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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第2章 エデルワイス邸

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(7) アスター、決壊する

年内最後の更新です。第2章全5話です。よろしくお願いします。良いお年を。

 


 ベラドンナが活発な少女であることは一目瞭然だった。しかし彼女の実際のお転婆ぶりは、アスターの想定を遥かに超えていたのである。


 翌日。朝食の間、姿勢が少し悪いのが気になったが

  ベラドンナは大人しくしていた。食後もしばらくは静かだったが、何かを思いついたようにぱっと立ち上がってからはもう動きが違った。兎のように素早く扉へ向かい、自分で開けて、アスターを振り返る。


「シオン暇?」


 教師の手配には時間がかかると公爵から聞いている。


「うん」

「だったら約束通り私に付き合ってよ。汚れてもいい服で来て。外で待ってるから」


 走り出したベラドンナはあっという間に小さくなり、侍女のライアが最大限の早歩きで追いかけていく。呆気にとられたアスターは、使用人がベラドンナのために扉を開けようとした行き場のない手をそっと戻すのを、礼儀正しく見ないふりをし、ここでの従者であるローワンをふり返った。


「彼女はいつも……その、あんなに元気なの?」

「さようでございます。私めはお嬢様がこちらへいらしてからのご様子しか存じ上げませんが、今日まで健やかに過ごされておいでです」

「そうなんだ……」

「お召し替えをなさいますか?」

「うん……お願い」


 丈夫な靴下とボタンではなく紐で締める服を着て、アスターはローレンと共に呼び出しの場へ参上仕った。

 縄跳びをしていたベラドンナは、アスターに気づくとすぐにやめ、縄を手際よく縛って足元に置いた。正確に表現すると、立ったまま、ぽいと投げた。ライアがそばにいるにもかかわらず。


 アスターを知らず、ふとした行動が粗雑で、しかし公爵家の嫡出であろう少女。


 やはり、この子はちょっと、いやかなり、変だ。


 確信が目つきに滲んでいないことを祈り、アスターは明らかにわくわくしているベラドンナと向き合った。


「シオンは何の遊びが好き? 木登り得意? 釣りしたことある? 走るのは? 縄跳びは?」

「どれもあまり経験はないんだ」


 ベラドンナの瞳がいっそうきらめく。


「私が全部教えてあげる!」


 それからアスターは全力で振り回された。まず敷地内の案内では、先導のベラドンナが走るから、追いかけるために走らされて大変だった。川だって飛び越える。魚が来てるとベラドンナが小さな魚群を指差したときは、水に入って手掴みするかもと一瞬焦った。

 道中の登れる木は大体登った。その中でも一番高い木から見渡した風景をあちこち示し、あそこで飼っているのは馬と羊と牛。牧羊犬がいるから遊んでくれる。畑は向こう、森は向こうと教えられた。


「森や水辺は一人で行ってはいけないわ。滑落とか溺れるとかで危ないし。もちろんあっちの村もよ。ライアたちにすっごく怒られるからね」

「うん」

「ね、そろそろ腹減ったでしょ。来て、こっち」


 柔らかで短い草の広がる丘では、ライアとローワンが食卓と椅子を並べ、昼食の準備をすでに整えていた。

 城のものより品数こそ少ないが、メニューはさして変わらず、目新しさはない。しかしアスターは、骨付きの鶏肉の色味や香り、脂の輝きに空腹を感じ、生唾を飲んだ。

 なぜ飾り立てられたわけでもない一皿がこんなにおいしそうに見えるのだろう。不思議に思いながら、アスターは手を洗っていそいそと席に着き、さっそく鶏肉をつかんだ。

 温かく弾力のある肉に歯を立てて、食いちぎり、噛みしめる。脂の甘さが舌に纏わりつき、ハーブと香辛料が鼻を抜け、いっそう食欲を刺激する。特に塩だ。この塩気がおいしい。

 いつもと同じように食べたつもりなのに、あっという間に一本目がなくなり、二本目へいく。

 一口食べたところで、嬉しそうなベラドンナに見られていることに気づいた。恥じらいと気まずさを包み隠して何かと聞くと、ベラドンナは得意気に言った。


「外で食べるとおいしいでしょ。私の中で最近流行ってるの」

「うん。おいしい」


 風こそ心地よくとも、地味に日差しが熱く、ここはゆっくり食事するのにそこまで適した場所ではない。こんなに美味な理由が外だからなのかは疑問だが、アスターは肯定した。

 事実、その食事はどれもおいしかった。


 それからまた追いかけっこやサッカーという球を蹴る遊びに付き合わされた。途中からアスターは、何度休憩しようと言いかけたかわからないが、青空の下、ベラドンナの生き生きした様子を見ると、自分ばかり疲れているのが悔しくて、言葉を飲み込んで必死で追いかけた。ローワンがそろそろ次のご予定の時間ですと嘘をついてアスターを逃がしてくれなければ、倒れるまで外で走りまわっていただろう。


 屋敷に戻ったアスターは、まず水を飲んだ。贅沢に氷を入れたわけでもない、いつもと変わらない水。しかし舌に触れると甘く、喉に優しく、腹から全身にしみわたる。立て続けに三度あおったら、汗がどっと吹き出した。全身がまだ火照っている。肺が空気を求めている。心臓の拍動が頭まで強く響いている。

 自分の肉体がかつてないほど活発に動いているのをまざまざと感じながら、アスターは顔を丁寧にぬぐった。

 その夜、就寝前に、とんでもない重量でのしかかってくる眠気に耐えながら、アスターは寝具へつま先を潜らせた。そしてそばのローワンには悟られない速度で、慎重に中を探る。何の痛みも変な感触もないことを確かめてから、何でもないふりをして、アスターは目を閉じた。


「シオン! 釣り場まで競争よ!」

「シオン! 競争! 探検!」

「シオン!」


 朝の誘いは恒例となった。断るという選択肢がないアスターは、積み重なる疲労を顧みず、ベラドンナに呼ばれるまま全部ついて行った。

 当然の結果として、週が変わる前にアスターは熱を出した。嗜み程度の乗馬では、体幹はともかく体力がつくわけでもなし、狭い活動範囲で大人しく勉強ばかりしていたアスターと、常日頃走り回っているベラドンナでは基礎体力が違うのだ。

 それを理解していても、情けないものは情けない。だがこれでしばらく誘われないだろうと安堵しながら寝込んでいると、ベラドンナが訪ねてきた。ローワンと入れ替わりに入ったきた彼女は、いかにも後ろめたそうな顔をして、野花の花瓶を抱えている。


「こんにちは……。あの、これ、お見舞い」


 枕元にどんとそれを置きてから、ベラドンナは体を起こしたアスターに向きなおり、頭を下げた。


「ごめんなさい。ライアにも怒られたわ。シオンのこと連れ回しすぎだって。確かにあなたが疲れてるなんて考えもしなかった。自分勝手だったと思う。本当にごめんなさい」


 言って、ベラドンナは神妙に立っている。それ以外には何もしていない彼女に、謝っているのだから許せという無言の圧を読み取ってしまい、アスターは余裕のなさを自覚した。

 よくない傾向だから、とにかく謝罪を受け入れよう。それで満足してもらって、ベラドンナに早く帰ってもらう。本音では彼女が謝る必要はないと思うが、アスターの意見なんかベラドンナもどうでもいいに決まっている。


「でも正直に言ってあなたもほんの少しは責任があると思うわ」


 だがアスターが口を開くより、ベラドンナが唇を尖らせてそう続けるが早かった。


「なにも直接断れとは言わないわ。言いにくいのはわかるもの。ちょっと返事を躊躇うとか苦笑してみるとか、態度でいいから意思表示をしなさいって言ってるの。毎回飛んできてるのに本当は嫌だったって倒れられても困るわよ」


 小声で早口に詰られ、背筋が強張って指先が冷えてくる。

 唯々諾々と従うことこそがベラドンナを怒らせない最善の方法だと信じて立ち回ったのに、反感を買ってしまった。

 やることなすこと裏目に出る。結局悪いのはいつだってアスターだ。無駄な冒険心を出して母とアルメリアの思いやりを無下にした。アスターのために母が兄に何かを頼んだせいできっと兄は死んだ。アスターの命を守るために母は汚名を被って離婚した。

 アスターは余計なことをせず、ただ母とアルメリアの言う通り大人しくしていればよかったのに。


「今もほら、何か私に言いたいこととかあるでしょ? 我慢しないで言ってよ。それで私が言い訳したり、ちゃんと聞かなかったら、二人で納得いくまでケンカしましょう。友達ってそういうものでしょう?」


 固く閉じ、さらに凍りつつあったアスターの心の扉に、ベラドンナの提案は、大岩の形をとって激突した。


 意見を口にすることは恐怖だ。

 あれはアスターが庶子となってすぐ、まだ王宮にいた頃の話だ。

 ある日の夜、ベッドに横になって足を伸ばした瞬間、足裏に何かが刺さった。

 とっさに上掛けを蹴り上げて逃げ、肌を確かめる。目視では何もない。細かい棘がびっしり埋まっているかのように痛む。

 恐る恐るアスターが出たままぽっかり空いている空間を覗き込むと、暗闇の中に毛虫がいた。

 死んでいる。干してから片付けるときに紛れこんでしまったのだろう。アスターは痛む部分を庇いながら呼び鈴の紐を引いた。そして現れた侍従に頼む。


「ベッドを見てほしい」

「毛虫がいたのですね。申し訳ありません。典医を呼びます」

「お願い」


 素早い理解にほっとして、瞬間凍りつく。

 なぜ彼はめくる前から毛虫がいると知っているのだ。

 しかも別の使用人に典医を呼ぶ指示をして寝具の交換に取りかかった侍従は、革手袋を着けて毛虫を暖炉へ捨てている。ずいぶん準備がいい。まるでこうなることがあらかじめわかっていたようだ。

 もしや彼が仕込んだのか。だがなぜだ。バンナンが原因で王太子を亡くしても、彼を含めた使用人たちはアスターへの軽侮を露骨に表に出しはしなかった。それでもアスターは彼らへの警戒は続けて言動には注意していたので、ここまで恨まれる覚えは、いや、彼は、確か。

 思い出した。今朝、ふと油断して、彼に言ったのである。


「爪が長いね」


 アルメリアの代わりについた侍従の彼が、朝の身支度で絹の靴下を履かせてくれるとき、伸びた爪が目についたのだ。初めて見る長さであったので、特に意味はなく口にしただけだった。それなのに彼が申し訳ございませんと謝ったのが不思議で、しかし些細なことだったので今まで忘れていた。まさか彼は身だしなみに文句をつけられたと感じて不愉快だったのだろうか。

 たかがそれだけでと信じられない気持ちだが、どれほど思い返してみても、それ以外の心当たりがなかった。


 胸に立ち込めた暗雲は、何の証拠もない以上は単なる不安である。

 侍従には罰が与えられることになったが、それは彼の犯行が認められたのではなく、清潔を保つのを怠ったことに対する処罰だった。侍従長が枝の鞭を持って跪く侍従のそばに立つ。

 鞭打ちだ。本当は目をそらしたいが、見届けるのも責任である。アルメリアと母の姿を脳裏に浮かべながら、覚悟を決めて鞭が振り下ろされるのを見ていたアスターの耳に、ぱすんといかにも気の抜けた音が届いた。そしてもう一度、やはりぱすんと。


「待って侍従長、それは何?」

「何……、ああ、アスター様はご存じないかもしれませんが、このような仕置きがあるのですよ」


 開いた口が塞がらなかった。


 なんなんだ、この茶番は。


 まだアスターの足には猛烈な痒みと鬱陶しい痛みがある。

 嫌味でもなく、叱責でもなく、たかが事実を指摘しただけのアスターに毛虫の罠を仕掛けるなんて仕出かしをした使用人に、形式だけ怒ってみせて事を収めようとする。

 幼児の癇癪に付き合う大人と何が違う。馬鹿にしている。徹頭徹尾アスターを軽んじている。アスターの身分が何であれ、絶対にしていいことではない。

 だが現実にこの場の全員がアスターを軽んじていて、本心では毛虫ごとき何だと思っているのだ。一々細かいことで騒ぐなと。

 これがもし毛虫ではなく毒であっても、彼らはきっと面倒だと思うのだろう。

 アスターは猫に囲まれた鼠だ。機嫌を損ねたら最後、この体には爪がかかる。それも、鼠を殺しさえしなければ、どんなにおもちゃにしても飼い主に咎められないと知っている猫の爪が。

 怯えを悟られないよう、アスターは無理に落ち着いた声を出した。


「初めて知ったよ。恐ろしいものだな。洗濯係はそんな風に咎めないであげてくれ」

「なんと慈悲深い。仰せのとおりにいたします」


 そして決意した。二度と自分から余計な発言をするまい。とにかく言われたまま、されるがまま、誰の感情を波立たせない人形としてあろう。軽んじられて手を抜かれようが構わない。侮りが行動に発展しても、亀のように体を縮めて耐えられる限りは耐えよう。報復を防ぐために、マジュス卿には黙っていよう。

 使用人の怒りに触れることがひたすらに怖かった。


 アスターがそういう環境にいたことも知らないくせに、どうせ自分の罪悪感を減らしたいだけのくせに、いとも簡単にアスターの意思をちゃんと聞きたいと口にした無神経な少女が憎くて憎くて憎くて。


 慰めでも誰かにずっとそう言ってほしかったんだと気づいた。


「えっ、ちょっ、泣くほど嫌だったのか」

「嫌だよ。僕はもう全部嫌なんだ。馬鹿にするなよ、皆嫌いだ、大っきらいだっ……!」

「そんな、あの、本当にごめんなさい。私はもう出ていくから」

「許さない!」


 みっともない声が出た。引き攣れるように鼻と喉が痛む。ベラドンナに顔を見られたくなくて、とっさに俯くと、滴り落ちた涙でたちまち手の甲が濡れ、握りしめた上掛が湿る。


「逃げたら二度と許さない! 行ったらだめだ。一人にしないで。お願いだから、もう僕を、置いていかないで…………」


 肩が変に強張る。拳から力が抜けない。

 ローワンは出ていくときに扉を細く開けたままにしていた。ベラドンナがアスターに呆れて出ていくとしても、扉の開閉の音はしない。だがどんなに注意しようとも、ドレスの衣擦れまでは消すことはできない。

 ベラドンナがまだいるか確かめる勇気はないまま、アスターは、どんなに堪えても漏れる自分の泣き声の隙間に、ベラドンナの無言の拒絶が混じってはいないか耳を澄ませた。


 とうとう恐れたその音が聞こえた直後、にじむ視界にそろそろとハンカチを持った手が入ってきて、アスターは溺れる者のように両手を使って全身全霊でしがみついた。

 両親の真実に気づいてから、アスターにとって、悲しみは絶え間なく降り、溶ける間もなく積もっていくものだった。凍えることも忘れるほどそばにあった冷たさが、初めて緩み、流れていく。

 やがてアスターの丸めた背へ、ベラドンナが手をあててくれた。さするでもなく、ただ触れられているだけなのに、その一点がひどく熱かった。




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― 新着の感想 ―
母と別れてから初めて感情を露わにしたのでしょうね こんな風にして気持ちの柔らかい所は全部ベラドンナに預けてしまったのならそらもう執着は強く思いは重いでしょうね
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