(1) 転生と呪詛とカス犯人
ベラドンナ編です。誤字報告ありがとうございました。
ある朝、知らない場所に女の体で生まれ変わってるなあと自覚してからこっち、鳩尾の少し上にある黒い棘のようなものが気になってはいた。
よくわからないが、ボディピアスとか鍼治療とか、少なくともここの文化圏の女には必要なんだろうと元気いっぱい過ごすこと数年。
ベラドンナこと俺は十二歳になった。いまだに外遊びが楽しい。なにせ貴族だけあって庭が広いし馬に乗れる。今なんて夏だからドレスの裾を翻して毎日短く刈った草の上を走り回れる。
家庭教師のお姉さんには悪いけど、義務教育をすませた記憶もあって、普段から理想的な生徒ではない俺が、この絶好の季節は輪をかけて授業に集中できない。暑い時間帯をやり過ごすためだと自分に言い聞かせてようやく椅子に座っているくらいだ。
今日も身が入らないまま、話を右から左に聞き流していたら、少し引っかかることがあった。
「──たとえば傀儡の呪い。呪う相手に呪術師秘伝の薬を七日間飲ませ、七日目の晩、体の何処かに、動物の骨を削って血を染み込ませた黒い釘を打ちます。そうすれば相手は言いなりになるのです。被害者は基本的に、いくつかの命令を与えられ、釘を認識できないまま、無自覚に他人に釘を見られないように行動します。入浴や着替えのために使用人も巻き込まれて呪われる傾向がありますが、貴族は旅先で他家の使用人に世話になることが多いですし、肌を見る機会がある伴侶や医者を呪って口封じしても、さらにその使用人や家族が気づいて芋づる式に、などと発見されやすいです。そして最大の欠点は、解呪後に釘を打たれて以降の記憶が残ること。犯人が容易に逮捕されがちで、現在まで数十年被害報告がない呪いがなぜ有名になったか。実は最後の欠点は、ある条件下で利点へと変化します。それを利用した事件がヘリアンサス四世の時代に──」
へえ黒い釘。
ちょうどそんな感じの禍々しいやつが俺の胸に打ち込んである気がするんですけど。違っていても気持ち悪い。授業終わったら絶対抜こう。
「──齢以上ならば、被害者以外が釘を抜けば魂が抜けることなく呪いが解けることが判明したのです。それ以外の方法ですと、実際の例があるのですが、どこかに釘が引っ掛かったなどの事故でも後遺症が出ます。その特性を利用すれば、誰かに気づかれたら釘を抜けという命令一つで、被害者自身に証拠を隠滅させられるのです。傀儡の呪いについて無知な人間が、迂闊にも指摘してしまう悲劇がままあるのですから、私の主張としては、呪いを無闇に恐ろしい穢らわしいものとして遠ざけず、むしろ詳しく知ることこそが身を守ると──」
やっぱやめた。先生に今抜いてもおう。
そう決意したのに、口も体も縫いつけたようにまったく動かなかった。助けてとすら言えないのだ。
先生これって、あらやだ釘じゃないですよ、なーんだ勘違いかあ怖い話されて焦っちゃったの恥ずかしーという展開を期待していたのに、図らずも教わったばかりの被害者の特徴の答え合わせをしてしまった。
冷や汗が背を伝う。間違いない。俺は傀儡の術をかけられている。
授業が終わってもすっかり遊ぶ気分じゃなかった。部屋に引きとって侍女のライアを追い出し、ドレッサーの前に座る。
大きな鏡に美少女が映っている。緩やかに波打つ赤みが強い髪は豊かだし、同じ色の眉は太めでくっきりしてるし、枯葉色の目は澄んでるし、肌だって日に焼けてちょっと赤いけど健康そのもの。なのにドレスの胸元を押さえてみると、小さいが確かに硬い感触がある。
これは俺が目覚めた時点であったから、七歳になるちょっと前の本物ベラドンナのときにつけられたものだ。
それ以上の、具体的にいつ誰にやられたのかまではわからない。俺は本物の記憶をまったく引き継いでいないから。
今までそれで困らなかったんだけどな。なにせライアや母の物言いから推測したことだが、実に都合のいいことに、俺になる前日、わがまま放題で弟のソレルを抓ったり叩いたり言うことを聞かない子供だった本物が、父にきつく説教されたらしく、状況が把握できるまで大人しくしてたのを今までの行いを恥じて心を入れ替えたと解釈されて疑われなかったのだ。
しかし一体誰が何のためにベラドンナに。認識できるようになったのは噂の転生チートか何かか。
悶々としながら書き取りをしたり楽器をいじってみたりするうちに晩餐の時間になっていた。
そうだ、ここで一人で悩んでないで両親に相談すればいいんだ。家族に興味関心なさげな父の反応が不安だが、さすがに子供が呪われてるのを無視しないだろう。
ころっと気持ちが軽くなった。着替えのときにライアにご機嫌になりましたねと言われたくらいだ。
そして晩餐が始まると、いつも通り母が今日の出来事について聞いてくる。さっそく呪いについて話そうとしたら、またもや声が出てこない。
予想はしていたことだ。用意していた言い回しを使う。
「今日は先生にヘリアンサス四世の時代に起きたあの有名な恐ろしい事件について教わりました。とっても怖くて、私も知らないうちに巻き込まれているのではないかと不安になりました。それで、あの」
「ベラドンナ」
父が本当に珍しく口を開いた。なんだやっぱり内心では娘のこと気にかけてるんじゃん。公爵ともなると呪い呪われには敏感になりそうだしな。
そう思って期待したのに。
「それは忌み事だ。食事の席で話すことではない。前にも命じただろう。呪いの話をするなと。関わることも禁ずる。私からあの教師にも言っておく」
「はい。申し訳ありません」
胸の一点から全身に痺れが広がったかと思ったら、口が勝手に返事をしていた。
えっ、と思った。
えっ、こいつじゃん。犯人父親じゃん。
くらくらする。それ以降、どんな受け答えしたのか覚えていない。ただ機械的に手を動かし、食べ物を口の中に押し込んで食事を終えた。
寝る前にベッドで丸まってひたすら考えた。犯人は父で確定として、なぜ娘のベラドンナを傀儡にしたのか。
最初に思いついたのはハニートラップだ。でも十二はどう考えてもガキすぎる。待て、いや大丈夫。そういう趣味の大きい友達もいない。
次は子供だと油断させて暗殺に使う説。俺の知らない間にこの手は血に塗れていたのかと震えたけど、いくらでも人材がいそうな公爵様は素人の子供をそんな大事に使わないだろう。しかも自分に繋がりやすい娘を。
考えて考えて、全然わからないことがわかった。だって貴族のことも父親のこともよく知らないから、父ならこう考えるだろう貴族ならこうするだろうって推理できないんだよ。常識がないってのは痛い。授業を真面目に受けてなかった罰があたった。反省しました。次から真面目に取り組みます。