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1話 つまらない僕

 今の季節、夏って言うんだ。

 まぁ誰だって知ってることだけど……。

 とても気温が高くて暑い季節。

 特に僕が生きるこの国では〝蒸し暑い〟って感じでどこにいても暑く感じてしまうんだ。

 まるで蒸し風呂にいるように。

 それに変わってどこかの国では日差しにあたると僕の国よりも暑いのに日陰に入ると涼しいと聞いたことがある。

 あ、ちなみに今のこの季節〝夏〟の反対は冬って言うんだ。

 僕はどちらが好きって聞かれたら、冬が好きって答えるかな。

 ―――なんとなくだけど。



 蒸し暑い日々が続く。

 例年よりも少し長いと言われていた梅雨があけ、この国には夏が訪れた。

 強い日差しが照りつけ、半袖Tシャツで外をうろついていると簡単に肌が焼けてしまう。

 そんな季節だ。

 夏、と言えば何を思い浮かべる。

 海かな? スイカ?

 それ以前に学生だったら夏休みか。

 夏休みっていいよね。

 だって一ヶ月以上も休みがある。

 そんな僕だって学生である。

 大学生二年生の夏。

 去年の夏休みは何をしてたっけ?

 思い出せない。

 記憶を失っているとかそんな事ではない。

 記憶に残るようなことをしてないんだ。

 僕はつまらない人間だ。

 そのつまらないって言う基準は人それぞれだと思うけど、僕は本当につまらない人間だと思う。

 夏休みだったら普通、友達同士でどこかに遊びに行ったりとかすると思う。

 だけど僕はそんな事もしなかった。

 暇がなかった。って言うのは言い訳。

 作ろうと思えばいくらでも暇は作れた。

 それでも暇を作ったところで本当にただの〝暇〟にしかならない。

 なにもしない、ただ寝ているだけの一日。

 更に言い訳をしよう。

 友達に何かしら遊びに誘われなかったんだ。誘いもしなかった。

 ちょっと自分が惨めに思えてきたな。

 まぁ実際そのとおりだが。

 今日も、また何でもない一日を過ごすか。



 けたたましい音をたてている物がある。

 それは目覚まし時計ってヤツだ。

 名前の通り、寝ている人間の目を覚ます時計だ。

 設定した時間で音が鳴る。

 デジタルタイプのもあれば見慣れたアナログタイプもある。

 僕はアナログの方が好きだ。

 

「うっせ」


 この目覚まし時計はちょっとばかり面倒でよくアニメとかで見る〝叩けば音が止まる〟と言うものではなく、時計の後ろにあるスイッチをオフにしないと止まらない。逆に目覚ましをセットしたらオンにしないといけない。

 まぁ安物だったら普通か。


「今日も暑いな」


 いつも同じ事を言っている気がする。

 誰でも一緒か。

 正式には蒸し暑い。

 じめじめと嫌な感じだ。


「さて、今日も大学だ」


 こんなじめじめと蒸し暑い中大学に行くのは正直嫌だ。

 できるなら冷房の効いた部屋でゴロゴロしていたい。が、この家では無理だ。

 この不況の世の中、少しでも節約精神が芽生えてしまう僕の母親は中々にクーラーを使おうとはしないし使わせてくれない。

 扇風機で我慢する!! との事だ。

 冬になると石油ストーブはガンガン使うんだけどな……。

 

「おーい! 起きてるかー!?」


 母さんの声だ。

 一階のリビングから聞こえる。


「起きたー!!」


 返事をすると「さっさと顔を洗え」と帰ってきた。

 二階の狭い自室を出るとスッと涼しい感覚に若干ボケている頭が覚醒した。

 風の通りが悪い部屋よりも廊下のほうが涼しいのだ。

 階段とゆっくりと下り洗面所に向かい冷たい水を顔にぶつける。


「ぬるっ」


 これが夏です。


「大学はいつから休み?」

「わからん」

「なんでよ?」

「なんでだろうか……」

「こっちが聞いてるの。ちゃっと大学行ってるの? この前ゼミの担任から電話があったわよ」

「……。なんて言ってた?」

「ちゃんと顔を出せだって。与えられた課題とかちゃんとやって、それを提出してくれるのは良いけど授業に出てくれないと寂しいだってさ」

「あっそ」

「ちゃんと卒業してよね、高い金出してるんだから」

「……」


 つまらないんだよ。

 って言えれば僕は変われるのかも知れない。

 だけど、『高い金出してる』と言われて、つまらないなんて簡単には言えなかった。


「大学は要領だよ」


 朝食のパンを口に放り込みながら、牛乳でパサパサになった口内をうるおす。


「行ってくるよ」

「気をつけてねー」


 朝食を終えて適当に着替えを済まして家を出る。

 日差しが素晴らしい具合にアスファルトを照らしている。

 今日も暑そうだ。

 既に額にはうっすらと汗が浮き出ていた。


「ヘルメット被りたくないな……」


 ヘルメットとは工事現場などで使うようなヘルメットではなく二輪(バイク)用のヘルメットだ。

 全車種対応のヘルメットで原付から大型(リッター)バイクまで使用可能。

 二輪(バイク)用ヘルメットと言うと大体の人がフルフェイスを想像すると思うけど、そんなを夏に被ったら暑すぎて運転どころではない。

 安全を考えたらやっぱりフルフェイスだけどね。

 僕は〝ジェットヘルメット〟を被る。

 フルフェイスとは別でアゴの部分を省いたヘルメットだ。

 更に詳しく言うと、僕のジェットヘルメットはスモールジェットと言ってシールドが別売りになっているヘルメットだ。

 スポーツ用に作られている訳でもなく、安全性を高めたヤツでもない安物だ。

 どちらかと言うとシンプルに作りであるが、どこかクラシックで良いと思える、そんなヘルメット。

 ガレージから手押しで愛車(バイク)を出す。

 エンジンキーを回しイグニッションをオンにする。

 この暑さだし、エンジンがキンキンに冷えていることはないだろう。

 その上、ほぼ毎日通学に使っているバイクだからセルスターター一発だろう。

 アクセル付近にあるセルボタンを押すとキュルルと音を立てて、Vツインエンジン独特のドドド!! と排気音が鳴る。

 今日も絶好調のようだ。

 僕はつまらない人間で何もとりえがない。

 そんな僕だがバイクは好きだった。

 エンジンを何回か軽く吹かす。

 よく吹け上がりエンストはしない。

 ローギアを入れて発進しようとしたところで気付く。

 目の保護を忘れていた。

 サングラスをかける。

 大学まではバイクや車で行くなら30分程度で行ける。

 ただバイクで通う僕は天候に左右されるため梅雨の時なんかはほぼ休んでしまっている。

 走行中、たまには景色の良い場所を走りたいと思った。

 よくアニメやマンガなどで描かれる海岸沿いを走るとか永遠に続く一本道でも心が癒される、そんな景色とか……。

 だけど思い描くだけで僕は一度もそういったところを走ったことが無い。

 中途半端に田舎で中途半端な都会である此処は、走っていて楽しい場所ではない。

 大学に着き、駐輪場に停車させる。

 僕が乗るVツインエンジンを載せたクルーザータイプは一定の速度でトロトロと走るのには向いているがスポーツバイクの様に飛ばしたり出来ないし小回りがキツい。

 しかも無駄に重量があって重い。

 自分で言ってると悪評ばかりだな……。

 結局は人の価値観と言う事だな。

 大学の構内は僕からしたら広いと思うが、他の大学としては広いのかは謎。

 とりあえず一号館に行って掲示板を確認する。

 一号館の中は冷房が効いていてとても涼しかった。

 


 何も考えることも無く今日の講義を終える。

 午後6時を回っていても外はまだ明るく蒸し暑い。

 今日も結局学ぶことは無かった。

 何のために講義を受けているのかわからなかった。

 初めは大学に入って色々なことを学ぼうと思った。

 サークルにも入ってたくさんの楽しいことをしようと思った。

 だけど、サークルにも入らなかったし一年目の後期からは次第に大学に通うことも嫌になりつつあった。


「あれ? おーい!!」


 誰かが声を上げる。

 きっと僕にかけてきたのではないだろう。


「ねぇ! 久しぶりだね」


 ポン、と肩に手を乗せられ始めて僕に声をかけられていると知った。


「最近授業出てる? あんまり顔見ないしゼミにも出ないしさ」

「ん、まぁ……ね」


 顔を見たとき、誰だっけと思ったが同じゼミの学生だった。

 名前は―――。

 

高幡(たかはた)教授、心配してたぞ? 全く顔出さないんだもんなぁ君は」

「……」

「そういえば課題出てたよ。レポート。これが一応課題内容。あげる」

「ありがとう」


 髪を少し茶色に染めている彼からA4の紙を受け取る。

 さらっと書かれた内容に目を通すと何から何までビッシリと書かれている。


「注意書きに書いてあると思うけど、前期最後の講義に提出ね。遅れると単位あげないってさ。たまには顔を出しなよ。みんな心配してる」


 きっと、大学で生活していくためには彼みたいな生活が一番あっているんだろうな。

 見た目は少し派手だけど人当たりがよくて誰にでも接していけそう、そんな感じだった。

 僕はゼミの中で一番影が薄い……と思う。

 いや、初めこそ色々な人に接しようとしてゼミの皆と仲良くなったと思うし影は薄くなかったと思うけど、日が経てばこの有様だ。


「そうだ。今日さ、ゼミの連中で食事に行くんだ。ってもファミレスだけど。来る? 教授も来るよ」

「いいや、僕は。予定が入ってるんだ」

「そっか。なんかいつも忙しそうにしてない? まぁあんまり見掛けないけど。君の姿を見かけると何かしら忙しそうにしてると思う」

「まぁ色々あるから」

「それじゃあしょうがないね。僕は行くよ。気をつけてね、バイク通学でしょ?」

「まあね」

「いいなー俺もバイク買おうかなー。君がバイク乗ってるところはたまに見るけどすごいカッコいいし。免許持ってないけど。それじゃ!」


 『君がバイク乗ってるところはたまに見るけど』


 怖いな。

 見られたことないと思ってても、やっぱり何かしら見られてるんだな。

 彼はバス停に走っていった。

 ちょうどバスが停車していて、それに乗り込んだ。

 あのバスは大学が無料で出しているバスで、最寄の駅まで出ている。

 しばらくして動き出したバスを見送ってから僕は駐輪場に向かった。

 帰宅途中に僕はまた考え事をしていた。

 このままでいいのだろうか。

 何も考えずに、ただ生きて単位をとって大学を卒業する。そして就職する。

 働くことはもっぱら嫌ではない。

 むしろ汗水垂らしながら働いて得た金って言うのは大好きだ。

 金が大好きって意味ではないけど。

 ただ、汗水垂らして働くにしても、どんな職に就きたいかも考えていない。

 ……。

 車の通行量が多い国道から外れてちょっと田舎くさい田んぼが広がる道を走る。

 田舎でもあるし都会でもある中途半端な地域。

 国道を外れるとこんな景色もいっぱいある。

 前方にも後方にも車はいない。

 こんな景色の中ではゆっくりと走るのがこのバイクにはあっている。

 ドロドロドロドロと排気音を立てながら走る僕の愛車。

 日も傾き始めた空は夕暮れに染まり、どこか幻想的だった。

 この国は平和だ。

 だけど、どこかの国では平和ではない。

 国の都合と言うのか、戦争をやってて中々止めようともしない。

 またどこかの国では僕の生きる国よりも経済状況が厳しくて一日生きるのがやっとって言う人々だっている。

 そう考えれば僕は幸せなんだ。

 両親もしっかりと生きてるし、特別貧乏なわけでもない。贅沢な暮らしはしてないけど。

 僕だって今現にこうやってバイクに跨っているわけだし。

 だから、不安になるのかも知れない。

 平和ボケと言うのだろうか。

 なんら変わりない生活をしているから怖いのだろうか。

 わからなかった。

 何も―――。

 ……。

 家についてガレージにバイクを入れる。

 エンジンが熱を発していて足が熱かった。

 走行中はいいけど、停車すると熱が迫り来る。


「こんど洗車しないとな。メッキとか磨かないと」


 メッキパーツが多い分手入れが必要だ。

 我が子の様に僕はバイクを愛していた。

 家に入って母さんが作った夕飯を平らげシャワーに入る。

 風呂は勘弁。暑すぎる。

 シャワーから出た後は自室に篭る。

 

―――夢が見たいんだ。

―――寝ている時に見る夢じゃない。


 誰もいないから、誰にも語り掛けない。

 ただ心の中でつぶやく。

 ふと昔使っていた勉強机に置いておいたケータイ電話が鳴る。

 めったになる事のないケータイ電話。

 短い着信音からメールだと判断する。


―――――――――――


今ゼミの連中で飲んでマース☆ 君も来ればよかったにぃ。

この後はカラオケにも行ってきます!!今頃気を変えて来てもいいんだよ?

教授とカラオケとかちょっと楽しみだよ。

どんな歌歌うんだろうね?

写真撮ったので送りマース☆


―――――――――――


 ……。

 楽しそうだな。

 きっと楽しいんだと思う。

 彼らは彼らなりに楽しんでいるんだ。

 いい事だ。

 文章を読み終えた後、添付されていた写真を見る。

 皆良い笑顔をしていた。

 その中に一人のふけ顔。

 ゼミの担任だった。

 若いっていいな。

 と言うか、若干女の子っぽいメールだ。

 酒にでも酔ってるのかね。

 まぁ彼らだって酒は飲める歳なんだ。飲んでいたって構わないだろう。

 ……。

 眠れない夜だった。

 蒸し暑くて、気持ち悪い。

 扇風機を回しているが、熱風機になりつつある。

 そういえば明日は休みだっけ。

 今日が金曜日。いや違う昨日が金曜日で今日(いま)が土曜日。

 しなやかな風がカーテンを揺らす。

 窓からチラリと見えた月は太陽とは違う明るさをもたらしている。

 時刻は夜中の2時を回っている。


「少し、走りに行くか」


 思い立ってや否や、さっそくタンスを開けてジーパンとTシャツを着込む。

 一応、夜の走行は危険だ。

 昼間と違って危険度が増す。

 もしもの時のために薄い革ジャンを着ていくことにした。

 ライダーがよく革ジャンを着る理由は詳しくないけど一つは着ていると着ていないで転倒したときの怪我の比率が全く違うのだ。

 もちろん革ジャン以上にライダースジャケットに色々な防具を付けた方が安全だけど。それに、僕が乗っているクルーザータイプにライダースジャケットは似合わない。

 僕のくだらないこだわりだけどね。

 それから昼間と違って気温も落ちているし、走っている最中はちょうど良い涼しさになると思う。

 ……。

 ガレージから愛車を出してエンジンを掛ける。

 こんな夜更けにバイクは近所迷惑だけど、仕方ない。

 逃げるようにその場を後にし夜の町並みを走行する。

 その夜は、結局日が昇ってしまい帰ってきたのは5時過ぎだった。

 

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