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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第3章 学園

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(15) アスター王子、欲望に負ける

 


 ベラドンナのあの態度は公爵の命令だと判明したが、アスターはベラドンナが大人しく従っていることに違和感を覚えた。子供の頃は公爵に反抗的だった彼女なら、従順なふりをして、アスターにはあなたを誘惑しろって言われたのと平然と暴露しそうなものだ。

 それに、ベラドンナが興味のありそうな弓術や馬術は、暗黙の了解で男性のものとされているから、公爵もベラドンナに参加を禁じていると解釈できたが、彼女が手紙ですら聞いてこないのが奇妙だった。こちらから書くと、それよりアスターが何をしてどう思ったかばかり気にするのだ。確かにベラドンナは、アスターと一緒にいたいと入学を希望してくれたが、それはアスターに付き従いたいなんて意味ではなく、一緒に楽しむためだったはずだ。


 向こうが動けないなら、いっそアスターから音楽の授業などに乗り込んでやろうと思ったが、先生にどれほどの数の女性の将来に影響があるかをこんこんと説かれ、断念した。

 しかたなくアスターは、彼女がよくいる東屋が見える様々な場所を、流し目のまま亀のように歩いた。我ながら異様な習慣だが、フロラスに何と言われようが断じてやめるつもりはなかった。


 幸いにもベラドンナと直接話すことができる絶好の機会はすぐに巡ってきた。冬の舞踏会である。

 正装する女性のために暖かくされた空間は、アスターには少し暑く、とにかく汗が出ないよう祈っていた。憧れの少女にダンスを申し込むなら、撫でつけた髪一本まで隙なくいたい。

 なにせ、とアスターは、大広間に入った瞬間、人混みの中でもたちどころに見つけたベラドンナへ、何回目かの視線を送った。


 ミモザ嬢と何かを楽しげに話している彼女のドレスの青みがかった緑色は、エデルワイス邸から臨む湖の色だ。蝋燭の光でいつもより深い色をした髪に、白蝶貝の花弁、中心に小粒の赤い石があしらった飾りがよく映える。石は珊瑚、公爵が晩餐会で見せてきた舶来物だ。


 ベラドンナは高位の貴族の令嬢だから、彼女が身につけたものを、きっと学生たちは詳しく親に話す。その親の商人は、それが貴族の流行りなのかと情報を集め、辿り着いた公爵と繋がる商人から珊瑚を買い、商人と公爵が儲けるのだろう。

 しかしなぜ公爵は金儲けに熱心なのか。アスターの教師だった人は、落ちぶれた家を支えるために役目を引き受けたのだと公爵から聞いたが、そんな立派な理由でも、教師の言動の端々からは、ここまで身を落とさざるを得なかった境遇への恨みがひしひしと感じられたものだ。それなのにあの裕福なコルチカム公爵が嬉々として商いに協力するなど実に怪しい。

 だがこの舞踏会でそんなきな臭いことを考えるのは無粋だと思い直し、アスターはただ純粋にベラドンナを賛美することにした。


「見過ぎですよ殿下」

「うっ……驚かせるなフロラス」

「あなたが驚いたことに私も驚きました。どんだけ熱心なんだか」


 ずっと隣にいたフロラスに呆れられるとばつが悪い。


「彼女にも話し相手はさすがにいるんですね。いつも一人でいるからてっきり」

「フロラス」

「出ましたねお決まりのお咎めが。私には彼女が獲物を待ち伏せしているようにしか見えませんが、恩人の美人な娘相手だと殿下の採点は蜂蜜よりも甘くなるようですね」

「やめろ。僕への失望を彼女に転嫁するな。君らしくもない」

「失礼いたしました。まったく、浮かれて会いに行って期待外れで帰ってきたくせに、事情があるとか理由をつけて。懲りないんだあなたは」


 この男がアスターのためを思っているのはわかる。そしてそう言わせてしまっている原因が自分の醜態なのもわかる。

 だからこそ、ベラドンナと離れたのは正解だった。フロラスは歩く常識のような男なので、彼がベラドンナへ厳しい目を向けるなら、学園の人々、ひいては世間の反応も自ずと明らかになる。


「ほらダンスが始まりましたよ。誘うんでしょう」

「ああ」


 フロラスに促されずとも、アスターは自分の意志でベラドンナのもとへ行く。

 そうして男が勝手に道を踏み外しても、悪い女に呪いにかけられたことになるのだ。

 

「ベラドンナ嬢」


 よそよそしく呼びかけるのが芝居のようで気恥ずかしかった。踊ってくれと差しだした手を、語尾が震える返事と同時に、ベラドンナにとってもらえて心臓がはねた。


 フロアに出て踊りだす。ベラドンナの琥珀の瞳はアスターとほとんど同じ高さにある。そこに自分が映っているか、覗き込んで確かめられる距離に彼女がいる。その彼女が甘い声で詰るように言う。


「アスター様と踊れるなんて、感激ですわ。あなたは普段一瞥もしてくださらないから、気を揉んでおりましたの」


 風邪を引いていないのに、頭がじんと熱い。感動、陶酔、様々な感情の中で、ベラドンナの足を踏むくらいなら捻挫してでも避けるが、万が一そんな事故が起きても、今の彼女は何もやり返してこないと予想できることが、確かに寂しかった。


「ベラ」

「謝らないでくださいませ。何が正しいのか私とて理解しているのですわ。確かにベラドンナは、愛の矢に貫かれてからというもの、恋に操られる愚かな人形になりました。心の命ずるがままに、あなたを求めてしまう私は、とても淑女とは申せません。あなたのおそばにいる資格はないのでしょう」

「資格だなんて。そんなことはないよ。絶対にないんだ」


 ベラドンナに資格がないなら、フロラスどころか母やアルメリアさえも対象を外れてしまう。

 もどかしく否定するもベラドンナは取り合ってくれない。


「いいえアスター様。そのお心遣いは私にとっては酷ですわ。今夜だけは、あなたの偽らざるお気持ちをお答えくださいな」

「ベラ。僕は嘘なんかついてない」

「それを行動でお示しになって。アスター様、私の胸の、金の鎖が見えますかしら。私を疎ましくお思いならば、どうかこの鎖を引いて矢を抜いて、私の恋を消してください。他ならぬあなたのお裁きなら甘んじて受け入れましょう。私に少しでも情けをかけてくださるなら、やはり矢を抜いて、あなたの愛で私の傷口を塞いでください。あなたの愛で満たされたならば、私は生涯あなたの虜になることでしょう」


 言ってベラドンナがぐいと背を反らせるものだから、邪なアスターはネックレスとは合わない胸元の鎖の先を辿りかけ、慌てて視線を外した。そんなの紳士の行いではない。


「それでいいの、ベラ? 今なら誰も聞いてない。君の本当の気持ちを教えてよ。お願いだから」

「私は誓って嘘などついておりません。信じられないとおっしゃるなら、どうぞ鎖を引いてください。それでアスター様は私に煩わされることはなくなりますわ」


 ベラドンナのその目つきを挑発的だと思ってしまい、いよいよアスターは己の中にむくむく膨らむ欲望を無視できなくなった。


 アスターは結婚相手としては条件がよくない。

 兄夫妻は二十代前半なのだ。これから男子が何人も生まれる可能性は十分にある。すると、アスターとしては一向に構わないのだが、その人数分、玉座からは遠ざかる。

 さらに王が健在なうちはアスターは冷遇される。王太子のバーチが王の路線を引き継ぐ可能性もある。そうなれば、三男として兄を支えることもできず、二心を疑われて中央から遠く置かれ、かつてエデルワイス邸で覚悟したような、流刑に等しい生活を強いられるかもしれないのだ。


 そもそもの話、王位継承権を持つアスターが、国内の貴族の娘を選ぶのは難しく、愛人止まりになる。

 横たわるのは貴賎結婚への強烈な忌避感だ。王家は自らの支配を正当化するために、階級をつくり、儀礼を定め、神格化をはかり、臣下との線を濃く太くしていった。婚姻によってその境界線を乱すのは危険だ。長きに渡って支配を受けている人々へ、実は自分たちの上にいるのは神聖な存在ではなく同じ人間なのだと気づかせ、体制への反逆を招きかねない。

 無論、結婚を禁じる理由としては、具体的にそう述べると逆説的に王族の神性は演出によるものだと明かすことになるので、国内の均衡がどうのと一歩ずらした説明がなされるだろう。あるいは、嫡出子から庶子に転落したアスターのように、世界が揺るいだ経験がない人は、本気で建前を信じているかもしれない。

 とにかく奇跡的に王が結婚を許可しても、境界線を守るため、夫婦の子は王族には含まれず、王子と結婚した旨みがない。ならばそこらの貴族の当主の妻になった方がよほど賢い。


 そんな前提があり、再三困り事がないか水を向けて、現在秘密を打ち明けるにはちょうどいい状況で、それでもあくまで恋だとベラドンナが言い張るのだ。晩餐会で謀叛すら勧めてきた公爵の支配下にあるにしろ、多少は彼女自身に結婚の意思があると真に受けて何が悪い。


 アスターは決して純情じゃない。アスターをいずれ黄金にすると公爵に吹き込まれたベラドンナが、ありもしない栄光に逆上せているのだとしても、いいや自分は愚者の金、公爵の悪巧みは必ず潰えるから、君はもっと幸せにしてくれる人を選べと教えるなんて馬鹿じゃないのかと思いさえする。蝶の方から巣に飛び込んできたのに、逃がしてあげる蜘蛛がどこにいる。

 一応アスターの良心が、様子がおかしいベラドンナの誤解を利用して囲いこんでも、一時はうまくいったとて夢見た名誉は幻だと彼女が知ったときに二人の間に結ばれた絆がずたずたに引き千切れるだろうと水を差すのだが、焼け石に水だ。


 考えれば考えるほど、欲望に従うべきだと思えてくる。なにせ欲を除いても、公爵というオータム家の王からベラドンナを連れ出すには、結婚が最も手っ取り早く、確実なのは間違いないのだ。

 王は近頃冷静になりつつある。しかし憎悪はそう簡単には薄れまい。アスターからベラドンナとの結婚を願い出れば、王は彼女をアスターを臣下の座に封印する鎹と考え、許可してくれるのではないか。

 結婚さえしてしまえば、話が違うと叫んだところでベラドンナはもうアスターに縛りつけられている。妻から離婚を申し立てるのは不可能と言っていい。子供ができなかったら何だ。アスターには種がないことにしてでも離さない。なんだかんだベラドンナは情に脆い。アスターが涙でも何でも使ってなりふり構わず口説いたら、死ぬ前には許してくれるかもしれない。

 何をしても最後に勝てばいいと聞いた。ベラドンナが言った。

 しかし釈明を重ねるほどに、かえって強調されていく真実に、アスターはとうに気づいている。


「……君の気持ちはわかった。それなら僕にも考えがある」


 僕は卑怯者だ。




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