契約結婚終了まであと7日。限界夫婦に挟まれた御者は、今日も胃薬が手放せない
厩舎の前で、契約結婚終了まであと七日に迫った奉公先のご夫婦が、今日も無言で立ち尽くしている。
御者としてカーベルング侯爵家に仕える俺――フィンは、お二人に話しかけざるを得ない。
エリアナ奥様は、淡々とした顔で馬のスチューテン三号の首を撫でている。
カエルム様は、淡々とした顔で彼の仕事に欠かせない魔道具の点検をしている。
二人とも、淡々としているのは表情だけで、内心は絶対に淡々ではない。
俺は知っている。知りたくなかったが、知ってしまった。
……知ってしまった、と言うべきか。
カーベルング侯爵家の長であるカエルム様と、北から嫁いできたエリアナ奥様。
この政略結婚が「結婚から三年で離縁する」という期間限定のものだということは、本来、使用人である俺が知ってはいけない秘密だ。
だが、二人とも、移動の際に何かと関わる俺を「相談役」にしようと、とても要らない思い付きをしてしまったらしい。
本心を申し上げよう。しなくてよかった。
奥様はカエルム様のことが大好きだが、身分差もあり、本当のことは伝えられなかった。契約が終わるなら、もう放置してほしい。
そう言いながら、放置されると泣きそうな顔をする。
一方。
カエルム様は魔術師筆頭として立場のために契約結婚をし、離縁後は仕事にまい進する予定だったそうだ。
こちらも本来なら、御者である俺が聞いてよい内容ではない。
何度も言うが俺は御者だ。馬車の管理と安全な運行が俺の役目なのだ。
だが、契約結婚してから、カエルム様はエリアナ奥様に惚れてしまった。
奉公先の主人ながらアホだと思うのだが、惚れてから三年、あと七年で契約が終わるまで何もアクションを起こしていないのだ。
好きだと言えないまま、あと七日で契約が終わる。契約が終われば、彼女は家に戻る。二度と会えないかもしれない。それなのに、言えない。
などと、俺に向かってどうしようもない相談をしてくるのだ。
魔術師筆頭として、我が国の防御の要とまで言われる男だろうと、言いたくなったことは五十三回くらいある。
そんなわけで、お二人は、互いに未練を抱えたまま日々を過ごしている。
馬車は密室空間だ。だからこそだと思うのだが、そこから漏れ聞こえてくる、ぎこちないお二人の会話を背に受けながら、馬たちの世話をする日々。
その結果、俺の胃が毎日痛むことになった。
エリアナ奥様とは、馬の世話をしているうちに仲良くなった。彼女は気晴らしに厩舎へ来て、馬の首を撫でながらぽつりと言うのだ。
「カエルム様は……契約を守る方ですから。もう私のことは気にしないでしょう」
その声が、どう聞いても未練たっぷりだった。
ちなみに、そのカエルム様からは、いかに早く職場と家を行き来するかで毎日プレッシャーをかけられている。
昨日も、職場から家へ帰る馬車で言われた。
「フィン、今日は昨日より五分短縮できるはずだ。仕事に間に合わないだろう」
なんでこれから仕事のつもりなんですか、家に帰るんですよ、と言いたかったが、もちろん言えなかった。繰り返すが俺は御者だ。
そんな二人と、気づいたら俺は「執事や乳母より仲が良い」というきわめて特殊な立場になっている。
望んでいない。望んでいないのに、二人とも相談してくる。
「フィンはなんだか、相談しやすいのよね」
「お前に話すと、なぜか気持ちが落ち着くんだ」
ご夫婦として相性ピッタリだ。そう思ってそれとなく伝えたのだが、お二人は納得しない。
今日もその流れが続いている。
「フィン、今日はエリアナを送る」
カエルム様が言う。
「フィンさん、今日はカエルム様に送っていただく必要はありません」
と、エリアナが間髪入れずに言う。
俺は馬車の前で、胃を押さえた。
「……お二人とも、一応お伺いいたしますけど、どちらへ?」
「仕事だ」
「買い物です」
同時に響く声に、一瞬だけ、俺は空を見上げた。曇り空が胃痛を加速させる。
「では……近い方から参りましょうか。奥様の買い物というのは、教会へ寄付されるパンの調達です、よね?」
「それならば、私は後でいい」
「ダメです。カエルム様がお仕事に遅れてしまいます。私は後でいいです」
鹿毛の美しい牝馬、ダノーンが「ヒヒン」と鳴いた。
たぶん胃が痛いのだ。
俺は深呼吸した。
契約終了まであと七日。お二人の限界っぷりはよく分かっているのだが、こちらの限界はもうとっくの昔にどうにもならないところに来ているのだ。
言わなければ終わらない。今日こそは言うべきだと、胃の痛みが背中を押した。
「……あの、お二人とも」
二人が同時に振り向く。表情は淡々としているが、目の奥は不安と期待と後悔でぐちゃぐちゃだ。
俺はついに、言った。言ってしまった。
「好きなら、言えばいいじゃないですか。あと七日なんですよ」
沈黙。空気が凍った。エリアナ奥様が真っ赤になり、カエルム様が真っ青になった。
なんならカエルム様は動揺のあまり魔道具を展開させ、コマみたく人差し指の上で高速回転させている。
「い、いや……その……」
「契約が……その……」
二人が同時に言い訳を始めたので、俺はカーベルング侯爵家の紋章が輝く馬車の扉を開けて叫んだ。
「乗ってください! 二人とも! 話し合いましょう! 馬車は密室です!」
ダノーンが「ヒヒン!」と賛成した。たぶん彼も限界だった。
お二人は、素直に馬車へ乗り込んだ。
今だ。俺は手順通り扉を閉め、外から鍵をかけた。馬車の中から、かすかな声が聞こえる。
「……本当に、私のことを?」
「……契約なんて、どうでもよかったんだ」
俺は馬車の外で、胃薬を飲んだ。ダノーンと、その隣の黒毛の牡馬、スチューテン三号が鼻を鳴らす。
ブラッシングしてやりながら、俺は馬用のハッカ飴を取り出して食わせておいた。
しばらくして……扉を開けろという合図が、カエルム様から送られてきた。
扉を開けると、エリアナ奥様は泣きながらカエルム様の袖を掴んでいた。カエルム様は泣きながらエリアナ奥様の手を握っていた。
何か言おうとする二人に、俺は笑顔で首を横に振った。
全部聞こえていたので、何にも聞きたくなかった。
二人とも、契約結婚中に好きになっていたことを、大変初々しく告白していらした。
もう今日は何も食べたくない。
「フィン……ありがとう」
「フィンさん……ありがとうございます」
二人が揃って礼を言うので、俺は笑顔で答えた。
「いえ……よかったです、本当に」
スチューテン3号が「ヒヒン」と鳴いた。おそらく同意しているのだろう。
かくて、俺の胃痛は、今日で終わった。
はずだった。
翌朝。
いつになくすがすがしい目覚めと共に厩舎に行くと、エリアナ奥様がダノーンの首に抱きついていた。
「フィンさん……今日、カエルム様は私を迎えに来ると思いますか?」
「えっと……昨日、話し合ったんですよね?」
「はい。でも……契約が終わるまでは、カエルム様は私に触れない方がいいと思っているかもしれません。身分差もありますし」
誰だ、今日で俺の胃痛が終わったとか言ったのは。
俺だった。
おまけにダノーンが「ヒヒン」と鳴いた。たぶん面倒くさいと言っている。
その直後、カエルム様が駆け込んできた。
「フィン! 今日はエリアナを優先してくれ!」
来たじゃないですか、と言いかけたが、エリアナ奥様が真っ赤になって俯いたので飲み込んだ。
「でも……契約が終わるまでは、あまり近づかない方が……」
「いや、近づくべきだろう。あと六日しかないんだ」
「六日しかないからこそ、近づかない方が……」
二人が同時に言い合いを始めた。俺は胃を押さえた。馬たちが鼻を鳴らした。
俺は自分が甘かったと理解した。
限界までこじらせた大人のピュアラブの濃度を侮っていたのだ。
仲直りしたなら楽になると思っていたが、現実は違った。
契約終了まであと六日。二人は「好き」を自覚したことで、逆に暴走し始めたのだ。
その日から、二人は「近づくべき」「近づかないべき」で毎日揉めた。
カエルム様は仕事に行く前に必ず厩舎へ寄り、エリアナ奥様の様子を見てから出発した。
エリアナ奥様は身支度を整えたら必ず厩舎へ寄り、カエルム様が来るかどうかを確認した。
結果、俺は、毎朝二人の顔を見て胃痛を悪化させることになった。
さらに次の日、カエルム様は馬車の前で言った。
「フィン、今日はエリアナを仕事場まで連れていく」
「えっ、仕事場って……魔術師の塔ですよね? エリアナ様は関係ないのでは?」
「関係ある。あと五日しかないんだ」
エリアナ奥様は真っ赤になって首を振った。
「いえ、私は塔に行く理由がありません。あと五日しかないので、逆に距離を置くべきです」
「距離を置いたら、あと五日で終わってしまうだろう!」
「距離を置かないと、あと五日で終わるんです!」
二人が同時に叫んだ。俺は胃を押さえる気力もなかった。
奥様はあと五日で契約が終わり、離縁が成立すると思い込んでいる。
一方の旦那様も、契約に囚われて「結婚したままにする」という手段が頭からすっぽ抜けているようだ。
俺は馬鹿だった。好きだって言えばいいじゃなくて、ちゃんと「結婚しましょう」と言えばいいと叫べばよかったのだ。
案の定。四日目、エリアナ奥様が厩舎で泣いていた。
「カエルム様が……今日は来ませんでした」
「仕事が忙しいんじゃないでしょうか」
「あと四日なのに……」
その直後、カエルム様が駆け込んできた。
「フィン! 今日はエリアナに会わない方がいいと思って来なかった!」
「来てるじゃないですか」
「あと四日だからこそ、距離を置くべきだと思ったんだ!」
エリアナ奥様が泣きながら叫んだ。
「あと四日だからこそ、会うべきなんです!」
「すまない、エリアナ。俺が馬鹿だった!」
抱きしめあった二人が同時に泣き始めた。
俺は隠すことなく、胃薬を飲んだ。あと、ダノーン達にはハッカ飴をめちゃくちゃあげた。
これは全額経費で落としてもらおう。
三日目の朝、カエルム様は馬車の前で言った。
「フィン、今日はエリアナを遠乗りに連れていく」
「契約終了まであと三日ですね」
「だからこそだ!」
エリアナ奥様は真っ赤になって首を振った。
「あと三日だからこそ、遠乗りなんてしてはいけません!」
「あと三日だからこそ、遠乗りすべきだろう!」
お二人が同時に叫んだ。
もうお二人とも、お互いが好きすぎて滅茶苦茶なことを言っていると気づいていないのだ。
でもここで「馬鹿みたいなこと言わないで、いいから出かけてくださいよ」とは言えないのだ。だって俺、御者だもん。
何とか耐え忍んだ二日目の朝、エリアナ奥様が、厩舎で震えていた。
「明日で契約が終わります……」
「……そうですね」
「カエルム様は、どう思っているのでしょうか」
「昨日、遠乗りしたいって言ってましたよ。それにお二人とも、好き、なんですよね?」
エリアナ奥様は泣きそうな顔でダノーンの首に抱きついた。ダノーンが困った顔をした。
その直後、カエルム様が駆け込んできた。
「フィン! 明日で契約が終わる!」
「知ってます」
「どうすればいいと思う?」
「知らないですよ!」
俺は叫んだ。胃が限界だった。
というか、目の前にいるだろう、泣きそうな顔の奥様が。
俺に話しかけている場合じゃないだろう。
「だから! 旦那様、言えばいいじゃないですか、これからも俺とずっと一緒に暮らして妻として隣にいてくださいって!」
カエルム様は真っ青になり、エリアナ奥様は真っ赤になった。
「い、いや……その……」
「身分差が……その……」
二人が同時に言い訳を始めたので、俺は馬車の扉を開けて叫んだ。
「乗ってください! 二人とも! 今日こそ話し合いましょう!」
ダノーン含め、侯爵家の保有する馬たちがまとめて「ヒヒン!」と嘶く。
たぶん馬達も限界だった。
二人をねじ込んだ馬車の中から、かすかな声が聞こえる。
「……契約が終わっても、私はあなたを愛し続けます」
「違うんだ。契約なんて関係ない。ずっと一緒にいたい」
俺は馬車の外で、とびきり苦い胃薬を飲んだ。
そして翌朝。契約終了の日。
二人は手をつないで厩舎に現れた。
「フィン、契約は……終了した。だが、これで、俺たちも新たな門出を迎えられる」
「フィンさん、本当に、ありがとうございます」
微笑みあう二人だが、ハッ、とした様子で手を離した。
「も、申し訳ありません。侯爵家の妻として、はしたないことを」
「い、いや、俺こそ、食堂でつないで以来、手が離せずに……」
あー、もう。じれってぇなぁ!!
「……お二人とも、馬車へお乗りください。馬車は、密室ですから!!」
念押しする俺を前に、お二人は馬車へと乗り込んだ。内カギの位置をカエルム様にお伝えし、俺は外から鍵をかける。
「よーし、お前たち。今日は水浴びするぞー!」
.
大声で言うと、馬たちが分かりやすく「ヒヒーン」「プヒーン」と喜ぶような声をあげた。あえて蹄の音を鳴らして、その場で足踏みしてみせる芸達者までいる。お前、それ凄い大変だろう、偉いなぁ。
そんなわけで、数分後。
――馬車が小刻みに揺れ出した。
俺は今度こそ、厩舎の水浴び場へダノーンたちを連れていく。ブラッシングをたっぷりして、甘いおやつをたらふく食わせてやろう。
なんとなく、もう胃は痛くなかった。
おわり
登場人物一覧
エリアナ:領地を魔物から救ってくれた魔術師・カエルムのことが大好きなので、離縁込みの契約結婚を受け入れた。身分差もあるので、カエルムに本当のことは伝えられなかった。だんだんカエルムと距離が縮まっていくのに気づいたが、本心は切り出せなかった。特技は見たものをそのまま描くこと。
カエルム:家と身分ためにエリアナと契約結婚し、離婚後は仕事にまい進する予定だった高位魔術師で侯爵家の跡取り、かつイケメン。家へやってきたエリアナに初日で惚れてしまったが、契約結婚したからと本心を言い出せずに三年が過ぎた。エリアナの描いた絵が好き。
フィン:きわめて平凡な御者の家系に生まれた青年。苦労人気質。馬たちを愛しているので胃痛も耐えられる。胃薬は一度に飲まず、確実に飲み込める量を飲むと苦みを感じにくいと学んだ。
ダノーン:鹿毛の牝馬。気立てもよく美人でハッカ飴が大好きでとってもかわいい(フィン)
スチューテン三号:黒毛の牡馬。ダノーンのことが好きらしい、分かる(フィン)




