(4) 入学とヤバ誘惑と失敗
決意の十五歳。俺は学園に入学した。
デザイン、ボリュームともに大人しめの制服ドレスがあるのが意外だったが、皆さん学生ながら身なりからいろいろ読み取れる技能を持ってることを考えると、そうするのが一番丸いんだろう。
ドレスは前で留めるしコルセットも脇腹に紐があって一人でも着脱は余裕だった。
俺が苦労したのは髪だ。下ろしているのは子供っぽいよねって空気があって、みんな髪を纏めているから。俺なんかは三つ編みしかできないのでこれ一筋でいかせてもらってるけど、手先が器用な子は毎日違う髪型を楽しんでいる。こういう子が髪結いと手を組んで社交界の流行を作り出すんだな。
あと他人に胸を見せないよう命令されてるせいで風呂も面倒。本当に迷惑。
なんとか身支度するのにも慣れてきたころ、アスターと手紙で待ち合わせをした。
当日はお誂え向きに快晴だった。おかしなところがないか入念に鏡で確認して、庭という交流スペースへ向かう。
アスターは成長期来たかな。髪型も変わってたりして。筋肉ムキムキになってたらどうしよう。すげえ笑っちゃうかも。
なーんてわくわくしたところで、俺はどんなアスターであれ、誘惑しなきゃなんねえんだよなぁ。
入学してから手紙にまで影響出てて、たかが時間と場所決めるだけなのに異様に熱っぽい表現を書いてしまった。対面したらどうなるか不安だ。
雰囲気づくりの意図を感じる彩り豊かな秋の花壇を通りすぎ、丸屋根の小さな東屋の一つへ向かう。芝生を踏む自分の足音がやけに耳につく。
先に座っていたアスターが俺に気づいて立った。上がった気分が直後に下がる。
手を振ろうと思ったのに体が言うこと聞かないんだが。
なんか足も止まらない。これ絶対呪いってか誘惑命令のせいだろ。ここ、ひらけた場所だし周りにも普通に人いるぞ。抱きついたら淑女生命終わりですが。
幸い気持ち近めぐらいで止まってほっとする。
それでいいんだよ、ビビらせやがって。
内心で命令に毒づきながらアスターに微笑みかける。
一年ぶりだなアスター。ちょっと背ぇ伸びたね。まだ俺の方が背が高いけど。
そうやって軽く挨拶しようと俺はしたのに。
「アスター様。お会いしたかった」
なんだぁこのデロデロに甘ったるい声は?
一瞬でアスターの表情が強張った。やりやがったよ。謝りたいのに頬が動かない。
やり方を間違ってるって。友達の距離感でやりとりしていた相手が、顔を合わせた途端、色恋を前面に押し出して迫ってきたら怖いだろ。アスターはそれで鼻の下を伸ばす男じゃないんだよ。
いや待て、これなら俺に異変が起きてることが一目瞭然では。いやでも電話じゃ普通だった友達が対面で宗教勧誘してきたら、逃げ場を封じてきたとしか思わないよなあ。
「ベラドンナ……?」
「ええあなたのベラドンナです。さあ座ってゆっくりお話しましょう」
こんな言葉遣いも俺らしくない。この流れ、誘導の体でアスターにボディタッチするのかな。いや淑女命令あるし無理か。
そう思ったのに、俺はごく自然にアスターの二の腕に手を添えていた。しかもびっくりして力を入れたらぎゅっとつかめてしまった。
どういうことだ? 命令って最新のが優先されるのか? そんで命令の趣旨に沿うなら俺も案外動ける?
どうなってんのか仕組みが本気で理解できないけど大発見だ。これ上手く使えば父に勝てんだろ。
命令が俺の考えを採用してる可能性もあるから念のため媚売っとこう、アスターがギクッてなったのは意識させるのに成功したからだから、次もちゃんと俺の案を一考してね命令さん。
壁と一体化してる石のベンチで隣に座ろうとして本気で断られる一幕はあれど無事向かい合って着席。
「ベラは、少し変わったね」
「褒め言葉として受け取らせてくださいませ。私はあなたの目に少しでも大人のように映りたいのです。あなたはほんの少し離れている間に素敵になっていくから」
「うん……」
アスター大困惑してるぞ。いたたまれねえわ。これ俺もこんな感じじゃないとしゃべれないんだよな。命令さん、せめてもう少し表現を控えめにできません?
内なる戦いに挑んでいる俺へアスターが言う。
「ベラ、もし何か困り事があるなら話してほしい。僕にできることなら何でも力になるから」
「アスター様……」
さすがだよ。この世で俺のことちゃんと見てるのは正真正銘お前だけだよ。
この流れなら父の操り人形にされてるって告げられそうなのに、体の主導権がまだ掌握できないなか、顔が熱くなった。
嫌な予感がする。
「意地悪をおっしゃらないで。どうして私がこうなってしまうのかおわかりでしょうに。それとも……そんなにおかしいですか? 私が、恋をするのは……」
被害者面やめろ。アスターの気遣いを恋をしてる友達に無理解ゆえの無神経さと曲解しやがって。
初めて見る切ない表情にドキッ、なんてならないから涙目もやめろ。か弱さ強調気味の乙女演出なんかでアスターを悪者にすんじゃねえよ。
やばい命令さんの機嫌を損ねたくないのに文句が止まらない。
そんな俺と違って、少し困った様子のアスターの対応は大人だった。
「君に恥をかかせて喜ぶような人間だと思われるより、とてつもない鈍感だと呆れられる方がよほどいいから白状するけど、僕は君にそう言われてとても驚いているんだ」
「まあ、では、私は自分から? なんてこと。消えてしまいたいわ」
「落ち着いてベラ。君の気持ちは嬉しかったよ」
「アスター様……!」
感激したようにみせかけて命令さんがアスターの手を握ろうとしたら、アスターは熱いものが迫ってきたみたいにバッと手を引っ込めた。
「待って! そんなつもりじゃない! それにたとえ諾としても節度を守らないのは違うだろう。将来の約束もしていない男性にみだりに触れるものじゃない」
「ではどうか私に約束をくださいませ。アスター様は私がお嫌いですか? こうして溢れるほどの思いは、ご迷惑ですか?」
「……僕のせいで君が衝動を抑えられなくなってしまうなら、僕は君に会うべきではないね」
「お気に触ったのなら謝罪いたします。二度と許可なくあなたに触れることもいたしません。ですからどうか、そんなに冷たいことをおっしゃらないで」
「すまないが、今のベラドンナは信用できない」
「そんな……!」
なんという愁嘆場。
ベラドンナとしては悲痛な顔をしてんだろうが俺は他人事だが、アスターは真剣だ。
「だけどベラ、どうか誤解しないで。僕は君との関係を断ちたいとは欠片も思っていない。むしろ、どんな些細なことでも、君に悩みがあるなら相談してほしいんだ。たとえばそれが君には逆らえない人物や、僕の立場に関わることであっても。言いにくいなら手紙でもいい。待ってるから」
「アスター様!」
行ってしまった。
風が吹き、どこかの誰かの笑い声が届く。俺は一人、東屋で座ったまま取り残されてるっていうのに。
落ち着け。呪いの仕様について収穫はあった。それに父を喜ばせないためにはアスターに惚れられたら困るんだから、これはこれでいい。
アスターに嫌われたわけでもない。今の俺なら、触ってないって言い張って近くに陣取るくらいはしそうじゃないか。それで外堀を埋めてしまったり、不適切な距離でお互いの評判を落としたりしないための最善の判断だ。
そうだよな。何か企んでそうな俺から逃げようと聞こえのいいセリフでごまかしたわけじゃないよな。
万が一これでアスターと絶交なんかになってみろ。そのときは絶対に公爵を許さない。攻撃するなと俺に命令しなかったことを後悔させてやるからな。
なんて、気炎を上げなければ、ここから動けなくなりそうだった。