第9話 甘いパン粥
俺たちはまっすぐギルドへ向かった。
夕焼けの石畳を並んで歩きながら、さっきのミナの言葉が頭の中で何度もよみがえる。
「続きは、そのとき聞かせて」
最初は、受け入れてもらえた気がした。
拒まれたわけじゃない。前に進める、そう思えた。
けれど、歩いているうちに、別の考えがじわじわ浮いてくる。
ミナの本当の気持ちはどうなのだろう。
胸の奥が落ち着かないまま、俺は黙って歩いていた。
しばらくして、ミナが俺の顔をのぞき込む。
「さっきから静かすぎ」
「あ……ごめん」
「難しい顔しないの」
そうだ…今は考えても仕方ない。
「そのときは」と言われたんだ。やることは決まってる。
ミナは歩きながら、腰の袋を確かめた。
金貨が触れ合って、硬い音が小さく鳴る。
それを見て、俺は少しからかうように言った。
「十歩に一回は、袋をさわってるね」
「そんなにしてない。五歩に一回位」
「増えてるじゃん」
「落としたくないんだもん」
ミナがむっとした顔をして、すぐ自分で笑った。
俺もつられて、少しだけ口元がゆるむ。
夕焼けの石畳を急ぎ足で抜ける。
屋台の匂いが流れてきたが、今日は立ち止まらない。
ギルドに着くと、食堂の片づけはほぼ終わっていた。
ナルが布巾を手にこちらを見て、ぱっと声を明るくする。
「おかえりー! 早かったね」
厨房の奥からイナクも顔を出し、無言でうなずいてこちらへ歩き出した。
ミナは金貨の袋を胸に抱えて、張りつめていた顔をふっとゆるめ、へにゃっと笑った。
机の前まで駆け寄ると、くるっとナルのほうを向いた。
「ナル、聞いて! 今日ね、ほんとにすごかったの!」
「え、なになに。顔、すっごく興奮してる」
「してる! だってね」
ミナは身ぶりを交えて、一気に話し出した。
「依頼先の工房、すごく広くて、最初は緊張したんだけど…… ソラが「だりょ」ってしてくれて」
「だりょ?」ナルは少し困った顔をした。
「ソラが危ない配管をどんどん見つけて、交換の仕方も覚えて、危ないのは全部記録して、褒められて、お金をたくさん貰って」
「とにかく! すごくすごく、上手く行ったの!」
ナルは目をぱちぱちさせてから、ふっと笑った。
「ミナ、ちょっとだけ落ちつこう。うれしいのは、十分伝わったから」
「……あっ、ごめん。興奮しすぎた」
ミナはぺろっと舌を出して笑い、袋を机に置いた。
「で、これ!」
イナクがナルの横に座り、二人で覗き込むようにミナの手元を見る。
ミナは袋の口をほどくと、金貨を一枚ずつ机に置いた。
カチン、と硬い音が鳴るたびに、ナルの肩がぴくっと跳ねる。
「いち……」
「……に」
「さん……って、まだあるの!?」
四枚目。五枚目。
ナルは指折りが片手で追いつかなくなって、慌ててもう片方の手も使い始める。
イナクが横で、いつになく身を乗り出した。
「六、七、八」
「え、まだ増えるの!?」
九枚目。
十枚目。
最後の一枚が置かれた瞬間、二人ともぴたりと固まった。
「今日の報酬! 金貨十枚」
ナルの目が金貨とミナの顔を行ったり来たりする。
次の瞬間、ナルは隣にいたイナクの耳をぎゅっとつねる。
「いっ……!」
「痛い?」
「痛ぇよ」
「じゃあ……夢じゃない!」
ミナはさらに「まだあるよ」と言って、鞄の奥から紙包みを取り出した。
丁寧に開くと、角張った白い塊がいくつか並ぶ。
「ジャーン!砂糖!」
「えっ、これが?」ナルが身を乗り出す。
イナクも興味深そうに目を細めた。
ミナは包みごと砂糖をイナクへ差し出した。
「これで、なにか美味しいの作って」
イナクは短くうなずく。
「わかった」
それだけ言って、角砂糖を持ったまま厨房へ消えていった。
残った三人で机を囲む。
ミナが今日の出来事を最初から丁寧に話し始めた。門の検査、工房の広さ、ラムズの豪快さ、短い寿命の管が四本あった、それから自分たちで交換したこと。
話を聞きながら、ナルは途中から真剣な顔になる。
「これ、絶対に依頼増えるよ」
「うん、私もそう思う」
「でも、ソラ君ひとりで交換まで全部やったら手が回らないよね」
ナルは机の上に指で線を引くみたいに、役割を並べた。
「ソラ君は、交換箇所を見つけることに集中する」
「ミナは記録をまとめて、優先順位を決める」
「 交換作業は、ギルドで分担する。これならたくさん依頼を受けられるよね」
ミナがすぐ頷く。
「それ、いい。すごくいい!」
「でしょ」
俺は二人の会話を聞きながら、期待で胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
そのとき、厨房から甘くて香ばしい匂いが流れてきた。
焦げる寸前の甘い匂い。
ナルが鼻をひくつかせて、目を丸くする。
「なにこれ……すご……」
しばらくして、イナクが大きな鍋を持ってきた。
とろりとした粥に、焼き色のついた砂糖の香りが溶けている。
焦がし砂糖のパン粥だった。
四つの器に、パン粥がよそわれた。
表面はつやのある薄いきつね色で、ところどころに飴色の焦がしがにじみ、甘く香ばしい湯気が立っている。
ミナは木さじでひと口すくい、口に入れた瞬間に目を見開いた。
「……おいしい」
ナルも続いて口に入れ、その瞬間、動きが止まる。
それから、ぽろっと涙をこぼした。
「え、ナル?」
「……だって……おいしいんだもん……」
その瞬間、イナクの手元で木さじが器の縁に当たり、コトンと音がした。
イナクは何も言わず、懐から白い布を取り出してナルに差し出す。
ナルはそれを受け取り、目尻をぬぐって、へへっと笑う。
「ありがと。気が利くじゃん」
イナクはそっぽを向いた。
その夜の食卓は、ずっと明るかった。
笑って、食べて、また笑って。
十枚の金貨よりも、ここに流れている空気のほうが、ずっと価値がある気がした。
食後、俺は体を拭いて歯を磨き、二階の部屋へ戻った。
藁の寝床に腰を下ろしたところで、扉がノックされる。
「……入るぞ」
入ってきたのはイナクだった。
いつもの無骨な顔なのに、どこか表情が硬く感じる。
「どうしたの?」
イナクは部屋の真ん中で立ち止まり、頭を下げた。
「配管の仕事、俺にも教えてくれ。手伝わせてほしい」
イナクは低く続けた。
「俺の料理は砂糖に負けちまった。泣かせちまった」
悔しさを隠しきれない声だった。
「材料があれば、負けたりしない。金がいる。稼げる仕事を覚えたい」
……それがナルのことだと、すぐに分かった。
俺はうなずく。断る理由はなかった。
「いいよ。一緒にやろう」
イナクが顔を上げる。
「……恩に着る」
少しだけ間が落ちる。
俺は、思っていたことを口にした。
「イナクとナルって、恋人同士だったんだ」
イナクは少し黙って、視線を外した。
「違う。気持ちを伝えたこともない」
そして、切り返すように言った。
「お前もミナに惚れてるだろ。ばればれだぞ」
図星を突かれて、一瞬返事に詰まった。
「俺はミナと付き合いが長い。あいつは、周りが思ってるほど強くねえ。ずっとやせ我慢してるような奴だ」
俺は拳を握って、うなずいた。
「ああ……だから俺は、稼いで、ミナを守れると、胸を張って言えるようになるよ」
イナクは口の端を少し上げた。
「似てるのかもな、俺たち」
立ち上がって、戸口に向かう。
「お互い、惚れた女の為にやることやろうぜ。まずは稼がなきゃ話にならねえ」
「おう」
イナクが部屋を出て、扉が静かに閉まった。
俺は壁際のわらの寝床に身を沈める。
暗い天井を見上げたまま、俺は小さく息を吐いた。
イナクの悔しそうな顔が、頭から離れない。
確かにナルは、砂糖を使った料理を食べて泣いていた。
でも、あれはイナクの料理だった。
……もっといいものを、いつでも食べさせてやりたい。
そういうことなんだろうか……。
そこまで考えたところで、まぶたが重くなる。
俺はそのまま、ゆっくり眠りに落ちていった。




