感触が伝わった。目の前のニンゲンは倒れた。何か言っている。動いている。

 殺される。まだ死んでいない。殺さなければ、殺される。

 僕は慌てて右手を動かし、人差し指で引き金を引いた。

 両手に大きな反動が伝わる。

 まだ動いている。僕はまた引き金を引いた。

 まだ動いている。引き金を引いた。

 まだ動く。引き金を。

 まだだ。引き金。

 まだ。

 

 銃剣で刺したうえに何度も銃弾を撃ちこみ、ようやく目の前の敵は動かなくなった。

 ほっとした。

 力が抜けた。

 しばらくして、ようやく耳に他の銃声や爆音が届くようになってくる。

 死ななかった。僕はまだ死んでいない。

 僕は気づきもしなかった。自分が人を殺したことなど。

 ただ自分が死んでいないことを感じていた。


 死ぬものか。生きてやる。死んでたまるか。


 僕はさらに前進した。

 ヒュルルルルと変な音が聞こえた。上を見上げると、何か落ちてきた。




 目が見えない。耳が聞こえない。



 暗い。



 右目だけがかろうじて開いた。

 自分の身体を見た。胸から下がぐちゃぐちゃになっていた。

 初めて自分の臓器や骨を見た。

 痛みは無いが、全く力が入らない。

 僕の身体の中はこうなっていたのか。

 そんなことを考えた。


 次第に意識が薄れていく。


 最後に目にしたのは、戦争が始まる前と変わらない夜空だった。

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