マキャベリズムから見た、とある国の末路。
その国は過去に戦争をした。
世界の大部分を敵に回して各地に侵攻し、そして敗北した。
廃墟となったその国は、軍備を放棄して平和国家と名乗るようになった。
軍備は他国に任せて経済を重視し、それは成功した。
世界でも屈指の経済大国となり、かつての戦勝国よりも豊かになった。
それ故に他国への援助も惜しまなくなった。
償いの意味もあった。「かつて、侵略してあなたの国土を荒らしてしまった。申し訳ない。」
それが平和と友好になると信じていた。
「次の二つは絶対に軽視してはならない。第一は、寛容と忍耐をもってしては、人間の敵意は決して溶解しない。第二は、報酬と経済援助などの援助を与えても敵対関係は好転しない。」
しかし、いつの頃からか様子がおかしくなってきた。
援助をもらい発展を続けた国は、援助をしてくれた国にたいして恩義を感じるどころか居直るようになり、ついには領土まで要求するようになってきた。
それでもその国は援助をやめなかった。いつかは分かり合える、相手も友好的であるほうが利益がある事をわかっているはずだ。彼らの態度は国内向けのパフォーマンスだ。
そう信じて疑わなかった。
「そこは我ら固有の領土であり、核心的利益である。そちらが引かないなら戦争も辞さない。」
そう面と向かって言われるまでは。
国内は大騒ぎになり、政治家や専門家、評論家が意見をTVで言い合った。国民もお互いが議論した。
そして、結論を出した。
「領土を割譲して友好を維持する。」
これ以上の要求はないと言う相手の言葉を信じ、僅かな土地のために戦争して金と人命を失うくらいなら、これが最善であると信じた。
これで対立は解消され、恒久的な友好関係が築かれると誰もが信じた。
しかし、終わらなかった。
「戦いを避けるために譲歩しても、結局は戦いを避けることは出来ない。なぜなら譲歩しても相手は満足せず、譲歩するあなたに敬意を感じなくなり、より多くを奪おうと考えるからである。」
翌年、舌の根も乾かぬうちに再度の領土要求があった。
「かつて、そこは我が国への朝貢国であった。そちらが有していることは認められない。その土地もまた、我らの核心的利益である。」
事ここに至り、ようやく相手の目論見を理解した国と国民は慌てて国家防衛について考え始めた。しかし、自前の軍備を持っていなかったその国は、現実の武力攻撃の脅威に右往左往するしかなかった。
戦後、ひたすら戦争はいけない、戦争は駄目だ、戦争は悲惨だ。これしか教えてこなかった人々と、それを学んできた人々は思考停止に陥るしかなかった。実際の武力攻撃を想定せず、戦争にならないように外交努力を続ける。それ以外の言論を許さなかったためである。
それでも楽観論はあった。なぜならば、世界最強の国家との防衛条約があったからである。戦後、経済発展に注力できたのは、まさに覇権国との安全保障条約があったからに他ならない。人々と政治家はそれが発動されることを信じて疑わなかった。
「人は本質的に悪なのだ。だから人はあなたとの約束を守らないし、あなたもまた、約束に縛られる必要はない。約束を不履行にするような合法的な口実は、望むままにいくらでも生み出せる。」
それゆえに、覇権国の議会が防衛条約の発動を拒否した時に、本当のパニックが襲った。
覇権国から見れば、核を持っている相手に自国を危険にさらしてまで他国を守る意思はサラサラなかった。折しも、大統領も国民も自国優先主義に傾ていたので猶更だった。
侵攻が始まると、それは一部の土地にとどまらず全国に及んだ。武力を持っていない国は抵抗も出来ずに占領され、そして降伏した。
その後の国の状況は筆舌に尽くしがたい惨状となった。言葉を奪われ、出産を制限され、少しでも逆らう者は投獄され、拷問された。
しかし、各国は非難はしても誰も行動を起こして助けようとする者はいなかった。
数十年後。その国の民族構成はすっかり入れ替わり、元居た民族は根絶され、文化も何もかも相手国の物だった事にされて消滅した。
「自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。」
※最初に申し上げますが、日本はこの国と違って自衛隊と言う最低限の備えはあるので前提条件は異なります。あくまで、作中の国は架空の国です。
「人は本質的に悪なのだ。だから人はあなたとの約束を守らないし、あなたもまた、約束に縛られる必要はない。約束を不履行にするような合法的な口実は、望むままにいくらでも生み出せる。」
個々人でこれをやった場合、最終的に周りからどう見られ、どんな結末が訪れるかは責任を持てません。大抵の人はあなたの想像通り破滅するか悲惨な最期をとげるでしょう。
ですが、国家になるとこれは別の話で自国の利益と生存のためならいかなる不義理も許されます。むしろ、信義を重んじて自国民の生命と財産を危険にさらす君主のほうが無能の烙印を押されます。
日本人は、もう少しマキャベリを知るべきだと考えます。
戦争は多くの人が反対してもずっと繰り返されてきました。自分たちに理由が無くても自国の君主に理由があれば起きますし、相手に理由があればやっぱり起こるのです。ロシアウクライナ戦争はそれを如実に示したはずです。
平和の希求など相手には何の関係もありません。
いい加減、昭和の空想的平和論は捨てるべきだと思います。