(2) 再会と学園とオレ始動
反省を活かすべき場面はすぐに来た。
あなたもそんな年頃だったわねと母から行儀作法を学び始めたのだ。
俺はそれはもう真剣に取り組んだ。意外と手掴みでの食事とかすんのねと新鮮な驚きを覚えたりしながらね。
なのに父から淑女のふるまいをしろを命じられて台無しにされた。
教育が遅すぎるとかなんとか言ってたが、呪いを躾に使うやつがあるか。
まさかこいつ、本物ベラドンナを矯正する手間を惜しんで呪ったんじゃないだろうな。いやさすがにないか。噛み癖がある犬を躾けるのを面倒がって口輪をつける飼い主じゃあるまいし。
疑いが晴れないまま時は経ち、十四歳。
「あなたはあなたより先に礼儀作法を学び始めた方々を飛び越えて、目指すべき水準にたどり着きました。だからといって、自らの才を鼻にかけて他人を見下し、粗略に扱い、習ったすべてを形骸化させないように。あなたは自惚れが強いですからね、人より厳に自戒せねばなりませんよ」
「はいお母様」
ねえ母さん、本物ベラドンナって誰彼かまわず噛みつく狂犬だったの? これ淑女命令なかったら、こんなこともできないのかってネチネチいじめられてたかもしれん。いや感謝なんかしないが。
釈然としないながらも母からお墨付きをもらったら、それを待ちわびていたらしき父に王宮へ連れて行かれ、王子に引き合わされた。
謁見の席が設けられたのは、緑の生け垣を見下ろす位置の、天井だけでなく柱と柱の壁まで彩色された豪華な部屋だ。石造りだからか夏でもひんやり涼しく、飲み物に氷が入ってなくても許せる。というか、つい飲んでしまうからこのくらいの温度がお腹には優しい。
あー髪を結われたせいでうなじがスースーする。新品のドレスも落ち着かない。ひたすら緊張するから早く来てくれ王子。そしてなぜか説明しなかった父に代わって呼んだ理由を教えて俺を安心させてくれ。
祈りが届いて現れた王子は、目元の優しいいかにもな王子様顔だった。アスターと名乗った彼曰く、これは昔、俺と父に窮地を救ってもらった礼を言うためのお茶会だそうだ。
父はともかく、一令嬢の俺が王子と知り合う場面なんかない。でもこのイケメン、夢で見た覚えがあるような。
曖昧な微笑みを浮かべて記憶の引き出しを探っていると、王子が助け船を出してくれた。
「三年前までエデルワイス邸で一緒だった。覚えていないかな。それとも、シオンって言ったらわかる?」
「シオン……!」
その名前を忘れるはずがない。
俺はアスターをまじまじ眺めた。髪が金髪から茶髪に変わってるし輪郭もシュッとしてるし体格も違うけど、言われてみれば紫の目といい確かな面影がある。
昔、俺が俺となって間もないころ、父に放りこまれたエデルワイスという別荘で遊び倒した男の子。それがシオンだ。
俺、別荘で暮らしてたことからシオンまで丸ごと現実感のある夢だったのかもと思ってたんだよな。あの別荘は俺にとって夢のような楽園だったし、何らかの事情でシオンに文通を断られたために、シオンがいる証拠がなかったから、自分を疑わざるを得なかったんだ。
それが今、目の前にシオンもといアスターがいる。シオンは俺のイマジナリーフレンドとか夢の登場人物じゃなかった。現実に存在する人間だったのだ。
本人から俺の記憶の確かさを保証されたら、思い出について回った落胆と不安が晴れ、喜びだけがくっきり浮かんできた。
懐かしいな。あのときシオンが王子だなんて知らなかったから、弟分としてあちこち連れ回して、泣かせもしたけどめちゃくちゃ仲良くしてた。あれ全部実際にあった出来事なんだ。あの小さい子がこんなに成長して、うわぁ、なんか感動する。ジジイになった気分だわ。
「お久しぶりです。お会いできて本当に嬉しいですわ。お元気なご様子で、ああ本当に懐かしい……!」
「僕も会えて嬉しい。今度はアスターって呼んでくれる?」
「もちろんですわ。では私はベラと。あれからアスター様は入学されたんでしょう? ぜひそのお話をお聞きしたいわ」
呼び捨てのつもりが敬称が勝手に挿入されたけどまあいい。学園についてだ。俺は先生から大体聞いた。
この国には貴族の女子や次男坊以下、裕福な平民の子女が通える全寮制学園がいくつかある。俺が入る予定の王都の学園は、厳密には共学なのだが、建物によって科目を偏らせたり、設備の配置を工夫したりすることによって、男女の行動範囲を操作し、実質男子校と女子校状態にしているところだ。
男子は十一前後から十八までそこで寮生活をしてるんだけど、女子は十五くらいで寮に入る。
差の四年で女子は遊び呆けているわけではない。むしろ逆だ。学園で習うようなことを家庭教師から教わっているし、淑女に最も必要な社交や家政は母に付き従う形でビシビシ伝授されている。
勉強のために学園に来る必要はない女子たちが、それでもあえて入学する理由。それはずばり婚活と人脈作りだ。黙っていても縁談が舞い込む家じゃないなら、少しでも縁を繋げそうな場所へこっちから出向いてやればいいってわけ。え、そうなると公爵なのに娘を通わせる俺の家って。
深く考えるのはよそう。とにかく目標としては寿退学。三年の猶予がありながらきちんと卒業してしまったら恥なんだって。
そのために女子は手芸や音楽など花嫁修行をしながら、パーティーや庭で男子と交流し、見初められるか、在校生の親から話が舞いこむのを待つ。
その本分を無視して学問、特に淑女の嗜みからはみ出る哲学とか天文学とかの男子のものとされる分野に励むといい顔をされない。男と机を並べるたら風紀が乱れるだの、あまり賢しげにすると嫁の貰い手がないだの苦言をもらうそうだ。
ここへは結婚相手探しに来てるはずだろ、なら気に入ってもらえるようにふるまえよ、お前が常識外れの行動をしたらこの学園の女子は全員そうなのかと誤解されるだろうがって意味でね。
婚活の理論に則って言うなら、勉強ができる子に惚れる男子もいるだろうに、そんなに目くじら立てることかと不思議だが、現実の対応は前述の通り。
先生の在学中には、校則に受講制限がないことを確認して男子科目を受けようとした女子が、規則にないのはすべきでないことが自明だからです、それが理解できない方によいお相手を紹介するのは難しいかもしれませんねと遠回しに脅されたらしい。その子は結局良縁のために勉学を断念したそうだ。震えるね。
布製品を取り扱ったり軍人になったりする男子のために手芸の授業はあるらしいし、女子の学舎でも男子科目をやればいいのに、そこらへんに異世界を感じる。
まあそんな感じだともう知ってるから、男子側の話を聞けるのが楽しかった。数学とか古典言語とかは興味ないけど、十六以上から出場できる剣術の大会なんて羨ましすぎる。それは無理でもせめて弓術はと思うが、淑女命令で受けられなさそうなのが残念だ。
他にもアスターは学園であった笑い話に、教師のものまねまで披露してくれた。正解を知らないのになぜか上手いのがわかって笑ってしまう。やってるのがイケメン王子だからなおさら面白い。
笑い過ぎて滲んだ涙を拭い、息を整えていたら、ふと視線を感じた。
アスターにじっと見られている。
それで急に気づいた。俺、今まで普通に口開けて笑っちゃってたわ。
俺の感覚では喉ちんこ晒して手を打っての爆笑だったのが、きっと淑女命令の大健闘でその程度に抑え込まれたんだろうが、一歩及ばずマナー違反だ。
でもアスターが気分を害してなさそうだからいいか。そう思ったのに、命令さんが俺へ強制的に謝罪をさせた。
「ごめんなさい。私、笑い方が、なんというか大胆だったでしょう。お気に障ったかしら」
「えっ、全然そんなことないよ! 不躾だったのは申し訳ないが、全然まったく、非難なんてそんなつもりで見ていたわけではないんだ。ただ君が綺麗だったから、ああ僕は何を言ってるんだ」
めちゃくちゃ慌てるじゃん。思わず笑うと、アスターはほっとしたようだった。
「僕はベラがそうやって笑ってくれて嬉しいんだ。君が想像するよりずっとね」
「あらお上手ね。そうやってまた私を笑わせようとする。あなたといたら頬が緩んだままになってしまうわ」
アスターってば、ただでさえ心が広くて芸達者で長所ばっかりな仲良くなりたい人なのに、俺の父からすれば上司の息子さんだから、父の悪事を告発する絶好の相手でもあるんだ。
もし釘を抜いたあと、父が、それが俺に刺さっていた証拠はないと主張したとしても、いくらなんでも王子その人が証言したなら黙るしかないだろう。もう友達になるしかない。
「嬉しいことを言ってくださるあなたなら、今度はお手紙を送ってもいいともおっしゃるでしょう?」
「うん。寮へ送って。必ず返事を出すよ。ベラは今はご両親と一緒に本邸で暮らしているんだよね。ソレルから聞いたよ」
「え? ああ、そのとおりですわ……」
誰かと思っちゃった。ソレルってベラドンナの二つ下の弟くんだ。そういえば学園にいるんだった。
長期休暇で帰ってきても、すぐどこか出かけるし、母が構いたがるしで、ろくに話したことがない弟。向こうも俺とどう接するかわからないのか近づいてこない。
「ベラ?」
「なんでもないわ。お手紙も、学園でお会いできるのも楽しみにしています」
にっこり笑ってお別れである。
王都の屋敷に帰宅。また領地にある本邸へ何日もかけて帰るが、今日は着替えてぐったりだ。
さて、言えない書けない見せられないのに、どうやって呪われてるって伝えたもんかな。悩むけど、体はともかく精神に命令の効果はないんだ。試行錯誤しまくって、いつか必ず命令をくぐってやる。呪いが解けた暁には承知しないから首を洗って待ってろよ、父公爵め。