第14話 主夫イナク
変わったのは周りか
それとも、自分か
あれから数日が経った
ミナはすっかり元の調子で俺に接してくれている
それに引っ張られてか、ナルも俺に遠慮するのをやめたようだ
今思えば、イナクだけは最初からずっと変わらない
仕事は人を増やして、1日に5、6件の依頼をこなしている
今の俺はミナと現場の下見をして、交換箇所をまとめるだけ
実際の交換作業は、そのあとにイナクとナルが管理して進めている
今日の仕事は午前中までで、ギルドに帰ってきた
ミナは息を整える間もなく、働いた皆に報酬を渡す
小さな布袋が、一人ひとりの手に手早く乗せられていった
気づけば食堂に残ったのは俺たち4人だけだった
俺たちは顔を見合わせて、無言でうなずき合う
そう、今日は“砂糖を買うぞ大作戦”決行の日なのだ
前にミナが貰った砂糖は、もう残り少ない
なんとしても今日、買って戻る必要があった
ミナがどこからか俺の背広を持ち出してきた
Yシャツもある
ひどく懐かしい気持ちになった
ミナとナルが背広を広げて、相談を始める
「なんか、シワがすごいね」
「うん、クシャクシャだね」
「どう思う?」
「たぶん、これじゃ駄目だと思う」
そう、砂糖を買うためには身ぎれいにする必要がある
中央区にいた人たちは、みなシワひとつない服を着ていた
「シワ、伸ばさないとね」
「うん、でも、どうやって?やったことある?」
「ない……」
「私もない……」
二人とも真顔でうなずき合っている
たまらず俺が口を挟む
「アイロンとかで伸ばせばいいんじゃない?」
二人の声がぴったり重なる
「アイロン?」
「アイロン?」
目が丸い
どうやら分からないらしい
俺の世界とは呼び方が違うのかもしれない
するとナルが、人差し指を立てて言った
「あ!そういえばイナクが洗濯すると、シワなくなるよね」
「そうそう、いつも綺麗になってる!」
そこで俺は、今さらながら気づいた
そういえば、俺の洗濯物も、いつの間にか洗われて、綺麗にたたまれていた
「ひょっとして、今まで俺の洗濯物……三人で洗ってくれてたの? ごめん、気づかなくて。次から俺も手伝うよ」
二人が顔を見合わせる
そして、言いづらそうに言った
「いや……私たちは何もしてない……」
「あはは……下着以外は、全部イナクがやってくれてる……みたいな」
俺は驚いて聞き返した
「え!?じゃあ、イナクが一人で?全部!?」
ミナが頬を指でかきながら答える
「私たちも最初は手伝おうとしたんだけど……むしろ邪魔しちゃって……」
ナルが続く
「イナクが“俺がやる”って言うから……つい甘えちゃって……」
なんということだ……
このギルドは、食事も洗濯も、よく考えたら掃除も、家事はイナクが全部やっている
おまけにイナクは依頼仕事までこなしている
「今まで気づかないなんて……」
俺は自分が情けなくなった
そのとき、厨房からイナクが出てきた
右手に黒い小さなフライパン
左手には少し厚みのある布と、薄い布を持っている
「その服、貸せ」
ナルが首をかしげて言った
「なんでフライパン持ってるの?」
イナクは即答した
「これはアイロンだ」
「え!?アイロン?」
さっき聞いた単語に、ミナとナルが顔を見合わせた
よく見ると、そのフライパンみたいなアイロンには、火のついた墨が入っている
熱と焦げた匂いが、ふっと鼻をついた
イナクは背広とYシャツを受け取ると、厚い布を机に広げ、その上にズボンを置いた
丁寧に形を合わせて手で伸ばし、薄い布をかぶせる
そしてフライパンの底で押さえて、すべらせた
テキパキとして迷いがない
手つきが、もはやプロだ
そして
「どうだ」
差し出されたズボンは、シワひとつ残っていなかった
折り目もピシッとしている
「おおぉぉぉ~」
ミナとナルが感心した声を出す
イナクは次に取りかかり、上着にも同じ作業を始める
俺は思わず声をかけた
「イナク、今まで家事を全部やってくれてたんだろ? 今後は俺も手伝うよ」
イナクは手を止めず、目だけで俺を見て言った
「そうだな。家事は男がやるもんだ。ソラも手伝え」
「え?あ、そうなのか?」
この世界ではそうなのだろうか?
首をかしげた俺に、イナクは淡々と続ける
「ソラ、ギルドの前だけでいい。掃除してくれ。ほうきは外に置いてある」
「分かった」
俺はすぐに外に出た
扉の横に、少し大きめの木枝で作ったほうきが置いてあった
それを取って、ギルドの前の掃き掃除を始める
すると声をかけられた
「あら!ソラさん、こんにちは」
道の反対側の2Fから、中年の女性が声をかけてきた
洗濯物を干している
布が風に揺れて、ぱたぱたと音を立てた
横からも声が飛ぶ
「こんにちは。今日はソラさんがお掃除してるのね」
隣の少し初老の女性だ
同じく掃き掃除をしている
ほうきの先が石畳をこする音が重なる
続いて、すぐ近くから
「ソラさん、こんにちは。いつも旦那がお世話になって」
反対側の1Fの窓の中から、若い女性が声をかけてきた
料理中らしく匂いが漂ってくる
俺は軽く挨拶をして、掃除を続けた
そして思った
「あれ……? 女性が家事をしていないか?」
さっきのイナクの発言がよみがえる
ひょっとすると……
俺はギルドの窓から中をのぞいた
楽しそうにおしゃべりしているミナとナル
イナクはせっせとYシャツのシワを伸ばしている
その様子を見て、俺は直感した
おそらく彼女たちは家事ができない
本人たちにやる気がないわけでも、やりたくないわけでもない
ただ、イナクが全部やってしまうから、そうなったのでは?
「イナク……おまえが育てたのか……」
俺はつぶやいた……
致命的に生活力のない女性を、イナクが育てているように思えた
しかし、しばらく観察していると、少し考えが変わってきた
イナクはずっと、ひたむきに作業を続けている
その合間合間に、ナルが声をかけたり、肩に手を置いたり、やたらとかまっている
イナクは表情を変えないのに、作業だけはどんどん進む
俺はイナクの身になって考えてみた
……なん……だと……
俺はまるで探偵のように推理を始めた
イナクはナルに弱い
というか、彼女のことしか見えてないんじゃないかと思うときすらある
さっきイナクはおかしなことを言っていた
「家事は男がやるもんだ」
あれが、この世界の常識…というわけでもなさそうだ
イナクだって、そんなことはすぐに気づくはずだ
ナルに誘導されて……ああなったのか?
俺は背中に冷たいものが通った気がした
あの可愛らしくてチャーミングなナルが……そんなことを?
疑いの目で見ると、ナルの「えらいえらい」が見えない首輪みたいに首元にかかっている気がしてくる……
フッ、俺の考えすぎだな……ばかばかしい
そこで俺は探偵のまねごとをやめる
イナクはナルに惚れていると言っていた
彼の献身に、ナルが応えてくれる日がきっとくる
俺は、心からそう信じたかった
掃除を終えて、食堂に戻る
そこには綺麗にアイロンがけされた背広とYシャツが置いてあった
俺はそれを見てから、イナクに言った
「ありがとう」
イナクは少しだけ戸惑って
「お、おう」
……男同士で、今のお礼は、ちょっと気持ちが悪いかもしれない
それは認める
でも、俺はただ言いたいんだ
がんばれ、イナク
それから俺は背広を着た
「おおぉぉー」
それを見てミナとナルが歓声みたいな声を上げる
「すごい!ソラじゃないみたい!」
ミナが言う
そう言われると若干、複雑だ
「すご~い!ソラ君、かっこいーじゃん!」
ナルも言う
それはそれで複雑だ
なんとなく、イナクの目線が気になった
俺はイナクを見て言った
「どうだ?」
イナクは無表情で言う
「いいな。ただ、ボタンは全部止めた方がいいだろう」
そう言って、イナクは俺が止めそこねていたYシャツのボタンを止めてくれた
「ありがとう」
俺が言うと、イナクはまた
「お、おう」
なんにしても準備は整った
“砂糖を買うぞ大作戦”、出撃の時である
ミナが確認するように言った
「ソラ! これならデパートに入れるよね!入ったら地下に行って砂糖を買う!」
ナルも勢いよく続く
「いざ! デパートへ~」
俺たちは4人でギルドを出て歩き出した
すると旧市街の人たちが、俺のいでたちに驚いて声を出した
「どうした、ソラさん!そんなかっこうして!?」
その声を聞いて、あちこちの家から人が次々と出てくる
「ソラさん!?どこに行くんだい?」
呼び声が呼び声を呼んだ
窓が開き、戸が鳴り、路地の奥からも顔がのぞく
「おい、あれ、ソラさんだろ?」
「何かあったのか!?」
誰かが走っていく足音がして、今度は別の通りから人が流れてくる
気づけば視線がいっせいに俺に集まり、道の空気がざわついた
しかも、なぜか皆で俺たちについてくる……
一人二人と増え続け、あっという間に群衆となった
ただならぬ俺の服装に、何かあったに違いないと思われたようだ
「手伝えることだったら、なんでも言ってくれ!」
「連れていってくれ!ソラさんには何もさせねえ!」
なにかおかしなことになっている
俺は笑うしかなかった
イナクが立ち止まり、声を張って群衆に言った
「俺たちは買い物に行くだけだ!」
「ソラに危険はない!俺たちがついていく。皆は家に帰ってくれ!」
それを聞いて、しぶしぶと群衆は散っていった
名残惜しそうに手を振る者までいる
ナルがその様子を見ながら言う
「そっか。ソラ君って、もうこの街のヒーローみたいなものだもんね」
ミナが頷いて答えた
「うん、みんなが仕事をくれるソラのために、何かしたいって思ってる」
二人の話を聞きながら、俺は内心かなり戸惑っていた
こんなちょっとしたことで、あんなに大騒ぎになってしまう
自分が思っている以上に、俺がここに暮らす人たちに与えた影響は大きいのだ
俺が考えごとをしながら歩いていると……
ミナが俺を見て少し真剣な顔で言う
「きっと、ソラに何かあったら、私たち、ただじゃすまないね」
ナルも俺を見て真剣そうに返す
「うん。下手したら殺されちゃうかも」
それを聞いて、俺が反応する
「えぇ!?そんな……」
するとイナクが言った
「ソラをからかうな」
「あいつらはソラを心配しているだけだ。俺たちに何かしたりせん」
ミナとナルが、にんやり笑う
ナルが俺の顔をのぞき込んで言った
「ケガとかしないでね~、みんなのヒーローさん」
ミナも俺の顔をのぞき込んで言った
「むずかしい顔しないの」
どうやら、からかわれただけらしい……
ただ今は、その気安さが、妙に嬉しく感じた
俺は小さく息を吐いて、気持ちを立て直す
そして、前を向いた
ヒーローなんて言われても、正直ぴんとはこない
でも……あんなに沢山の人たちが、俺なんかを心配してくれる
目の前の仲間が、こうして俺を気遣ってくれる
それだけで胸の奥が熱くなる
ふいに目頭が熱くなりそうで、俺は慌てて空を見上げた
俺たちはそのまま中央区へ向かって歩き出した
胸の奥の余熱を、ごまかすみたいに、俺は少しだけ歩幅を速める
さあ、砂糖を買いに行こう。仲間のために…




