4話 虹の橋を見つけて
自らを〝マグナ〟と名乗り、真夏達と別れてからしばらく道路を走っていた。
そういえば、夏だったな。
いやもちろん気候上、外の気温は異常なまでに暑い。
蒸し暑いと言う部類で。太陽の日差しはまだ本調子だ。
なぜ、夏だと実感したのか。
〝セミ〟だ。
今となってはセミの鳴き声もそうそう聞けたものではない。
少なくとも僕が住んでいた都会では、セミの鳴き声なんて全く聞こえなかった。
都会から離れた田舎だからなのかな。
……。
翌日の朝を迎える。
僕はまたネットカフェの個室で夜を過ごしていた。
「……寒い」
冷房の効きすぎた店内でパンツ一丁は寒いに決まっている。
別に露出が好きなどではなく、現在ジーパンとTシャツは洗濯中。
店内をうろつく時はレンタルのバスローブを着る。
とりあえずコーヒーでも飲みたい。
狭い個室の中でバスローブを着込み、ドリンクサーバーに向かう。
ネットカフェは本当に便利だ。
ビジネスホテルやカプセルホテルなんかより格安で入ることが出来て、パソコンを利用したインターネット、マンガも読み放題。
おまけにドリンクは飲み放題だし、別料金で食事も取れる。
こんな素晴らしい場所が現代にはあるのだ。
店舗によってはシャワーもあるし、僕が以前立ち寄ったところは洋服の洗濯も出来た。
残念ながらこの店にはないが、店を出た隣がコインランドリーと本当に素晴らしい。オプション設定になるが、どうやらそのコインランドリーはこのネットカフェが所有するものらしく、洗濯が終わると利用者に知らせてくれると言う素晴らしいシステムだ。
人間は便利になりすぎたと言われるが、便利でないと生きていけない世界になっているんだと僕は思う。
そう思いながら、個室でコーヒーを飲みつつマンガを読んでいた。
それからしばらくして個室の扉がノックされる。
店員が洗濯が終わったとの知らせをくれて、コインランドリーに向かう。
すぐに帰ってくるつもりだが一応、店内から外に会計なしで出るためフロントで受付を済まし外に出る。
冷房の効いた店内から外に出るムワッと蒸し暑い熱気が襲ってくる。
しかし今までの夏の光景とは一変して今日は空がうす暗い。
かなり厚い雲が空を覆っていた。
「そのうち降り出しそうな感じだな」
空をしばらく眺めてコインランドリーで洗濯、脱水、乾燥まで完璧にされた服装を取り出す。
パンツは流石に羞恥心から脱ぐことが出来なかったため、どこかで新しいパンツを買って履き替えよう。
……。
バイクを何処へ向かうかも決めずに走らせる。
雲に覆われた太陽からの日差しはない。光がメッキパーツに反射することもなく快適に走れる。
少し風が出てきた気がする。
そろそろ降り出すか?
雨具を一切と持っていない僕には雨が降られたら大惨事だ。
せっかく服を洗濯したばかりなのに……。
こういう時、屋根つきの車が本当に羨ましい。
天候に左右されないから現在の天気を気にすることがない。
まぁ、それがバイクの良い所でもあるんだけどね。
しばらくは街中を走る。
今までの経歴からすると、都会から田舎へ。田舎から都会へ。という感じだ。
都会と言っても僕が住んでいた都会ではない。明らかに逆方向を進んでいるからだ。
それに山々の自然に囲まれながらも都会になりつつある、と言った景色だ。
車の通りもだんだんと激しくなっている。
赤信号に捕まり停車していると、頭上にポツ、と言う音が鳴ったような気がした。
ヘルメットごしなので何か虫がぶつかって来たのかと思ったがそうではなかった。
次第にポツポツと音が連続で鳴る様になり、ハンドルを握っているグローブに水滴が落ちてきている。
雨が降り出した。
「やばっ!?」
この降り始めからして、しばらくしないうちに大降りになる予感がする。
青信号に変わり車体を発進させながらどこか雨宿りできる場所はないか探す。
車の通行状況と流れの悪さからして、近くに大型ショッピングセンターがあると踏んだ。
こういう時は一大事だ。
危険だからやりたくなかったのだが道路わきをすり抜けて先に進む。
「あった!!」
誘導員に促されながらショッピングセンターの敷地に進む車の流れを無視して駐輪場を探す。
駐輪場でエンジンを切った時には雨が本格的に降り始めた頃だった。
「屋根がないから、バイクはびしょ濡れになるな……」
こればっかりは仕方のないことだ。
……。
ファーストフードショップから外を見ていた。
局地的な豪雨、と言う言葉が似合うような雨だった。
しばらくは動けそうにない。
ウェストポーチからMP3プレーヤーを取り出しイヤホンを耳にはめて音楽を再生しながらこれからのことを考える。
『君は南砂華島と言う場所を知ってるかい?』
『いえ、全く』
『君がこれからどこに行くかはわからないが、もし機会があれば寄ってみると良い。とても良い所だぞ』
佐田さんが言っていた〝南砂華島〟。それはどこにあるんだろう。
ネットカフェにいる時にインターネットを使って調べてみたのだが検索には一軒も引っ掛からなかった。
どこかの僻地なのか?
それでも今の時代はIT革命時代で情報社会だ。
ちっぽけな僻地や秘境でも検索に引っ掛からないハズがない。
デマ情報でも寄越したのだろうか?
佐田さんの事だからありえそうだ……。
では、その島があると仮定しよう。
島と言うからには離島の可能性が非常に高い。
この〝国〟自体にはたくさんの離島があり、ほとんどが橋によって本島と繋がっている。
とすれば橋を探せばその離島に着けるかも知れない。
しかし可能性は絶対ではない。
もしかしたら飛行機でしか行けない場所かもしれないし、フェリーでしか行けない可能性だってある。
「海、か」
海岸沿いに走っていれば気づくことが出来るかも知れない。
決して南砂華島に行くと決まった訳ではないが、一つの目標としても良いだろう。
携帯電話を持たず、地図を持たず、ポータブル・カーナビを持つこともなく装備品が薄い僕にとっては曖昧な基準でも良い。
スタートは必ず存在する。しかし地図やカーナビがあったとするとすぐにゴールが出来てしまう。
ゴールを作りたくなかった。
そりゃいつか、この旅にも限界が来るとは思うけど、まだ僕は家に帰りたくない。
……。
ファーストフードショップから出る頃にはさっきの天気とは一転し、雨はすっかりと上がり空が晴れていた。
カラッとした晴れた空の向こう側にはうっすらと虹が架かっている。
「うん、良い天気。虹なんて何年ぶりに見たかな?」
虹を眺めながら缶コーヒーを飲む。
僕は夢が見たい、だとか言ってたけど今の光景が、どこか夢の様で幻想的な感じだった。
ここを出発する前に新しいパンツを購入しトイレで履き替えた。
非常に失礼ながら今まで着ていたパンツは荷物になるのでゴミ箱に捨てさせてもらった。
これで今のところは不衛生な物は着ていない。
心なしかリフレッシュした気分だ。
改めて駐輪場に向かい、自分のバイクの様子を見る。
激しい雨にうたれたせいもあり満遍なく水に濡れている。
「しまった、拭く物を買うの忘れた!!」
もう一度店内に戻り、今度は布地が柔らかそうなタオルを買ってくる。
どんどん出費がかさむな……。
そんな事を呟きながら丁寧にバイクの水分を拭き取る。
昨日、洗車やら整備をしてもらったためか大して汚れている様子もなくタオルも汚くなっていない。
このまま捨てるのも勿体無いな……。
世界共通語で〝MOTTAINAI〟なるものがある。
それが今のこの状況か……。
しばらくタオルを持ったまま捨てるかどうか迷っていると隣に停めてある原付バイクに近づく人がいる。
「ひゃ~~!! 濡れてるぅ~~!! 参ったなぁ……」
これはもしかしたらチャンスではないだろうか?
〝MOTTAINAI〟精神を活用して、これを渡してしまってはどうだろうか?
処分に困っているタオルを他の人に活用してもらうことで僕は所有権を放棄するのだ。
とりあえずしばらくは観て見ぬフリをする。
そして水分が残っているタオルを絞り、水分を抜き更に様子見。
買い物袋を片手に悩む人は女性で大人っぽい印象を受ける人だった。
年齢は僕より少し上ぐらいだろう。
少し甘栗色に染まっている髪色にショートカット。
とても綺麗な女性だ。
「こんな事なら車で来ればよかったな~……」
ktkr!!!! ってこんな感じで使うのかな?
「よろしければ、これで拭きます?」
さりげなく、タオルを差し出す。
「いいんですか?」
「えぇ、困ったときはお互い様です」
「ありがとうございます!! すぐ拭きますので待っててください!!」
待て。
このパターンからすると返却してくるぞ。
「いえ良いですよ、差し上げます」
なんとしても所有権を託そう。
収納スペースがないバイクに乗っている僕にとっては邪魔なものだ。
「いえいえいえ、お返しします。すこぉし待っててくださいね? それともお急ぎですか?」
「え、いや、別に……」
強気になれない僕でした……。
チャチャッとシートの水分を拭き取り原付バイクに跨る女性。
前かごに買い物袋を入れ、ハンドルを拭いてタオル絞る。
「ありがとうございました、助かります!!」
結局、返却された……。
「いえ……」
ま、仕方ない。
〝MOTTAINAI〟が、捨ててしまおう。
キュルルル―――。
女性がエンジンを掛けるためにセルスターターをまわす。
キュルルル―――。
キュルルル――――――……。
「あれ?」
どうやらエンジンが掛からないのか、しばらくセルをまわしては止め、またセルをまわすがエンジンは一向に掛からない。
「やっばいなぁ。さっきも掛かり悪かったし……」
セルをまわすのを諦めてキックスターターでの始動を試みる。
何度もキックするが掛かる気配がない。
「……はぁ。やっぱり車で来るべきだったかな。どうしよう、フェリーの時間もそう遠くないし、歩きだと無理だなぁ」
フェリー?
近くにフェリーがあるのか。と言うことは南砂華島を知っているかも知れない。
「あの」
「はい?」
「近くにフェリー乗り場ってあるんですか?」
試しに聞いてみることにした。
「はい。って言っても2時間ぐらいかかりますけど」
「そうですか、どこに向かうフェリーですか?」
「南砂華島って言う島、知ってますか? そこに向かうフェリーが出てるんですよ」
なんたる偶然!!
インターネットでも見つけることが出来なかった場所を簡単に知る事が出来てしまった。
「ただ、一日2本しか便がないので不便でして……。この先―――ちょうど虹が出てますよね? あっちの方に向かっていくと海が見えるんですけど、そのまま道なりに行けばわかると思いますよ。南砂華島に行くんですか?」
「知り合いがその島を教えてくれたもので、行ってみようかな、と」
「何もない島ですよ? 行ってもつまらないかも」
「そうなんですか?」
「って言ってもあたしがその島の住人だからそういう事が言えるんですけどねぇ。一応、夏になると海水浴とかサーフィンしに来る人とは結構いますよ。何でも『隠れた観光スポット』とかで。来訪客のほとんどは常連さんですね」
「ネットで検索を掛けても情報が一切出なかったんですけど、どうしてかわかります?」
「検索に引っ掛からない事からして、それぐらいの場所なんじゃないでしょうか? 後、島自体が観光を目的として名を挙げてないのが原因じゃないかと?」
そう言ってまたキックを蹴る。
「あっ!! 掛かった!!」
どうやら故障ではないらしい。
何回かエンジンを吹かし様子を見ている。
―――随分アイドリングが弱いな?
しばらく原付バイクの様子を見ていると、アイドリングが徐々に低くなりつつある。それを女性が空吹かしで対処しているが、次第にエンストしてしまった。
「にゃぁぁぁぁぁ!!!!」
「!?」
女性が叫ぶ。
「今日は厄日だぁぁぁぁぁぁ!!!! 朝起きたら階段から滑り落ちるし、包丁で手は切るし、雨は降るし、バイクは故障!! どうなってんのよぉぉぉぉぉ!?」
「ちょっと見せてください」
見ていられなくなって、声を掛ける。
エンジンの故障はないだろう。〝カブ〟のことだからどんなに古いオイルを入れても動くし、地上20メートルから落としてもエンジンが生きてた証拠があるからな。
女性がシートに座ったまま僕を見ている。
「結構古いんですよぉコレ。もう10年くらい前の物で一切修理に出してないんですよ」
「大丈夫ですよ。30年前の物でも平気で動くカブを見たいことがありますから」
「バイク屋とかで働いてたことがあるんですか? 整備士とかで?」
「別にそうではないですが、色々と知識はあります。昔、友達がよく弄ってた車種ですから」
昔……。学園生の頃だ。
二輪免許が取れる歳になって簡単に取得できる原付免許。僕は普通二輪免許を取ったけど、友達が一人がどうしてもコレに乗りたいと言う変わり者で原付免許を取ってコレに乗っていた。
ガキの頃は、どちらかと言えばカッコイイ物に乗りたがる風潮があるけど、彼はコレを目茶目茶に弄って乗っていた。
ヤンキー車仕様の中に混じって走るカブ。
今思えば可愛らしい光景だったな。
「ん、出来た」
女性を座らせたままセルをまわしてみる。
トトトトト、と単発音を鳴らしながら回るエンジン。
数回吹かしても特に問題はなさそうだ。
「わぁぁぁ!! ありがとうございます!! 原因は何だったんですか!?」
「単にガス欠です。とりあえずサブタンクに切り替えておきましたが、すぐに給油してください。本当にガス欠起こしたら今度こそ手押しですから」
「はい、わかりました!! 本当にありがとうございます!!」
「給油したらコックを元に戻してくださいね。場所はここです」
フューエルコックの位置を教えて、自分のバイクの元に戻る。
シートにはタオルがあった。
捨ててこないと……。
「あのー……南砂華島に行くんですか?」
「え? えぇ、まぁ。行く所を特に決めてた訳ではないので、手当たり次第にどこか行こうかと。たまたま南砂華島が近くにあるのもわかりましたし」
「でしたら、あたしと一緒に行きます? あたし、こう見えても民宿の娘なんです。もし島に来るなら泊まっていきませんか? ある程度のお礼も兼ねて、おもてなし致します」
島に来るなら泊まって、か。
近くには南砂華島あり、いつか僕はそこを目指そうとしていた。
これから先、闇雲に先を進むのもいいけどまともな食事も取っていないし、あまり体に良い休憩をとっていない。
おいしい話ではあると思う。
「フェリー乗り場まであたしについてくればいいと思います。〝お兄さん〟のバイク、すっごい大きいのであたしとの並走だと、チンタラで申し訳ないんですけど……」
少し考えた後、僕は空の掛かる虹の橋を見る。
あそこを目指せば、僕は満足するのだろうか?
この旅の期間は設けていないが、時間は有限だ。
いつか、区切りを付けなければいけない。
ゴールを作りたくないと思っていたが、通過点としてはいいだろう。
「よろしく、お願いできますか?」
僕は、カブに跨る女性に着いて行く事にした。




