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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第3章 学園

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(14) アスター王子、異変を察知する

 


 これでアスターの恋と、その恋が心という名の馬の他に欲望という名の馬にも引かれる類のものだと明らかになった。

 欲望、すなわち暴れ馬である。これだけが遁走した結果を恋と言い張ると不埒者の烙印を押される。

 とはいえ誰もが知っている通り、この暴れ馬、恋するためには必ずしも必要ではないが、無粋な話、血を繋がねばならない貴族が恋の先に結婚を望むなら、これがいないと具合が悪い。つまりいかによく調教するかが腕の見せ所、品性というものだ。


 文通はその点まず恋情を育てるのにちょうどいい距離だった。

 かつては文字が読めないと言っていた彼女が、流麗な筆致で手紙をくれる。ただ手紙の書き方は習っても書く機会がなくてすぐ忘れたのだろう、向こうからの最初の一通の形式は自由だった。二通目から明らかに内容がアスターにならったものになっておかしく、見栄っ張りなベラドンナの背伸びがうかがえて、記憶の小さな子と今の彼女が破綻なく繋がり、たまらなかった。

 とはいえアスターもベラドンナが習っていないだろう授業の内容など書いて、気取ったことは否めない。いつまでもベラドンナに手を引かれているばかりの自分ではないことを示したかったのだ。


 積もる話や伝えたい、知りたい話はいくらでも湧きでてくるのでわずか一年ほどでアスターの手元にたまったベラドンナの手紙は結構な数になった。だからわかるのだが、彼女が学園の寮に入ってから手紙が変だ。いやに熱っぽいというか、アスターの願望が入っているのでなければ、まるでベラドンナがアスターに恋しているかのようだ。まさか代筆ではあるまいなと訝りつつ、学園で会う日時と場所を決め、秋のその日、アスターは庭の東屋でそわそわとベラドンナを待った。

 そして待望の姿を見つけ、立ち上がる。目が合った彼女がこちらにまっすぐ歩いてきて、口を開く。


「アスター様。お会いしたかった」


 それは夢と同じ甘い声音だった。


 わけがわからなかった。前に会ったときとあまりにも違う。王子の身分に目が眩んだならば再会のその日から態度に出るはずだ。

 まごついていたら、いつの間にかベラドンナに二の腕を強くつかまれていた。彼女が自分に触れている事実に、救いようのないアスターは一瞬高揚し、体まで正直にぎくっと反応したが、地に落ちるのは早かった。どう考えても全部ベラドンナらしくない。


「ベラは、少し変わったね」

「褒め言葉として受け取らせてくださいませ。私はあなたの目に少しでも大人のように映りたいのです。あなたはほんの少し離れている間に素敵になっていくから」

「うん……」


 本当に絶対に間違いなくおかしい。二人きりなのにこの口調は何なんだ。これは事件に巻き込まれているに違いない。

 確信を持って、何か助けになれないかと聞いても、ベラドンナは何も打ち明けてはくれなかった。それどころか頬を染めて恋心を告白し、とても可愛らしく誘惑めいた行動をしてくる。


 心が喜びと困惑を忙しく往復するので混乱してきた。少なくともここでベラドンナを抱きしめてはいけないのはわかる。あとはそうだ、アスターのせいでベラドンナが妙な行動を強いられるのなら、会わないことがきっとお互いのためだ。

 アスターはなんとか冷静さをかき集めてベラドンナにそう告げた。そして追加で悩みがあるなら手段は何でもいいから相談してほしいと念押しして、逃げた。完膚なきまでの逃亡であった。


 ベラドンナを嫌ったとは勘違いされたくないので普段より気を使って手紙を認めつつ、アスターは悩んだ。

 自惚れかもしれないが、ベラドンナにとっての親友である自負がある。つまりベラドンナの恋は嘘。たちの悪いいたずらの可能性は微妙にあるが、強制かつアスターには打ち明けられないとしたら、王なら命令すれば彼女をアスターごといかようにもできるのだから、ベラドンナの父である公爵が怪しい。

 彼女がアスターを好いてくれているならまだしも、いらないことをしてくれると苛立ちながら、彼女の手紙の結婚の文字からは視線を剥がし、彼女を解放する策を考える。


 そんな中、王妃に王宮の晩餐へ招待された。彼女はこうしてアスターを公の場へ呼び、誰の目にもわかるように気にかけてくれる。いい人だと思うし、断る理由もないし、悲しませて王の余計な不興を買いたくないので、アスターはいつも参加の返事をしていた。


 早めに出向いて、着替えをすませ、時間潰しに庭園へ出る。紅葉した木々が月光を浴びて昼とはまた違った色彩を見せている。歩いていれば寒さが辛くないので、散歩に向いた夜である。

 だがそこに、大きい影を見つけ、アスターは内心ため息をついた。


「こんばんはコルチカム公」

「ご機嫌麗しゅうアスター殿下。今宵の月は美しいですね。お供しても?」

「もちろん」


 服装からして彼も晩餐の招待客なのだろう。そしてアスターを待ちかまえていた。

 お互いの意図を探り合うためだけの、目配せのような当たり障りのない会話を少ししたのち、公爵が切り込んだ。


「ところで殿下。数年前から、バンナン経由の奢侈品の関税がぐっと上がったことはご存じですかな。おかげでそれで稼いでいる者どもは苦労してるのですよ。ご覧ください、この珊瑚と言う石もその対象でして、おかげでこれが流行りかけていたのに、商機を潰されたと商人どもが嘆いていました」


 公爵が顔の横に掲げた金の指輪には、血を固めたような濁った赤い石がはまっていた。


「バンナン王は同盟破棄後も税を変えなかったのにとも申しておりました。意外でしょうが、実はバンナン王は民にはなかなか人気があるのですよ。あの八年前の戦、そしてそれ以前の戦でも、バンナンがきっちり後詰めの任を果たし、アプレの町を守ったので、特にその地域では王都とは比較にならないほどバンナンが称えられているのです。王家と縁深い軍部ですら、バンナンの援軍が間に合っていても敗戦は避けられなかったとの意見が一部あります。バンナンは大量の諜報員の口を介して工作を行うとの噂はありますが、実際に陛下はいささか国内で信頼を失っていらっしゃるご様子。殿下も、彼らの苦々しい思いがおわかりになるのでは?」


 アスターは微笑したまま黙って歩いた。

 労働は卑しい。すなわち商人も卑しい。それが常識なのだから、さて公爵の発言はどこまで彼らへの本気の労りを含んでいるのやら。


「もし今、バンナンの王女の御子である殿下のお言葉があれば、みな喜んで殿下へ土地も人も捧げるでしょう。私も微力ながらお力添えを」

「コルチカム公。それ以上言うなら聞かなかったことにしてやれない」

「――とんでもない。私は殿下の御慈悲に縋りたい者がいることお伝えしたかった次第でございます。どうかご寛恕くださいませ。……話を変えましょうか。末の娘はお気に召しましたか? 殿下にすっかり熱を上げておりましてね。てっきり殿下からお叱りを受けるかと覚悟しておりましたが」

「コルチカム公」


 うんざりした。


「その言い方は感心しない」

「これは重ねて失礼をば。私はどうも言葉をいたずらに使う悪癖がある」


 恩人なのは間違いないのだが、苦手だ。要するに慇懃無礼なのだ、この人は。だがふと、その侮りが利用できると気づいた。

 アスターは、良識派ぶった男がうっかり本音を漏らしたように聞こえるように祈りながら、わざとのんびりと言った。


「だが、そうだな。確かにベラドンナ嬢はずいぶん変わったな。幼い時分には兄弟のように思っていたことが、我ながら信じられない。今はどうも、ああも近くに寄られると……困ってしまう」

「――それはそれは」


 公爵のその声音で確信した。やはりベラドンナを操っているのはこの人だ。

 無策で心惹かれるままにベラドンナの手を取れば、二人とも公爵の計略に絡め取られてしまうだろう。


「彼女は淑やかになった。公は素晴らしい教師を見つけたようだ」

「当然ですが、成長の一番の原因はあれの努力ですよ。女は天性の役者と申します。好いた相手のためならば淑女にもその正反対にもなってみせる。なんとも健気ではないですか」

「そうだな。しかし昔の子供らしい活発さを失ったようにも感じないでもない。あれは人を選ぶが魅力的だったぞ」

「殿下。より良い夫を求めるのは女の性です。甘く優しい子供時代の象徴でいてほしいがために、娘に理想の少女でいることを強要するのですか? ただ気に入らないという身勝手な理由で、貴婦人として正しくふるまい、高い理想を持って、誰もが理想とする立場を目指している現在の娘を拒絶するのですか?」

「まさか」


 嘘だった。

 再会して確信した。アスターの不安は正しかった。仮にベラドンナが、芯から公爵の言う令嬢の手本のベラドンナになっていたら、アスターはきっと、自覚する前に散った初恋の残り香だけ知って、それで終わっていただろう。

 出会いがどんなに特別でも、その先に築いていく関係が特別でなかったら、最高の土に植えた種に一切水をやらないのと同じで思いが育つはずがない。


 アスターは恋をしている。シオンのベラドンナに恋しているのだ。




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難儀な初恋に殉じてしまったアスター君の健気さよ
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