1話 ツーリング
僕は、ただひたすらアクセルを捻っていた。
Vツインサウンドが心を躍らせる。
もっと排気量の大きい鉄馬だったらまた違った快感を味わえたかも知れないが僕はこれで十分だった。
家を出て既にまる一日は経っていた。
昨日の夜、僕を家を出た。
特に家を出るとも伝えず、どこに行くとも伝えず。
両親は一日家に帰らない僕を心配しているだろうか?
それはわからない。
ケータイにはきっと何度も連絡をしただろうがケータイは家に置いてきた。
夏のぎらつく太陽は僕の肌を焼く。
家を出る時には一応革ジャンを着てきたが昼間に来ているのは厳しすぎる。
荷物になった革ジャンは腰に巻いて対処した。
僕の乗っているバイクには収納スペースがないので仕方ない。
しばらく舗装されていたアルファルトを走り続けていたが、流石にほとんど休憩もしていない。
しかも既にこの辺りは僕の知らない場所。
目先にコンビニの看板が見えてきてそこに止まった。
とりあえずお茶とおにぎりを買ってくる。
「暑いなぁ。今日も良い天気だ」
空を流れる雲は穏やかでキレイな白を演出している。
「それは君のバイクかい?」
お茶のペッドボトルを片手に空を見上げてボーッとしていると40代半ばのおじさんに声を掛けられた。
「ええ、そうです」
「ずいぶんとキレイだな。この型は既に廃盤になってるよな?」
「そうですね。確かそのはず」
「うん、実にキレイだ。このバイクも君みたいな人に大切にされてさぞ嬉しがっているだろうな」
「ありがとうございます」
僕は人と会話をするのがあまり得意ではない。
だがこう言った世間話などは割とついていける方だ。
「ところでツーリングの最中かい?」
「はい」
「ほう、どこまで?」
「いえ、特に目的地は決めてないんです。ただ闇雲にどこか、景色の良いところでもと」
「なるほど。実は俺もツーリングの最中なんだ。仲間うちでね。ほらあそこにいるだろ」
指を示す方法を見ると数台のハーレーとここにいるおじさんと同年代ぐらいの人達がいた。僕と視線が合うと手を振ってくれた。
「どうだい一緒に? 目的地がないんなら俺たちとここにいかないか?」
こんな暑い日にも関わらず革ジャンを着ていたおじさんは一枚の写真を胸ポケットから取り出し僕に見せてくる。
その写真には大きな滝の前におじさんを含む数人が笑顔で写っていた。
「景気の良いところを見たいって言ったよな? ここは良い所だぞ。夏になると良く行くんだ。それにあそこにいる連中は元々友達や会社の仲間ではなく、こういった場所で知り合った仲なんだ」
「そうなんですか」
「無理にとは言わない。集団で走るのもいいが一人で走るのも悪くない。君次第だ。俺は先にあっちに行ってるよ。もう少しで出るが良かったらついて来てくれ」
おじさんは仲間の元に返っていく。
「ああそれから!!」
「え?」
「しっかりと長袖を着なさい!! 君の腰に巻いている革ジャンだよ。転んだりしたら半袖じゃ大怪我だ!!」
悪くない。
こういうのも経験の一つだと思った。
僕は旅に出ると言って出てきたが何もかもがノープランだ。
そんな僕にあの人はライダーとしてのアドバイスをくれて観光スポットも紹介してくれた。
ペットポトルに残っているお茶を飲み干し半分になっていたおにぎりを口に突っ込んでゴミをゴミ箱へ捨てる。
それと同時に少し離れた所からハーレーの排気音が次々と吹き上がる。
どうやら出発するようだ。
僕もエンジンを掛けてエンジンを吹かす。
腰に巻いていた革ジャンに袖を通してヘルメットを被る。
次々と発進する鉄馬を目で追い、最後尾が出たところで僕もそれに続いて追いかける。
一番後ろを走っている人はさっき話しかけてきた人だ。
ミラーで僕の姿を確認すると左手でピースを作る。
ツーリングサインだ。
僕も左手でピースを作りツーリングサインを返す。
しばらくはこの人達についていこう。
アスファルトを掛けるバイク達は群れを成して走る馬のようだ。
この晴れ渡る空の下で永遠に続く道を僕は見知らぬ人達と共に進む。
途中、僕の前を走っていたおじさんが僕の隣に並び、手で何かを伝えようとしている。
雰囲気から察するに、「俺の前を走れ。一番後ろは俺が走る」と言った感じか。
色々とバイク雑誌を読みふけってきたがその雑誌の中に必ずあるツーリング特集。
そのツーリング特集で〝団体ツーリングの走り方〟と言うのを思い出した。
一人で走る時とは違い、団体で走る場合は先頭をリーダーと定め一番後続を走る人をサブリーダーとし街中の信号で団体が遠く離れてしまった場合はサブリーダーが先頭を走り、道を案内すると言う内容。
「プロだな」
排気音と風きり音で声がかき消されるが誰に喋っているわけでもないので独り言。
途中、何度か適度な間合いでコンビニなどに停車し休憩を取りつつ目的地に向かう。
休憩中は会話が自然と弾み、バイクのあれこれや体験などを聞く。
こんなに自分から会話が楽しいと思ったのは久しぶりだった。
……。
「長い道のりだったが大丈夫か? 気分は悪くないか?」
「はい、大丈夫です」
コンビニで出会ってから一緒に走り続け、走行メーターで100キロを越えた頃に目的地へ到着した。
「君はずいぶんと走り慣れている気がするが集団ツーリングは初めてではないだろう?」
「いえ全くの初心者ですよ。学園生だった頃に一度だけ友達同士で近所を走ってたことはありますが、少なくとも僕はこのバイクを買ってから今日みたいな遠出なんかしたことも無いです。大体が通学で使ってるぐらいです」
「大学生と言ってたな。友達とかでツーリングとかはしたことはないのか?」
「あまり気が合う友達がいなくて……」
「そうかい。それは悪いことを聞いてしまったな。すまない」
「いえ、全然気にしてません」
「しかしこのバイクは良い出来だ。俺達のハーレーなんかよりある意味楽しいと思うな」
「僕からすればハーレーにもいずれ乗ってみたいですね」
「是非乗ってくれ。ハーレーを毛嫌いすることも多いが人それぞれだからな」
「神埼さーん、皆で写真撮りましょうよ」
神埼とは今目の前にいる人だ。
後続から僕の針を見ていた人。
「君も写ってくれないか? 記念だよ。出来上がった写真はご自宅に送るよ。後で住所と名前を教えてもらってもいいかい?」
少し戸惑ったがせっかくの好意を無駄にすることは出来ず、「はい」と答えた。
目の前に広がる大きな滝は僕に水を浴びさせる勢いで滝つぼに落ちていく。
こんな真夏だと言うのに滝つぼ周辺はとても涼しく気持ちが良かった。
「少し、喫茶店に寄っていかないか? ここの鮎は美味しくてな」
今まで走ってきて景色は都会から田舎へと変わりつつあった。
ビルが立ち並ぶ都会よりも空気が澄んでいて、山があり木々が生い茂っている。
鮎が売られていると言う事は近くに川があると言う事だ。
途中見かけた川ではないと思うが、ここは〝自然〟だらけだった。
……。
「俺達はここでツーリングは終わりなんだが君はどうする?」
「僕はまだ先に行きたいと思います。夏休みを使って色々なところに行きたいんです」
「そうか。なら君とはここでお別れだな。本当にありがとう、楽しかったよ」
「いえ、こちらこそありがとうございました。本当に」
「気をつけていくんだぞ。若いからって無茶はダメだ。しっかりと休憩を取って安全運転を心がけてくれ。俺達バイク乗りは車の事故と違って死亡率が大きいからな。俺達みたいのが事故って死んでしまうのはいいが君みたいな若いのが死んでしまうのは本当に悲しいことだ」
しばらくの間一緒に走ってきた〝仲間〟達と握手交わし、僕は一人でこの場所を後にする。
時も夕暮れ。……だと思う。
時計を持ってきていないうえにケータイも持ってきていないため正確な時刻はわからないが日が着々と傾き始めている。
そんな中僕は見ず知らずの〝世界〟を、どこへ向かうかも定まらず走っていた。
……。
翌日、正確には午前5時過ぎ。
時計を見て確認する。
僕は今ネットカフェにいる。
あの後しばらく道なりに沿ってバイクを走らせていると街中に出た。
田舎道がずっと続いていた景色は少しずつ建物が並ぶ景色に変わっていった。
その時には日が完全に落ち、夜になっていたし夜中の運転は色々と危険であり今自分がどこに向かうかも定まっておらず、しかもどこにいるかもわからない状況下では旅に出ると決めて家を出た割には精神的に不安になった。
しかも一昨日からほとんど睡眠をとっていないため肉体的にも疲労が重なっていたので見掛けたネットカフェに入った。
このネットカフェは会員制ではなく身分証の提示は必要はなかった。
仮にも〝家出〟人間のためとてもありがたい事だった。
「シャワー、浴びて、ここを出よう」
貴重品を持ってシャワールームに向かう。
無料と言う響きは、どこか人間として嬉しい気分だった。
ネットカフェを出る頃には午前6時をまわっていた。
今日も日差しが強く、空は雲ひとつ無い天気の良い日だった。
昨晩ネットカフェに入ってから寝る前にインターネットを利用して周辺の観光スポットを調べてみた。
残念ながらここ周辺に観光スポットは無いがしばらく道なりに国道走っていくとどうやら〝山〟があるらしい。
7合目までは車両での通行も可能らしく、観光スポットにもなっているため僕はそこを目指してみようと思った。
……。
ネットカフェを出て早4時間ちょっと。
途中のコンビニで1000円のデジタル腕時計を買ったので時刻が鮮明にわかる。
この辺り一帯は既に僕が暮らしていた都会からは大きく離れている。
何もかもが知らない土地ながら舗装された道を進み迷子になりながら目的地に到着した。
午前10時をまわった今、僕と同じ観光客は集まりつつあった。
「疎山?」
この山の名前だった―――。
しばらくふもとで休憩を取りつつ売店で腹ごしらえをする。
特に気になったことはないが人々が着々と増えていて、車の数も増えてきた。
中にはツーリングで訪れた観光客もいるようで、皆揃って坂道を走っていった。
「そろそろ上に行くか」
きっと上から見た景色は最高だろう。
気分が踊る中、売店から離れた駐車場に駐輪したバイクの元に歩いていくと一台の高級車が坂道を目指していった。
「アレは―――」
気にしないことにした。
コンクリートで舗装されたうねる様な道を走らせていく。
峠とでも言うのだろうか?
走り屋の人からすればとても面白い道だろう。
しかし僕は残念ながらこの様な道には慣れていない。
後ろから迫ってきた車両はなるべく先に行かせて僕なりのペースで上を目指していった。
しばらくトロい走り屋気分を味わいながら7合目に到着した頃には坂道の運転にも慣れていた。
随分と高いところに来たものだ。
若干ふもとよりも気温が落ちていて肌寒いが幸いにも革ジャンのおかげでそこまで気にならない。
ここから見渡す景色は絶景だった。
見渡す建物が全て玩具に思える感じだった。
ここから、僕が住んでいた場所は見えるのだろうか?
しかし辺りを見回してみたがわからなかった。
この景色を写真に収めたいと思ったがカメラがないため諦めてバイクに跨る。
ここ、疎山7合目には何も無い。
途中5合目の中腹にて土産屋や食堂などは色々とあったがここは本当に景色を楽しむためだけの場所だった。
他にここへ訪れた観光客も記念写真などを撮影しては戻っていくような状態だった。
……。
中腹に戻り、食堂で昼食を取る時には12時をまわっていた。
観光客で混雑しているこの光景からして、結構有名な観光スポットと思える。
食堂を出て土産屋で何も買うわけでなく商品を堪能して外に出ると少し離れた場所で人だかりが出来ているような感じがした。
何か曲芸でもやっているのだろうか?
気になって僕もそこに行ってみるとどうも違ったらしく、何やら言い争いが起きていた。
「ちょっと、そこをどいて下さらない? そこは今から私が写真を撮るのよ」
「何言ってんだオマエ? 俺らはさっきからここにいただろーが!!」
「そんな事は知らないわよ。たった今、ここは、私の場所になったのよ!!」
人ごみの中からその光景を見ると、一人の少女が男二人組みと口論になっていた。
会話から察するに、要は少女が男のいる場所で写真を撮りたい、とのことらしい。
「アナタ達、私の事を知らなくて? これでも有名人よ?」
「知るかよそんなこと!! 有名人だろうがなんだろうが俺らはしらねーよ!!」
「そうだ、いい加減マナー守れよなお譲ちゃん。ここはアンタの物じゃねーだろ」
「いくら必要なの?」
「「はぁ?!」」
「いくらでここを売ってくださる?」
「どういう意味だゴラ?」
「そのまんまよ。お金で解決。これは取引よ」
「取引って……。お前、正気か?」
「正気も何も大マジよ。いくらで譲ってくださる?」
「少し頭おかしいんじゃねーの?」
「お譲ちゃん、変なこと言うなよ」
「いくら? いい加減にしないと痛い目に遭うわよ?」
「ふざけてんじゃねーぞ!!」
ヒートアップしている言い争いにぞろぞろと人が押し寄せる。
なぜ皆見ているだけなのだろうか?
仮にも相手は少女一人に対し男二人。
どう見ても不公平だろ。
金でどうこう言っている少女がどこぞの拳法などで相手を倒せるほどの実力があるならまだしもそうは見えない。
しかもここは仮にも山の中腹だ。
警察を呼んだとしてもすぐには来ないだろう。
「少し痛い目に遭うのはお前だぞ!?」
「オイよせって。相手は女だぞ?」
「でもよ!! いくらなんでもあんまりだろ、こんな所でケンカ売られちゃたまんねーよ」
「いい? 最後の警告よ。いくらでここを売る?」
「テメッ!!」
「ちょっと放しなさいよ!!」
とうとう怒りが爆発した男の一人が少女の腕を掴んだ。
これはヤバイだろ?
だけど誰も止めようとしない。
「佐田!! こいつらをどうにかして!!」
少女が誰かの名前を呼ぶ。
しかしその〝佐田〟と呼ばれる人物は出てこなかった。
「佐田!! いるんでしょ!! 出て来なさい!!」
「なんだ彼氏か? そうか、結局は人任せの女かよ!!」
「痛いわよ放しなさい!! 佐田!! 佐田!?」
少女が名前を叫ぶ。
男が少女の手を引っ張る。
「なぁ止めようぜ? 俺達が悪者になっちまう」
「うるせぇ黙ってろ!! こういう女は本当にムカつくぜ。一発殴っておかないとな。シツケが必要なんだよ!!」
少女の腕を掴んでいる男が腕を上げる。
そろそろヤバイ。マジでヤバイ。
それでも誰も止めようとしない。
これが、現状だ。
下手に争いごとに介入してしまうと自分が不利益になる。
皆、ここにいる人々は自分の事で頭がいっぱいなのだ。
上がっていた男の腕が振り下ろされる。
拳は作っていないがそれでも少女を叩くつもりだろう。
「くっそ!!」
僕は人ごみを強引に掻き分けて少女に近づく。
あと少しで少女が叩かれてしまう。
「いい加減止めとけ」
「あ゛?」
振り下ろされた男の手を間一髪で受け止める。
かなり強い力だった。
「なんだ、テメェ? テメェが佐田ってヤツか?」
「ごめん、人違い……」
少女は腰が抜けたのか、その場に崩れ落ちてしまった。
目には涙が溜まっている。
泣くのか―――?
「はっ人助けか? いい度胸だな。男として褒めてやるよ。だけどよ、そこの女の替わりにお前が相手になってくれるのか?」
「いや……そういう訳じゃ……だけど、暴力はダメだよ……」
「テメェ自分の立場わかってんのか? 少なくともテメェが出てこなければ矛先はテメェには行かなかったんだよ。何が暴力はダメだよ、だ!!」
男は僕が止めていた腕を振り放し拳を放ってくる。
今度こそ本気だ。
完全に怒りの矛先は少女から僕に変わっている。
僕の顔目掛けて拳が向かってくる。
だけど、その拳が向かってくる事はなかった。
「悪いな。俺はあんまり暴力とか好きじゃないんだが……正当防衛だ」
「テメェ……」
男は力を失いその場に倒れそうになる。
それを受け止めて、近くに立っていた男に目を合わせる。
「な、なんだよ……」
「お前の友達か?」
「だからなんだ……?」
「引き取ってくれ。邪魔だ」
「あ、あぁ……」
「特に怪我はないと思う。気を失っているだけ。心配だったら病院に連れて行くといい」
気を失っている男の肩をもう一人の男が担ぐ。
「すまない……。ここまでさせるつもりはなかったんだ」
「いや、いいさ。俺達も悪い」
「そこにいる〝女〟には俺からよく言っておく。これ以上の騒ぎもなんだ。引き上げたほうがいい」
「あぁ……」
男は未だに気を失っている。
その男の肩を担いだまま近くに停めてあった車に乗ってここからいなくなった。
「……やっちまった」
僕は、余計なことに足を突っ込んでしまったと思う。
後悔だけが残ってしまう、そんな感じだった。
座り込んでいる少女に目をやる。
放心状態なのか、ボーッとした目つきで僕を見ている。
家を出て二日目。
僕は、一人の少女を助けた。




