第7話 パパには内緒
「いやあ、この間は急な仕事が入って申し訳なかったね」
「いえ、自分は大丈夫です」
「でも、美織に挨拶してくれてありがとうね」
数日後。俺は日を改めて神楽坂邸に訪れ、一家の主である神楽坂政臣さんとの顔合わせをさせてもらっていた。
「美織は君のことを気に入ったようだったよ」
「え……」
本当ですか?
と、思わず聞き返したくなる。
そんな展開だったかなあ……と、先日の神楽坂とのやり取りを思い出してみるが、あいつは勝手に怒って勝手に照れて勝手に妄想して、勝手に興奮していた。
ハプニングで唇を奪ってしまったことは申し訳ないと思っているが、その後の反応についてはまったくもって理解しがたい。……っていや、まさかとは思うけど政臣さんはそんなこと知らないよな?
事故チューの件やその後のもろもろを神楽坂から聞いていたとしたら、早速俺の立場が危ういものになるんだけど。
「絢斗くんも、気の良さそうな少年で安心したよ」
「は、はあ……」
「君のお父さんの健二さんは、本当にいい人だよね」
政臣さんがどこまで把握しているのか、さりげなく探りを入れたくてソワソワする俺に対し、政臣さんは微笑ましそうな顔で、思い出話を始めた。
「健二さんはホラ、どちらかというと男らしいというか、アニキ!って感じだろう」
「アニキというか、もう立派なオヤジですけどね」
「高校時代も、それはそれは勇ましかったんだ。不良に絡まれてカツアゲされそうになっていた僕を、健二さんが助けてくれてね」
「そうなんですか?」
そんな話、親父からは聞いたことがない。でも、曲がったことが大嫌いで、無駄に正義感の強い親父のことだから、過去にそのような人助けをしていてもおかしくはない、と思えた。
「それで、それから僕は健二さんを慕うようになった。だから今でもたまに連絡を取っているんだよ」
「そうだったんですね」
我が親父ながら、少し見直したぞ。
「うん。ここ数年はあまり頻繁には連絡を取れていなかったんだけど、最近久々に電話をしてね。その時に話の流れで、前いた家政婦さんが辞めてしまったことと、代わりを探していることを話したら、『うちのせがれを行かせるからよ!』って」
「ははあ、この話は親父の思いつきから始まったわけですね……」
いきなりアルバイトの話を持ち掛けられたときは驚いたが、そういう経緯があってのことらしかった。納得はしたものの、いささか強引ではないのか、政臣さん側は、そんなつもりで親父に話をしたわけではなかったのではないか……という不安が頭を過ぎる。
「いや、でもね。健二さんは本当に絢斗くんのことが大好きなんだと思ったよ」
「え?」
「ちょっと根暗だけど、家事に関しては本当に色々頑張って自分を支えてくれてるって。自慢の息子だって、嬉しそうだったんだ」
「……ちょ、ちょっと根暗は、余計ですケド……」
まさか親父が俺のことをそんなふうに思っていたなんて予想もしていなかった。急に照れ臭くなり頭を掻く俺を、政臣さんはニコニコと穏やかな笑みを浮かべながら見ている。
親父は気さくだが、ちょっと頑固で、男は男らしく、という価値観に囚われている面があり、息子の前ではあまり気軽に人を褒めたりはしない人だ。だから、俺もそんなにまっすぐに評価されたことがなくて、なんだかむずがゆい。
そこでふと思い出す。簡単に人を褒めない親父が、政臣さんのことは「すげえデキる奴」と評していたことを。
卒業から数十年経った今は、両者の間で盛んに交流が行われているわけではないらしいが、改めて考えると、二人の関係の良好さを実感させられる。
「……俺、頑張ります。この家で、政臣さんや奥さん、娘さんの力になれるよう、一生懸命尽くします!」
「そう言ってくれてありがとう。でも、そんなに気負わなくてもいいんだけどね。まあ、ちょっとしたアルバイト感覚でやってくれて大丈夫だから」
政臣さんはとても柔和で優しく、俺を気遣ってくれるいい人だ。バイトをしたことがなく、社会経験のない俺だが、この雇用主の下でなら、うまくやっていけるかも……!
「美織とも同い年なんだし、これからも仲良くしてもらえると嬉しいよ」
「は、はい! 俺でよければ」
「あ、でも……」
政臣さんが、ふと思い出したように、ゆっくりと自身の顎を撫でる。
「あまり過激なことは、まだ早いかな?」
「…………!!!」
「普通に仲良くしてもらう分には、大歓迎だけどね」
「……っ、ハイ……」
キラリと目を光らせる政臣さんに対し、自分が一体どんな顔をしたらいいかわからない。俺は逃げるようにサッと視線を逸らして、今にも消え入りそうな声で返事をした。
一体政臣さんがどこまで知っているのか、とてもじゃないけど聞けなかった。怖くて。