(8) アスター、ベラドンナと話す
あのあとアスターは泣き疲れて眠ってしまったらしい。目覚めると夕方になっていた。気分はすっきりしていたが、頭は重く、まだ微熱がある。
寝室で早めの夕食を兼ねた食事をゆっくりすませたころ、ベラドンナが来た。
「普段優しい人が爆発すると大変だって本当なのね」
「ごめん……」
「謝らないで。そういう細かいことが積もり積もって山となって噴火するのよ」
言いながら、ベラドンナが椅子を運んで座る。
「考えたのだけど、私相手に自己主張の練習したら? このお屋敷なら、その気になれば顔を合わさなくたって生活できるけど、お互いしか友達がいないんだし、失敗してもなんだかんだ絶交まではいかないでしょう。申し上げた通り、私はいつだって挑戦を受けて立つ用意はありますし? 試しにほら、言ってごらんなさいよ。あなたが今日したいこと、してほしいこと」
自分の望みことを口にする。
考えただけで動悸がした。それは厄を呼ぶ行為だ。しかし迷惑をかけた、他ならぬベラドンナの求めならば。
「…………もう少し、ここにいて」
「そんなこったろうと思ったわ。暇なんでしょ。カードならもってきたわよ」
ベラドンナがドレスのポケットからカードを取り出し、ベッドの上に並べ始めた。
「カードゲームでいい? ローワンとライアは呼ぶ? 呼ばない?」
「いやっ、悪いよ。二人でやろう」
「ふーん。まあ今まで私が散々付き合わせたから、ライアたちも飽きてる頃ね」
とはいえ二人、特にベラドンナがあまりカードゲームに明るくないとなれば、展開に限度がある。やがてゲームはなおざりになり、話す方が中心になった。
「ベラドンナはいつからここにいるの?」
「ベラでいいわよ。一週間くらい。ライアたちは使用人でしょ。実質ずっと一人で暇だったの。だからあなたが来てちょっと調子に乗っちゃったのよ」
一人。ずっと。
「年が近い兄弟はいなかったの」
「二つ下の弟が一番近いわ。末の子だから、お母様は特別かわいくてしかたがないみたい。子犬みたいにつきっきりで面倒見てたから、きっと外に出したくないのよ」
「寂しくない?」
「寂しいというか、理解できないというか」
「会わなくてもいい?」
「全然いい。別に好きじゃないし、むしろ困る。でも一応いい子にしてるのよ。悪いことをしても見向きもされなかったら、あなたたちにとってベラドンナって何なのって私が悲しくなるから」
確かに母かアルメリアに本気で叱られると、アスターのためを思ってくれる気持ちが痛いほど伝わってきたものだ。それが一切なかったとしたら、心底自分に興味がないのだとやるせなくなるだろう。
そうやって心を守る安全策をとり、こうしてアスターを積極的に構うわりに、ベラドンナには今まで親を恋しがる素振りがなかった。うまく隠しているのではなく、関心がかなり薄いのだろう。
無理もない。あくまで予想だが、この様子では、公爵がアスターの無聊を慰めるための生贄としてこの少女を選んだのは、妻が弟を遠くへやることに反対したからだろう。
つまりベラドンナにとっての両親は、アスターにとっての母とアルメリアにあたる存在ではなく、おそらくは王に近い。彼女の無知も貴族らしからぬふるまいも、その推測を裏付ける。
似ているようで違うのは、まだアスターは、心の底を探ると、二人だけでなく王に対する未練の欠片すら出てくるのに、ベラドンナは両親に愛を乞う手を伸ばさず平気で立っているように見える点だ。
「どうして君は、心の整理が上手なの?」
「私は特殊なんだけど、まあそうね、好きな人にさえ……これは自分も含めてよ、好かれていればそれ以外の人に嫌われたってどうでもいいじゃない。表面上は気づいてないふりをして付き合えばいいのよ。そして怒りは溜めこんで、ここぞというときに思いっきり返すのよ。我慢してたら舐められるだけなんだから」
「知らない人に嫌われるのは怖いよ。ずっと怒ってるのも疲れる」
「私は復讐してやるって思うと生きる気力がわいてくる人間なのよ。いずれやり返されるとも知らないでって嘲笑う余裕もできるし」
「前向きに暗い心がけだな……」
新しい考え方ではあった。アスターは王を嫌っているが、恨みを晴らしてやろうとは考えたことはない。復讐とは、アスターにとって、憎悪を動機としない、卑劣な行為によって破壊された正義を回復させる営みだからだ。
ふとベラドンナがカードを手放した。
「はーもう飽きた。次何する?」
「本が嫌いじゃなかったら、読書とか」
「私、こんなに話せるのに文字は読めないわ。不思議なことにね」
「朗読するよ」
「恋愛物以外のおすすめの題名言って。ローワンにとってきてもらおう」
アスターが選んだのはバンナンでも有名な騎士物語だ。子供向けではないが、何度も通読したのでつまずくところはない。膝の上に本を広げる。ベラドンナがベッドの上に肘をついた。
「お母様によく読んでもらってたんだ」
「へえ。優しいお母様ね」
「……うん」
ベラドンナの前で肯定するのは無神経だが、アスターはあえて声に出した。母が好きだとアルメリア以外の相手に言ってみたかったのだ。
「羨ましーい。あ、同情するなら、そうね……デザートわけてよ。料理長はとってもお菓子作りが上手でね、いろんなものが集まるバンナンって国で修業をしたから、外国のお菓子まで作れるの。そしてこの私がどんなに命じても、おいしく食べられると判断した分しか作らない頑固者でもあるわけ。つまり私が一人分より食べようとしたら、誰かからいただくしかないのよ」
「君さあ」
肩の力が抜けて、つい遠慮なく呆れてしまい、さっとベラドンナの顔色をうかがう。彼女は猫のようににんまり笑っていた。
「その調子でね」
どうやら合格らしかった。
翌朝、アスターは一階へ降りてベラドンナと食事をとった。そのとき菓子を半分要求されて、昨日のやり取りを思い出し、同情ではないが差し出した。本当はわけたくなかったので残念だった。
献上品をおいしそうに味わいつつ、ベラドンナが言う。
「治ってよかったわね。私は今日も森の探検するつもりなの。あそこの木の実がそろそろ食べられると思うのよね。シオンは来る? 正直に返事」
「…………行かない」
「よし」
「もしかして毎回こうやって答えなきゃいけないの?」
「でなきゃ練習にならないでしょ。別にシオンが私を誘ってくれてもいいのよ。自由に面白いこと考えてさ。気分じゃなかったら断るけどね。それじゃ」
いつも通り翻るドレスと早足のライアを見送り、アスターは上げ下げ窓へ近づいた。
明るい日差しに照らされて、影も色も鮮やかな草木が揺れている。葉擦れと鳥のさえずりが聞こえる。草の匂いが流れてくる。
「シオン様」
アスターと呼ぶなとこればかりは厳しく命じた侍従を顧みる。
「閣下は我々使用人に、シオン様に一切の憂いなくお寛ぎいただくことを第一の使命とせよと厳しくお命じになりました。ですから、もしそれを果たせず、仕事に手抜かりがある者にお気づきであれば、どうぞいらぬと一言仰ってください。さすれば閣下は、その者の生まれや職掌が何であれ、必ずより確実に仕事を熟す者とお取り替えになるでしょう。どうかお含みおきくださいませ。この屋敷の絶対の主はあなたであり、我々はあなたの忠実なしもべなのでございます」
アスターは無言で侍従を見た。いつからか、毎夜アスターの前で、寝具の一つ一つをさりげなくもしっかり見せつけるようにベッドを整えるようになったローワンという中年の男をしみじみと見つめた。
あの冬の日に胸躍らせた冒険の続きが、今、目の前に開けているのだと、アスターはようやく気づいた。




