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楓トレイン

 遠くへ行きたい。


 行く先も決まらぬまま、私は駅に続く道をゆっくりと歩いていた。

 ふと立ち寄った公園のベンチに座る。

 赤や黄色の鮮やかな落ち葉が、秋の凛とした空気の中 風に吹かれて飛んでいった。


 あそこに行けば 会えるのだろうか?


 落ち葉が飛んでいった先の青色の空を見上げた。

 風が、辺りに咲いているコスモスを優しく揺らした。


 私の前を大学生のカップルが横切る。

 男のほうは季節に似合わないサングラスをかけていた。もしかしたら盲目なのかもしれない。片手にもっていた杖を見てそう思った。

 その杖が小石に当たり、男は転びそうになる。しかし、彼女である女は男を支えた。「ありがとう」そう言って互いに微笑みを交わし、また歩き始めた。


 そんな二人の関係を見て、自然と口からため息がこぼれた。

 彼氏が盲目であるリスクを受けとめて、前向きに共に歩き出している彼女を素敵だと思った。

 そんな幸せそうな二人の微笑みを見て、羨ましいと思った。


 私は好きな人と寄り添い、歩く事もできなかったから。


 ゆっくりと立ち上がり、そして再び歩きだす。


 *


 大手出版社に入社してから二年目の今日だった。

 職場で一番仲のいい同僚が、一ヶ月ぶりに会社に出勤してきた。それも、すごく元気のない顔で。

 どうしたのかと尋ねたら、

『彼氏が死んだ』

 と、聞き取れないような小さな声でつぶやいた。

 そして、目に大粒の涙を浮かべて泣きついてきたから、話を聞いてあげることにした。


 数時間後、落ち着いた様子の彼女とは逆に、泣きたくなったのは私の方だった。


 その彼氏は、今年の春の前あたりからずっと植物状態だったらしい。

 原因は交通事故。乗用者が彼にぶつかったそうだ。

 彼女は泣きながら、吐き出すように全部話した。彼女は強いから、きっといままで誰にも言わずに我慢していたのだろう。


 けどね………吐き出す相手、間違ってるよ


 私は、彼女の話の半分は聞き逃していた。


『ありがとう、おかげですっきりしたよ』

 その言葉で我に返った。

 そして、私は曖昧に返事をしてから、適当な口実をつけて外に出た。


 彼女は全部を吐き出した、本当に全部。

 出会いから、容姿から、ご丁寧にお墓の場所まで。

 泣きながら話す彼女を可哀想だと思った。

 私は最低だ。別の意味で泣きたかった。



 花本 大輔



 その名前は、今は亡き人の名前で、

 かつて、私が好きだった人の名前だった。


 *


 途中の自販機で飲み物を買った。スポーツドリンクが目に止まったが、指はその隣のお茶のボタンを押した。ガチャンと音がしてお茶がでてきた。私はそれを開けもせず、片手にもって歩く。じんわりと冷たさが広がって、気持ちよかった。


 小一の時からだった。

 母親同士が友達で、私は偶然にも花本と同じクラスだった。

 その時から彼は人気者だった。スポーツ万能で、勉強もできて、ピアノまでもこなす。絵に描いたような天才少年。クラスでもムードメーカーで、男子からも女子からも信頼が厚かった。

 当時、彼は一つ上の私の兄と野球のサークルに入っていた。

 私はそんな彼を見て野球が好きになった。

 それから先もずっと、周りの女子は彼の顔とか性格を重視したのに、私は野球をしている彼が大好きだった。

 球を見つめ、バットで打ち、一生懸命走る。

 私だけがずっと知っている、そんな彼の表情が好きだった。そして、それを小さい時からずっと知っていた。それが私の自慢だった。

 誰よりも真剣に、真っすぐに球だけを見ていた。そんな彼が好きで好きで仕方なかった。

 けれど、話をする機会なんてなかった。いや、作ろうともしなかった。

 諦めていた。どうせ私は花本とは釣り合わない。周りには可愛い子ばかりだし、どちらかというと文系で女の子としか話をしようとしなかった私は、普通に男女で遊ぼうとする積極的な子と張り合う気力もなかった。

 高校からは別々の学校だった。それでも地域は同じだったから、花本の評判はよく聞こえてきた。ほとんど野球の話だった。あんなに野球が好きな奴だ。彼は甲子園にもでるし、いずれは野球選手にもなると誰もが確信していた。案の定、彼は本当に甲子園にも出たし、有名な団体からもスカウトが来て、ちょっとした有名人になった。

 そんな時、彼に彼女ができた事を知った。その時は大して驚かず、どうせアイドルとかにキャーキャー言ってるような化粧好きの派手な子なんだろうなと勝手に想像していた。

 私は私で気の合う面白い奴を彼氏にして、それなりに楽しい学校生活を送り、花本の事はすっかり忘れていた。


 *


 その五年後の今、もう花本はこの世に存在しないのだ。

 神様って残酷な試練をお与えになると思う。

 人気者で将来有望な彼は死に、地味な私は普通に生きている。

 そして、運命は残酷だ。

 彼氏に死なれ、可哀想な時を過ごす私の同僚は、あの時の花本の彼女なのだ。

 想像とは全く違う。どちらかといえば文系で、大人しい私の同僚。

 野球が好きで、読書が好きで、趣味が同じで気の合う同僚。

 私のような髪の短い私の同僚。

 すごく似ている雰囲気の持ち主なのに、歩んで来た道は全然違う。


 私は後悔した。

 もし、あの時私が諦めてさえいなかったら………可能性だってあったのに。

 一番彼に近かった私が、選ばれていたかもしれないのに。

 勝手な想像だとは思う。けど。

 もっと話をしておけばよかった。積極的になればよかった。彼の出ている試合に足を運んでおけばよかった。

 あの表情を、目に焼き付けておけばよかった。


 ボロボロと涙が流れてくる。

 空はこんなにも青く澄んでいて、

 こんなにも楓は赤く紅葉しているのに。

 何でだろう?


 ────────会いたいよ


 誰よりもそばにいたかった。

 本当は誰よりもあの表情を見たかった。

 なのに、自分に自身がなくて、1/2の確立なのに、自分から放棄して、恋愛感情に流されたくなくて。

 けど、誰よりも好きなのに。

 思い込みってわかってる。けど………今は、自分の感情に甘えたい。

 好きな人が消失した今、自分が一番あの人に近かったって思いたい。


 

 流れる涙を拭った。その時だった。

 今日一番の風が吹いた。目が開けられない。

 風が何かを運んでいる。私がそれに気づいたのは、手に何か掴んだときだった。

 目を開けた。すると、私の目の前にあったのは、


 優しい赤色の電車だった。


 ドアが開き、深い藍色の制服を着用し、同様に藍色の帽子を深くかぶった車掌らしき人が降りてくる。

「お客様」

 帽子の下から複雑な笑みを浮かべた口元を覗かせる。

「乗車券 拝見します」


 *


 突然のことに、私は同様を隠せなかった。

 それでも車掌は私の近くまでくると、その白い手袋をはめた手の平を広げる。まるで同じような動きを求めているようだ。

 恐る恐る手を広げた。気づかなかった。

 手のひらにあったものは、切符ぐらいの大きさの、鮮やかな赤い楓の葉だった。

「秋本 紅葉様」

 驚く事に、車掌の口から出たのは私の名前だった。

「お乗りください」

 そういうと、彼はまた複雑な表情で笑ったのだ。

 戸惑いながら電車に乗る。

 電車はすぐに、ゆっくりと動き出した。

 映し出された行き先を見て言葉を詰まらせる。

 どういう事かと聞こうとしたときは、そのひろい車両には私一人しかいなかった。

『霧崎霊園 行き』

 そこには、花本 大輔が眠っている。


 何故かはわからない。

 けど、しゃがみ込んで。私は泣いていた。


 外は穏やかな日差しだった。

 お坊さんに、最近入った若い人の墓は無いか聞いてみた。

すぐに案内してくれた。

 そこは、日当りがよくて、空が見渡せるいい場所だった。

 泣きはらした目で墓を見つめる。


 私は、葬式にも行けなかった。

 それどころか、好きな人が死んだ事も知らなかった。

 いや、事故にあった事さえも。


 ここにいる資格は あるのだろうか?


 何故か、頭に引っかかる。あの車掌の微笑み方が。

 合掌したあと、一口も飲んでいないお茶を供えた。

 そのとき、ふと思う。

 スポーツドリンクにしておけばよかったって。




 ────真っ赤に染まった一枚の楓が、音もなく空へと旅立った。


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