第三話
師の神鬼曰く、ここ数ヶ月の間赤雲市を騒がせている神隠事件には程度は不明だが、怪異が関わっているのだという。
趣味の範疇と言いつつも、怪異切る事容易しと化生どもを切り捨てる我が師がなにゆえこの地に足を運んだのか。
つまるところ、そういうことらしい。
「しかしならば、俺に降魔師としての修行をつける暇などないのではないか? すでに教えを乞うて三ヶ月ほど経っているのだが」
「言ったとおり趣味の範疇での鬼狩りですから。公的……って言い方も少し違うのですが、まあ大手の降魔機構に所属する降魔師が解決するのが本来です。ですので趣味人の私がどうこうせずとも、さっさと大手が解決するもんだと思って放置しているのですが……」
「この三ヶ月の間で、もう二十人は行方不明者が出ているぞ」
「ですねえ。大手はいったい何をしているのやら。どうにもこの地の霊気は色濃いので、早々に霊異事件と気付くと思ったのですが」
「……それとも、単にヤクザやらカルト教団やら、そういう人間の起こした事件と思っている、とか?」
「だとしたら間抜けもいいところって感じなので、そうじゃないことを祈ってあげましょうねー」
雑談の外、響くのは木刀と木刀を打ち合う音。何度振っても衝撃がそのまま跳ね返っているかの如く弾かれ、動けぬまに急所を小突かれ、それ以外も肉が腫れる程度に叩かれる。
最早、肉体は軽度とは言えど痣まみれ。普通ならば骨が折れずとも心が折れそうな日々。
学校に通いながらも放課後には神鬼のもとに訪れ、霊能と実戦の修行を続ける毎日を過ごした。
幸いは、この非日常に俺が楽しみを見出したこと。
不幸は、いかんせん痣まみれであることを実家にも学校にも気付かれる訳にはいかず、まだ暑さの残るこの朱夏の季節に、長袖の服しか身にまとえないということだろうか。
そんな風に思い、そしてすぐに正気に戻っては神鬼に打ちかかる。
集中したほうがいいんじゃあないか、そう尋ねたこともあったこの雑談を交わしながらの木刀の打ち合いは、"この程度が両立できないならさっさと死ぬだけなので、死ぬ気で打ち合ってくださいねー"という神鬼の言葉のもと無慈悲に行われている。
しかし他人事の事件なれど、近所で起きている事件ゆえ、それなりに思うところはあるのだが、だからといって降魔師ですらない俺にどうこうできる事柄でもない。
ゆえに大人しく今日も師と打ち合うだけの日々を送る、筈だったのだが。
「もういっそ、黒坂さんが解決しちゃいます?」
「……はあ。しかし俺は、まだ霊能も実戦も三ヶ月程度しか修行していない素人もいいところだが」
溜息ではなく、単に少々の驚きと返事が入り混じったがゆえ変な声が出た。しかし言った通り俺はまだ降魔師という存在を知ってからたったの三ヶ月、霊能もまだ三の等級、実戦の訓練も神鬼と木刀で殴り合う程度……それも散々手を抜かれ、加減に加減を重ねた状態の師に、掠り傷の一つも負わせることができない程度だ。
そんな俺にできるだろうか?
「前にも言いましたが、霊能の等級は三になった時点で見習い卒業の実戦レッツゴーの段階です」
「ううむ、そうか」
「それに木刀での殴り合いも、それなりに最初の頃と比べて成長してますしね。貴方の剣は、すでにスポーツ剣道ではなく殺しの技になりました」
「そうか……」
「剣道続けたいなら止めませんけどね。非殺の技も時には必要ですし」
「それはおいおい考えるとしよう」
「あと私に傷一つ付けられなかったことも気にしなくていいです。私を傷付けることができる存在なんて、人類の中でも片手の指の数以下ですから」
「そこまでか。……いやしかし、あいわかった」
もとより、かつて見た土蜘蛛──あの日の褐色の男との剣戟で、俺程度では歯が立たないということはわかっていたが、指の数以下か。
「では、楽しい楽しい修行の時間も今日でおしまい。何ということでしょう、偶然も明日から黒坂さんは夏休み。めいいっぱい、怪事件に関わる時間を持てますね」
「……狙っていたかのような偶然だな」
「本当ならとっくに大手が解決してる筈ですから、本当に偶然にもって感じが実によいです。しかしまあ、大手が放置している理由がいまいちわかりませんけどねー」
「それだけ強力な怪異が関わっているのか?」
「さあ、そこまでは何とも。調べた感じでは、そこまで強力な怪異ではないと思いますよ。異界等級自体は三か四あたりと踏んでいるので、死線を潜ることにはなりますが、今の黒坂さんでもそれなりに生き残る可能性はありますよ」
「死ぬ可能性もそれなりか」
「それなりですねー、どします?」
「行く」
この短期間で培った霊能を試したい。
思い入れこそ薄いが、故郷を荒す者を倒したい。
そも常人には対応できない者ならば。
できる者がそれをなすのが道理である。
……ああ。
そう言えたならどれだけよかったか。
そう思えたならどれだけよかったか。
うまく言葉にはできないが、それでも言葉にするのならこの衝動は、きっと──
「はい、そうです。ぶっ殺してきてください」
「──あい、わかった」
彩る赤。踊る刃。あの日見た剣戟を忘れることができないのはきっと、あの時に見た殺し合いが何よりも素晴らしいと感じたからだ。
変態的な言い方になるが、命のやりとりこそが俺の興奮を煽る唯一の事交渉。
ゆえに……殺したい。
「あはは、まあ黒坂さんは黒坂さん自身が思っているよりも普通の人間ですので、それをこの霊異事件……いえそうですね、この怪事件で知ってきてください」
「……そうか、わかった」
普通の人間か。
「はい、まあそれくらいなら……って感じの普通の人間です。どんな人間にだって欲求の一つ二つはありますから。それが拗れて壊れ切ったところが、モノホンの変態スタートです」
「変態とは言われたくないし、そう成りたいとも思わんがな」
「まあまあ。とりあえず明日の早朝にこの神社で。準備する物は、その体一つで大丈夫です」
「そうか? この木刀はどうすればいい?」
「持ってこなくていいです。技術提供以上を求めるなとは言いましたが、ひのきの棒切れと五百円ぐらいは用意してあげましょう」
「……そうか、わかった。感謝する」
「ではまた明日」
「ああ、また明日」
そう言って、俺たちは修行を解散した。
……。
「そういえば、そういうものだろうと思って気にしていなかったのだが」
「なんです?」
「いや、いつからか、俺が何も言わなくても心を読むかの如く、師が返事を返すようになったと思ってな」
「ポーカーフェイス……もとい無表情か不機嫌そうな顔してますけど、結構目が口みたくものを語ってますから、黒坂さん」
「……。そうか……」