1幕_第3話.話してみなきゃわからない
ジェラルドは瞼に差し込む光に気付きゆっくりと目を開けた。天井は暖かい色をした優し木の色をしている。周囲は本能的に気の休まる木の暖かな香りがほのかに鼻を掠める。もう少し、寝ていようか。そう脳裏に過ったところでジェラルドふと記憶が浮かび上がってくる。
自分は土と岩と埃の臭いで満たされた坑道内で、珍しい鉱石を探していた。ふと足元を見れば、黒緑色をした艶やかな鉱石が転がっていて…。あれはただの夢だったのだろうか。と寝起きの頭で思考する。
ーーいやしかし、壁の板材がむき出しになって素材そのままになっているし、こんなに静かだった……?朝日の光こんなに眩しかったでしょうか……。カーテンを閉め忘れてしまったとしても、ここまで光が入ることはないと思うのですが……。
まとまらない思考をそのままに、ゆっくりと上体を起こし周りを見渡せば、事実の広さには敵わない狭い室内が目に入った。ただ、窮屈とは感じさせない暖色のぬくもりを感じる部屋と、自信のなさそうな表情をしたリザードマンがいた。
「あ、あの…からだ、は、大丈夫で、すか…」
ジェラルドは心ここに在らずと言った状態である。リザードマンの上ずった声を聞いているのか、いないのかわからない。ただ、彼の意識に碌に入っていないことだけは分かった。ジェラルドの目はこの温かみがある、レプリカのような可愛らしさすら感じる部屋に対して、似つかわしくない者たちを捉えていた。
壁に掛けられた大剣、戦斧、長剣に短剣、どれもこれもすべて飾りではなく、今すぐにでも使えるほど美しく研がれている。また、その武器の耐久力を著しく損なうほど研いでいるわけではない。最も適切な鋭さに調整されていることが、家の中に入る光の反射で読みとれた。
きらりと輝く切先を眺めていると少しずつ頭が冴えてくる。未だ重く感じる瞼を擦りながら目の前にいるリザードマンに話しかけた。
「あの、なぜ私はここにいるのでしょうか?坑道にいたはずでは……?」
その金属たちの輝きを追うように視界を走らせると、ちょうど通過点にふわりと広がった小さい羽毛の線を発見する。羽毛の持ち主はたどたどしく言葉を紡ぎながら答えを教えてくれた。
「こ、ここは俺の家です。あなたが魔力欠乏症で坑道内で倒れていたところを発見しました。起き上がった後にまた倒れてしまったので、俺の家で介抱していたところです。」
体の大きな苔色のリザードマンはつま先でカリカリと首の裏を搔き、忙しく視線を泳がせながら喋った。
「……あ!」
そう聞かされたジェラルドはさらに坑道内での出来事を思い出す。
自身が坑道内で急な眩暈を感じて意識を失った。その後に見回りの方と思われるリザードマンがが助けてくれて、その際にもらったお酒を飲む。 その後はとにかく頭からいろんな言葉がすり抜けて、ぐわんぐわんと反響する音を聴いていた。そして気が付いた今、この家にいるのだ。
「そうでしたか。」
ジェラルドはひとしきり一連の起こったことを整理するとふう、と安心したように口から息を吐く。ここが彼の自宅ということは、彼は自分の仕事としての救助だけにとどまらず、ジェラルド個人の介抱をしてくれたことになる。重篤でないただの魔力欠乏症なら、最悪そこらの休憩所に置いておけば自然に回復するだろう。
それをここまで手厚く介抱してくれるのはかなり特別な扱いである、とジェラルドは理解できた。
「助けていただきありがとうございます。」
ジェラルドはベットのシーツに額が付きそうなほど深々と頭を下げた。今まで外で倒れて救助された経験はないが、ここまで良くしてくれた存在に感謝をしない人などいるわけがない。
「ああいや!良いんです良いんです!俺の仕事みたいなものなんで!ほんと!気にしないでください!」
ジェラルドの前でリザードマンは、慌てた様子で首を左右に振った。自分の自宅で介抱までしているのに、それを『仕事』と言い張るなんて、随分謙虚な人物だとジェラルドは感心した。
そんな会話の中でジェラルドは自身が未だに名乗ってないこと、素敵な恩人の名前を知らないことを思い出す。ハッとして顔を上げると、焦ったように自己紹介をした。
「お、お名前を聞いていませんでした。私はジェラルドと申します。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
目の前にいたリザードマンは一瞬目を見開いてジェラルドを見つめていた。そんな真摯な視線を見てジェラルドは”やはり、害はない”と判断をした。目の前の人物はもごもごと話しにくそうにしていえ、ようやく聞き取りにくくはあるが言葉をつなげた。
「あ…えと、じゃ、ジャヒールです。」
ジェラルドは小声でジャヒール、と彼の名前を繰り返す。それは忘れてはならない名前だと記憶に刻み込むためだった。ジェラルドは後日必ずお礼をしなくてはと決意をする。
ーー何か彼が好むものはないでしょうか。
ジェラルドはそう思いもう一度部屋の中を見渡す。とはいえ、特に目に入るのはずらりと立てかけられたジャヒールの武器たちである。改めて全ての武器を見れば、種類の多さもさることながらその全てが今か今かと使用されることを望んでいる。彼は収集が趣味なのだろうか?
「随分とたくさんの武器をお持ちなのですね。手入れもよく行き届いている。武器がお好きなんですか?」
試しにそう聞いてみると、先ほどまで頼りなく動いていた瞳がカッと止まり、ジェラルドを見据える。彼の切れ長な瞳孔が丸く大きく広がり口がクワッと開いた。
「あ、そう、そうなんですよ!わかりますか?!」
ズイッと顔を近づけ興奮気味に太い尻尾を揺らす彼に瞠目する。先ほどと打って変わって胸を張って話す様子を見るに、彼は相当武器が好きな人物のようだった。相変わらずねっとりとした泥のような話し方であるのは変わらない。
「この部屋に飾ってる武器は特に気に入ってる子達なんですけど、みんな掘り出し物なんですよ!そうそう、これなんか武器屋でジャンク扱いで、纏めて箱の中に押し込まれていたところを見つけたんですよ。鉄屑同然だったのを買い取って研いでみたら、信じられないくらい綺麗に輝き出して!」
そう言ったジャヒールは自慢の武器コレクションの説明を始める。最初に見せてくれたのは一般的な長剣だった。特殊なものではないが、元々の金属が良かったのだろう。鏡のような銀色で刃は力を入れずとも刺さっていきそうな仕上がりだ。
「あの短剣なんて友人に見てもらったら隕鉄から作られてることがわかったんですよ!」
指さす先には鈍色の刀身だ。渋い色で長い間宇宙を見たような貫禄を感じさせる雰囲気にジェラルドは感心をせざるを得ない。ジャヒールが言うように本当に隕鉄でできていることが見てわかった。
「これは街に来た商人ギルドから買ったものなんですけど、ここ、わかります?何かの合金みたいでこんなふうに模様が入っているんです。ハモンって呼んでました。小さいものだったんですがかなり値が張りましたよ!」
変わった形の短剣だ。反るように湾曲した刃は主に鉄製であることは判断できる。見た目はさらりとした質感を持っていて、持ち手は変わった組み紐で彩られている。ジェラルドはコレクションを出しては嬉々として語る様をはじめはきょとんとして聞いていた。しかし、その熱心な語り口と、自身も覚えがある鉱石の名前を聞いていると、彼の話にさらに興味が湧いてくる。
「あ、あの、それ、玉鋼っていう合金だと思います。」
熱心に話すジャヒールを目の前にして、口をついてその刀身に使用されている鉱石の話をした。この大陸ではほとんど使用されていない金属は、ジェラルドの記憶を片っ端から引っ掻き回し、随分前に読んだ本の記録を思い出させた。
ジェラルドの目の前でジャヒールは絶句している。ジャヒールの言葉を待っていると、目の前で羽毛がさらに膨れ、立ち上がるのが確認できた。
「じゃ、じゃあどこから来たのかわかったりしませんか?!俺、この長剣が見てみたいんです!!」
彼はこれ以上ないほどに瞳を輝かせ鼻がつきそうなほど顔を近づけて来た。ジェラルドは胸の高鳴りを感じていた。自分の話に興味を持ってもらえたのはいつぶりだろう。自分の体がかゆいほどに、駆け出したい衝動に似た感覚を覚える。
「た、確か玉鋼は東方でよく使われる合金だったはずですよ。粘り強く折れにくい素材と本に書いてありました。いくつか等級があるらしいですが、こちらはどれほどのものなのでしょうか。」
玉鋼で作られたものの実物を見たのはこれが初めてだった。
ーー何を基準として良し悪しを決めているのでしょうか。本には、玉鋼は貴重なものだと……。ジャヒールさんは”ハモン”と読んでいましたが、波紋?でしょうか?波のような刃の流れとっても美しい。
様々な角度から見ても美しく輝いている事と、よく研がれている事以外さっぱりわからず自分の未熟さを痛感するとともに自身の経験を振り返った。
500年以上自宅に引きこもって鉱石を中心に錬金術の研究をしていた。しかし、無いものは研究もできないもので、実際に手に取ってみなければ分からないことが多い。
毎回新しい坑道のニュースを聞くたびに”鉱山に行きたい”と交渉していたが、使用人は許してくれなかった。日に日に自分で採掘をしてみたいと言う感情が膨れ上がってきて、そして今回ついに使用人を説き伏せてここまで来た。灰色の石の中にきらりと光る鉱石や宝石の塊、初めて見て、初めて触れた感想は”これだけでは足りない”。
自力でもっとたくさんの場所や鉱石を見て回りたい。あの灰色の岩の中というヴェールに包まれた宝石を解き明かしたい。
ジェラルドは興奮しつつもそっとジャヒールの持つナイフへ手を伸ばした。
ーーでも……きっと使用人達が止めるんだろうなぁ。鉱山に行くのもすごく反対されたし…でも旅はしたい。この場所以外にも鉱石の産地はある。それに……魔法だって研究したい。
「あわわ!危険ですよ!」
ジェラルドの手からナイフを離したジャヒールは元あった場所にナイフを戻した後、ジェラルドの前で物思いに耽りながら言葉を漏らす。
「それにしても、東方……。東方かぁ!いいなぁ、すごいなぁ。行ってみたいなぁ、東方!」
ジャヒールの純粋な言葉が耳にするりと滑り込む。顔をあげて恩人の顔を見れば、目の前のトカゲが小さな子供のように目をきらめかせていた。
その顔は、声は、胸の奥底に眠っていた幼いジェラルドが『世界を見て回りたい』と目を覚まして声を上げるには十分すぎるものだった。
本の中の知識では無い、エルフの物語では無い外の世界を。
ーー自分の足で見知らぬ世界を切り拓きたい。
仕舞われていた小さな火花は薪を見つけて燃え上がり、熱く、大きな業火へと一瞬で成長する。
大地を、海を、空を。ドリゲイアの隅から隅までをこの足で。
今なら夢は夢では終わらせず、旅をすることが可能なのでは無いか。ジェラルドの頭はある可能性を導き出していた。
『あなただけでの旅は死にに行くようなものですよ。ジェラルド様。』
『とてもではありませんが無謀ですよ。外に慣れていないあなたでは、ゴブリンに襲われてしまいますよ。』
ジェラルドの脳裏に使用人たちの言葉が流れた。無意識に布団をぎゅっと握りしめる。
ーーもし、もし目の前の彼が私の旅に同行してくれれば… …。
そう思った時にはすでに言葉が口から溢れ出す。
「ジャヒールさん、私と一緒に旅に出ませんか?」
****
真昼間の華街には人もまばらでほとんど人通りがない。この場所の本番は夜なのだ。それでも光っていないネオン、派手な色の看板を見ていれば、ここが愛と欲望を満たすための煌びやかな沼であることが理解できるだろう。
「いやぁ、久しぶりの◯ックスは最ッ高だぜ!!リリスちゃん、あんがとな!」
「やだもう、エッチ♡またきてね、ジャック。」
そんな昼の閑散とした道に下品な笑い声と甘い響きの猫撫で声が響く。その声の主は褐色肌に長い耳を持った「リリスちゃん」である。ジャックはリリスちゃんから、頬にキスを貰い意気揚々と店を出た。昼間の方が接客に余裕があってたっぷり楽しめるし、可愛いお姉さんがいる確率高いし、安いしでいいこと尽くめだと上機嫌に鼻の下を伸ばして歩いている。
ーーやっぱりナイトエルフは最高だぜ。綺麗な見目に出るとこ出たスタイル、しかもエルフどもと違って高飛車なことも無い。いい女だぜ。もし結婚するならナイトエルフも悪くないかもしれねぇな。ま、結婚なんてカケラもする気はねーんだけどな!
顎に手を当てながら、下品な笑顔を顔面に引っ提げてジャックは街を歩く。なんともだらしない顔をしているが、5年も街にいれば知り合いも慣れるらしく見かけたとしても大半の人物が「ああ、またか… …。」と気に留めることはなかった。
先ほどの店の個室での快感を思い浮かべていると、大通りでたむろしているリザードマンを見かける。
ーーそういえば、アイツの様子はどうだろう。
ジャックはジャヒールに自分の新しい武器を見繕って欲しいと頼んでいたことを思い出す。自分の足元から伸びる影のを見ると、解散してからそれなりの時間が経っていることがわかる。手持ち無沙汰になって行く宛なくふらついていたジャックの足取りがしっかりと目的を持つ。
アイツの見回りももそろそろ終わる頃だろうと、ジャヒールの家のある鉱山方面の森へ向かい始めた。
ーーっと、その前に。ジェイコブさんの様子でも見に行こう。
ジャックは道すがらすれ違う人をぼんやり眺めていた。この辺りでは見ない顔の人物が大半で、そういった人物たちは旅商人か冒険者かで、この場所出身の人物ではない。遊び歩いているようでいて皆ある程度旅をするための熟練度をがあることをジャックは知っている。
冒険者のライセンスは取っているだけでも恩恵がある。そのため旅をする研究者や冒険家など、魔獣の討伐に関係ない人物も所持している。といっても、冒険者登録をしたところですぐには冒険に行けない。
ランクは1〜100まで用意されている。
1〜10は研修中だ。このランクの間では登録した街の外に冒険者として出ることはできない。
10〜30はビギナーで、ここまできたら地域によってまちまちだが、冒険者として街の外で自由に依頼を受けることができる。
31〜50は半人前。本格的に魔物やモンスターと戦うことが多くなったり調査の依頼が多くなる。
51以上で一人前。極秘依頼など一部例外のある特殊な任務を請け負うことができる。
65〜80あたりは弟子を取ることができ、特例としてランクの低い冒険者を連れていくことができる。
100は全体のほんの一掴みくらいしかいないプロ中のプロである。
しかし、どれほど堅実に努力を積み重ねどんなクエストもこなせるようになっても、努力する天才は彼らを一息で吹き飛ばせてしまう。
稀にそんな才能ある努力家たちの中でもランク100までの枠に収まりきらない連中がおり、そんな連中のために特別枠として101〜120のランクが存在する。101に届いただけでもとてつもない偉業であり、その名はありとあらゆる国や種族に轟くだろう。
ーーここらのランクなんてメじゃねえだろ。ジェイコブさんはさ。
ジェイコブの利用しているジムを前にして、そんなことを考えている。中の様子を確認すれば、彼はいくつもの重りがついたダンベルを軽々と持ち上げウェイトトレーニングの真っ最中だった。すでにダンベルには、かなりの重量がついているが、いつものトレーニングのことを考えると、おそらくさらに重りを追加するだろう。
ジャックはあのバカみたいな量の重りを追加しているジェイコブを尊敬している。ジェイコブはあの重量を持ち上げる姿に相応しい化け物級の強さであり、その強さは他の冒険者達とは比べ物にならない。
彼はランク97の時にとてつもない偉業を達成し、ノームの頭上を通るかのように一気にランク120の冒険者となり、名実ともに最強の冒険者になった。
達成した偉業というのは『四季の魔物の単独討伐』である。
"四季の魔物"とは季節の変わり目に現れる巨大な魔物であり、様々なランクの冒険者が数百人規模で力を合わせて討伐する存在であり、本来は決して単独で討伐できない。いや、出来てはいけないものだ。そんな魔物を単独で討伐したところをジャックはその目で確かに見たのだ。
しかし、たとえ一人で討伐できたとしても通常は最高でもランク110くらいが関の山だろう。
それがなぜこんな飛び級をしたのか。
ーーあん時出会った四季の魔物は、見た目も様子もおかしかった。
本来の魔物には見られない行動がいくつも確認されていた。普段と同じ対処だけでは被害を抑えることはできず、大きな被害が出ていた可能性が高かったのだ。それを単独討伐したのだからランクが120まで上げられたのも当然の結果だろう。今ではあの魔物と戦っていた時の様子から『暴虐』なんて二つ名で呼ばれている。
ジャックは自分の尊敬する男の偉大さを改めて確認し噛みしめていたが、そろそろ離れたいと強く思っていた。いかんせんこのジムは男性専用ジムである。
ジャックはジェイコブのことは好きだが、男まみれで汗と筋肉溢れるむさくるしい雰囲気が好きなわけではない。ジャック自体は男が受け入れられない、というわけではないがどうせ愛でるなら可愛いくていじらしい方が好みだ。決してリザードマンの女のような体が大きくムッキムキでむさくるしい肉食系ではない。
ジャックがこの筋肉の楽園を見て顔をしわくちゃにして耐えていると、阿保面に気付いたジェイコブが笑いながら声をかけてきた。
「ジャック……ブフッ……もう店はいいのか?」
「ジェイコブさ~ん?風俗は普通長くても2~3時間くらいっすよぉ。」
自分がこの胸焼けを起こしそうな光景に耐えているところを笑われて少し腹を立てる。余計なお世話だ、実際見ていても楽しいものではないのだから。と少しジャックは拗ねた。
ーーそれに、少なくとも俺にとっては見たくもねえものだし。
ジャックの前で汗を拭きながら、何気なく外の景色を見たジェイコブは見た目に合わずおっとりとした雰囲気で声を漏らした。
「ああ、もうそんなに時間がたっていたのか。」
「そ、だからちょっと様子見に来たんですよ。俺今からジャヒールん家言って頼んでた武器確認しに行こうかなって。ジェイコブさんはどうします?」
ジェイコブの顔を見れば、顎に手を当てて首を捻る。その後、ハッと何かを思い出し口を開いた。
「そういえば、今日の依頼で借り物の武器の刃を少し潰してしまったんだった。ジャヒールに研ぎ直しを頼もうと思って忘れていた。俺も行くからちょっと待っててくれ。」
彼はそう言うと先程まで使っていた重りや自分の周囲の汗などを片付け始めた。サクサクと片付けるジェイコブを確認すれば、これなら外で待ってても良さそうだ、とジャックは判断する。そうとわかればこの場所にいる必要はない。ジャックはこのむさくるしい建物からさっさと出て行った。
しばらく外でぼーっと空を眺めていれば、水浴びをしたのか少し髪を濡らしたジェイコブが待たせたことへの謝罪を口にしながら出てくる。さっきまで自分の筋肉をイジメ倒してていたのに、普段と変わらない表情である。やはり尊敬に値するとジャックは言葉なく頷いていた。
「何無言で頷いてるんだ?ほら、早くいくぞ。」
「いやあ、ジェイコブさんってやっぱかっけえなあ、て考えてました!」
友人の家に向かいながらジャックはひたすらジェイコブを煽てる。彼の武勇伝のお気に入りポイントを語り続け、自分の見たところや知っているあらん限りの功績を並べ立てた。普通の人であれば小っ恥ずかしくなるような内容だ。しかし、ジェイコブはもはや聞きなれているようで、呆れながらも自分のやってきたことに聞きながら適当に相槌を打っていた。
気が付けば街のはずれまで歩いていた。そこそこ距離はあるはずなのだが、それを苦に感じない。
だからジェイコブは彼のことが嫌いになれないのだ。
「時間的にたぶんジャヒールは家にいてもおかしくないですね。いったん家行っていなかったら鉱山行きましょうか。」
「ああ。」
名称のわからない木の実を踏みつぶし木の葉を軽く蹴り上げながら、小石が所々落ちた道を二人は進む。
彼らの友人は物のセンスがいい。家のデザインも、その家が建つ場所も、家具のデザインや配置も本当にセンスがいい。温かみがあり心地よく昼寝がしたくなるような空間を作り上げている。こんな場所にあんなオタク気質で自信がないやつが住んでるなんて初めて知った時は本当に驚いたが、今やこれも当たり前なった。センスのいい武器オタクが選んでくれた、自分用の武器を想像すると羽が広がるような気持ちだ。
慣れ親しんだ可愛らしいログハウスが視界に入ってくるとその気持ちはより大きくなっていく。ドアの前に立ちドアベルを鳴らそうと手を伸ばしたその時だった。
「……誰かいるぞ。」
ジェイコブが異変を察知したのだろう。ジャックもすぐに警戒する。どうやらこの家にはジャヒール以外に誰かいるようだった。いつもだったらクルトあたりがいるようだが、そうではない別の人物だと察知した。
「でも争っている感じじゃないっすね。」
争っているような大きな音をしていないことがわかれば、邪魔をしなでおくべきかと良心が顔をのぞかせる。しかしすぐにジャックの悪い癖が出てしまった。ジャックはいたずらっ子の顔を抑えながらコソコソとジェイコブに伝える。
「念のために、そっと入りましょ。」
シリアスを装って本心は盗み聞きする気満々であった。ジェイコブは至って真剣にことに望んでいる。
かくして二人は優しくドアを開けそっと中へと入っていった。
「……あの……お気持ちは嬉しいのですが……。」
中では案の定誰かと話しているようだが、ジャヒールの巨躯に隠れて見えない。
「少々……いや結構大きな問題がありまして……。それを解決しないといけないんですよ。」
「問題、ですか……。」
ジャヒールはベッドサイドに立っており、話し相手はベッドに寝かされている。部屋の奥、ジャヒールの先にあるベッドから低い澄んだ声が響いた。
「はい、その、旅に行きたいって言うのはずっと考えているんですが、それがどうにかならないと行けないし、ジャ……友人たちにも悪いし……。」
「その、問題っていうのはどのような問題なのでしょうか。」
「大きく分けて三つくらい……一つは友人の武器です。友人は特殊な武器を持っていて、直すのには魔石が必要なんです。それも特大の、純度がものすごく高いものですね。もう一つは俺のコレクションです。ここにある武器を置いていくことになるので、盗難とか、手入れとか……。あとは……俺自身は冒険者になりたいとは思うけど、友人たちと違って旅に関しては全くの素人なんで……そのだから、ごめんなさい。」
自分に言い聞かせるように目の前の人物の勧誘を断るジャヒールを見たジャックは自分の顔が複雑な表情になっていることに気がつけなかった。
ーーなんだよ……それ。
自分たちを他人に友人として紹介してくれていることを初めて知った。それでいて実は旅がしたいことや、ジェイコブの槍のことをかなり本気で考えていることも素直に言葉で知れたのは今回は初めてだった。だからこそ、見ず知らずの他人には話しているのが気に食わない。「信用してくれているならもっと早く言ってくれればよかったのに。」と下唇を噛んで言葉が漏れてしまうのを耐えていたのだ。
「もしかしたら、解決できるかもしれません。」
「ええ!?」
「ただ、確実に”できる”とはいえません。」
その会話を聞いたあと何を感じたのかジャックは覚えていない。
ただ何も感じなかったのかもしれないし、頭の中が真っ白になってしまったのかもしれない。
「ジャヒール、取り込み中か?」
ただジェイコブのそのセリフを聞いたところで、ハッと我に返った。慌ててジェイコブの元に駆け寄ろうとすれば、ジェイコブがアイコンタクトで伝えてくる。おそらく、”聞かなかったことにしろ”だろうとジャックは受け取った。
ジェイコブが室内に入ったのに気づいたジャヒールが振り返って少し驚いたような顔をしている。
「よ、よお!ジャヒール。俺の新しい武器、見繕ってくれたか?」
「う、うん!ちょっと待ってね!……あ!ジェラルドさんは後で安全なところまで送りますね。」
ジャヒールは早口で告げると、ドタドタと別の部屋へと向かっていった。ジャヒールが去った後、残されたのは紅葉を思わせる赤毛の……。
ーーえ、えるふ……?
ジャックが言葉を告げる前に口を開いたのはジェラルドと呼ばれたエルフだった。
「お邪魔しております。ジェラルドと申します。お二人は?」
ぺこりと頭を下げる姿を見て先ほどの会話を思い出し少し腹が立った。文句の一つも言ってやりたい気持ちをグッと堪えていると次に口を開くのはジェイコブだった。
「俺はジェイコブと言う。ジャヒールの友人時で普段は冒険者をしている。こっちはジャック。ドラゴニュートだ。」
「うっす。」
ジェイコブに促されて軽く挨拶をする。なんと声をかけるべきか悩んでいると、またしてもジェイコブが口を開く。
「また、なんでこんなところにいるんだ?」
ちょうどジャックも気にしていたことだった。
「ああ、ジャヒールさんに助けていただいたんです。周りから聞かされていたリザードマンの印象とは全く違いました。素敵な方ですね。」
ジェラルドは穏やかに笑いながら、ジャヒールの進んだ方向を見つめていた。やはりジャヒールを狙っているのだろうか。
「ジャヒールは口下手だが、面白い知識を持っている。刃物の手入れもかなり信用ができる。今もジャックの武器を選んでくれているらしくてな。」
そんな話をしていると、大事そうに二つの剣を抱えて、ジャヒールが戻ってきた。
「旅商人から買い取ったものなんだ。かなり使い心地はいいと思うんだけど、結構重くて人間には使えないって。しかもなんか暴れん坊って言ってたんだよね。でもジャックの魔力とパワーなら問題なく使えると思うんだ。ちょっと持ってみてよ。」
ジャヒールはテーブルの上に二つの異なる形質の剣をおいてつらつらと波のように話し始める。
「ああ……でもお客さんはいいのか?」
親指でエルフを指し示しながら問いかけた。ジャックとしてはこのエルフはさっさと退陣願いたい。
「あ、えっと、私はギルドまで送っていただければ問題ございません。」
「そうか、じゃあちょうどいいじゃないか。ギルドまで行って肩慣らしくらいでいいから、依頼を確認してみるか。」
「俺も説明の責任があるから、一応……。」
この際腹を割って話すならこのエルフがいない方がいい。もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせながら、ジャヒールが用意してくれた双剣を手にして、この場所を後にする準備を始めた。ジャックが動いたのを見て、ジェイコブは納得と受け取ったようだ。
「それじゃあ、いこうか。」
ジャヒールもその声に合わせて外に出る準備を始める。そんな中1人ベッドに座っていたジェラルドが意を決したように声をあげる。
「あ、あの!」
一同がジェラルドの方を振り向いた。
「必ずお礼をさせてください!ギルド経由で連絡をいたします!」
そうして少しだけ気まずい雰囲気の中、街のギルドまでジェラルドを送り届けたのだった。
ーーー
とある昼下がり。ギルドはとても平和な日だった。1人のマギアが温かいお茶を啜りながら、本日依頼進行中の冒険者の一覧を眺めていた。
聖職者、とりわけ蘇生師の仕事というのは平和であれば平和であるほど何もすることがないのである。
「今日も平和だなぁ〜。」
そんな時だった。目の前に慌ただしく入ってきた一団を目にする。
「あの!!蘇生して欲しい人がいるんですが!!!」
かけだしの雰囲気を感じる若々しい冒険者たちだった。
「ほいほいほい、落ち着いてねぇ〜。蘇生したいコはどのコかね?」
「あの、坑道で倒れてしまって!すぐにきて欲しいんです!!!」
「ガス!ガスなのよ!私たちより長身なの!」
「そう!長身で赤毛のエルフなんだよぅ!」
色々言いたいことや聞きたいことがあるが、それより何より人命の方が大事だ。ただ、これだけは言わせて欲しいと、蘇生師のマギアは口を開いた。
「あのね、こっちに連れてくればよかったんじゃないかなぁ?」
冒険者たちはキョトンとした表情で蘇生師を見つめていた。
「……いやだからね、ここにくる時に担いででもきたらよかったんじゃないかなぁ?」
何かに気づいた瞬間、冒険者のリーダーっぽい人物は青い顔をしながら直立で後ろに倒れたのであった。その人物が倒れたことで、またこのギルド内は騒がしくなるのであった。
マギアの蘇生師ははぁ、と小さなため息をつきながらとにかく彼らを落ち着かせるために移動させた。
騒ぎからどれ位だっただろうか。しばらくして外からまた誰かが入ってくる。ちらりと横目で見れば、大きなヒューマン、ドラゴニュート、リザードマン、そして赤毛のエルフだった。
「今日も平和だなぁ……。」
蘇生師のマギアはずずっとお茶を啜って蘇生師の仕事、魂をうっかり落とした冒険者を待つ仕事へと戻るのであった。