(9) 糸口とイライラ愚弟と容喙
寝て起きたら多少気分が回復していた。
そもそも自分の体の操縦もままならない俺が、アスターに何をしてやれるんだって話だ。何よりもまず解呪しなくては。それと謝罪。
せっかくアイリスが俺の真の味方だって教えてもらったんだからな。
しっかしアイリスとアスターは尋常じゃないよな。俺のしたことは、結果だけ見れば、我ながらただの嫌がらせとしか思えないのに、別の意図を読み取ってくれていたとは。
ありがたいが、俺のことと、理由がなければそんなことしないと人間の善性を信用しすぎてて、誰かに騙されてるのを承知で金貸してないか心配になる。
アイリスに限っては、俺が何の含みもなくド級のうっかりでドジばかりしている人だと誤解している可能性はあるけどね。
心の余裕ができたら、アイリス周りの人間の警戒心を弱めるべきだと思いつけた。ついでに俺の精神を整えれば一石二鳥だ。
よく食べてよく眠り、心がささくれ立たないよう肌着を重ね、温かい格好をしてアイリスと関わらず穏やかに過ごす数日。初雪が降り、季節は本格的に冬になった。
ところで俺の友達はミモザとアスターの二人だけだ。俺は、第三者の女子からすれば、いつもアスターに夢中で他の人間は眼中にない高位の令嬢という仲良くなれそうもない存在なので、遠巻きにされてきた。俺に話しかけてきたミモザはたぶん、勇者扱いされているだろう。
しかしなんと、現在では、彼女たちは俺を話の輪に入れてくれるのだ。最初はちょっと嬉しかっただけに、ぎこちない雰囲気とか、彼女たちの無言の連帯感などから、あっこれ俺接待されてると察したときの虚しさといったらなかった。女子の俺への認識が、無害な片思い人間から、機嫌を損ねたらいびってくる怖い存在に変わってしまったことを理解させられた。
それでも俺はおしゃべりに誘われたらなるべく参加する。そして聞き役という名の置物になる。そうすれば、俺は学園内の噂話を仕入れられるし、向こうも俺をのけ者にしてないって安心できる。お互いに得なのだ。
そんで刺繍刺し刺し知ったんだが、アイリスが呪われたらしい。
俺は反射的に傀儡の呪いを思い浮かべ、何人かもそれを疑っていた。傀儡の呪いってほぼ丑の刻参りと同じ知名度なんだな。
ここはアイリスに直接確かめよう。それで、もしそうだったら、助かり方を聞きたい。
授業を終えて昼食をすませ、さっそく俺はマントを羽織って例の階段でアイリスを待ち構えた。アイリスは俺と学年違うし、女子の建物と男子の建物を行ったり来たりしてるから、ここから地上も見張るのが確実なのだ。
快晴無風とはいえ長く外にいたくない。幸いにもアイリスはすぐ女子側から出てきた。俺の冷却期間が功を奏したのか、一人である。
「アイリス様。ご機嫌よう」
「ベラドンナ様! こんにちは。どうしたんですか、こんなところで」
「あなたにお話があって。お時間よろしいかしら」
このあと男子側で授業があるそうなので、歩きながら話をすることになった。枯れた芝を踏んでゆく俺たちを、すれ違う人がさりげなくもめっちゃ見てくる。
俺、別にアイリスに殴りかかったりしないのに。せめて聞き耳は立ててくれるなよ。というか第三者がこうなのに普通に二つ返事で俺に付き合ってくれるアイリスよ。
「単刀直入に申し上げますけど、最近、あなたはずいぶんと忌まわしい事件に巻き込まれたんですってね。申し訳ないのだけど、お聞きしたいことがありますの」
「はい」
命令さん、俺は別に呪いについて聞きたいとは言ってないからね。呪いの話をするな関わるなって命令には抵触してません。次聞くのも呪いとは全然関係ないことですよ。
「アイリス様。あなたはどうやってドレスで隠した魔法の針を抜いてもらったのかしら」
「えっ」
魔法の針。肝心のアスターの前では、たぶん誘惑命令のせいで、あなたが刺した恋の針、とか自動変換される比喩をやっと言えた。
「針がどこにあったのかまでは結構ですわ。きっと私の考えている通りなら、こんなところでは恥ずかしくってとても口にできない場所に針があったに違いないもの。でもだからこそ、婚約者がいらっしゃらないはずのあなたが、誰にどうやって、と不思議に思いまして。アイリス様、あなたは一体どんな状況で、操り人形から人間に戻してもらったの?」
「あの、もしかして」
「姉上! そこで何をしているんです」
おいおいお邪魔虫が来たよ。ほんのちょっとしか話してないのに、なんですっ飛んでくるんだよ。おかしいだろ。
俺は渋々足を止めて小さいソレルに視線をやった。姉を見てるとは思えないこの目つき。そんな顔するならとっとといなくなってほしい。
他人で関係が浅いアイリスが俺を信じてくれるのに、同じだけ浅くて弟のこいつがこの有様って。やっぱ家族であっても日々の関係構築って重要だよな。
「ちょっと、ベラドンナ様は私とお話してるでしょ」
「ここは僕に譲ってくれませんか。姉とは話をしなければならないと思っていたんです」
「私だって重要な話なの。あなたはあなたで時間をくれってお姉さんにお願いするのが筋でしょ。横入りはずるいよ」
「アイリス嬢……! あなたは前にも危ない目に遭わされたでしょう。お人好しは結構ですけど学習能力はないんですか」
「……私はいつまであなたたちのじゃれ合いに付き合えばよろしいのかしら。これ以上人目を集めてもらいたくはないのだけれど」
面倒なので割って入ったら、仲のいい二人ははっとして周囲を見た。そう、お前らのせいで俺たち野次馬に遠巻きにされてるんだよ。
「アイリス様、ごめんなさいね。この愚弟は甘やかされているからいつだって自分が一番じゃないと気がすまないのよ。またあなたとのお話を邪魔されてはたまらないから、ここで片づけますわ。あなたもお忙しいのでしょう?」
「〜〜もうっ、すみませんベラドンナ様! 失礼しますっ、夕食でお話しましょう!」
すごい早歩きでアイリスが行った。俺もああやって逃げたいなと思いつつ、ソレルに水を向けてやる。
「それで、私のかわいい弟は何のご用なのかしら。初めて会いに来てくれたのだから、もちろん大切なことなんでしょうね。私にはまったく心当たりはないのだけど」
「あなたにとってアイリス嬢にしたことはその程度なんですね。今も聞こえましたよ。あなたが彼女に何かあったと誤解させるような言い回しをわざとしていましたよね」
「ソレル。あなたの憧れのアイリス様と違って私は外国語に明るくないの。彼女を基準にして物事を決めつけるのはよして」
「僕は外国語なんて話してないですよ」
「あらごめんなさい。あなたの大好きなアイリス様を崇拝していないからといって、私を敵とみなして牙剥くあなたは、もはや道理の通じない獣そのもの。人に通じる言葉を話しているつもりで吠えかかられても、うるさいだけで迷惑よ、と言ったら理解できるかしら。それとも、もっと直接的に、思い込みの激しい頓馬と話しても時間の無駄だわと言えばさすがにおわかりになる?」
おうおう顔が引きつってるぞ。そのまま捨てゼリフでも吐いてどっかいけ。
しかし願いもむなしくソレルは気を取り直してしまった。
「僕を挑発してはぐらかそうったってそうはいきませんよ。はっきり言いますが、アイリス嬢は確かに呪いの被害には遭いました。しかしそれは傀儡の呪いではありません」
「用事を思い出しましたわ」
呪いの単語に反応して体が勝手に踵を返し、ソレルにマントごと腕を掴まれて止められた。レディに対してなんてことを。だが今回ばかりはそのおかげで話を聞けるから許してやろう。睨むのはやめないけど。
「そんな目をしても無駄です。あなたにはちゃんと真実を知ってもらいます」