第2話
(見られてる)
真っ先に浮かんだ言葉がそれ。でもわけがわからない。目立つ格好をしてるわけじゃない。同じようなスーツ姿なら他に何人も歩いてる。何日か前に靴下の左右色違いを履いてたなんてのがあったけど今日は完璧。社会の窓も開いてない。マスクはしてなかったけど、あの頃はコロナ禍前だったから別におかしくない。他人から注目される理由なんかないはず。でもなぜか俺には確信があった。見られてる。しかもたったひとりに。なんていうか「突き刺すような視線」なんかじゃない。その反対。まるである一点に向かって俺の生気が吸い込まれてくような。
その一点へ顔を向けた。
間違いなかった。間違えようがなかった。行き交う人通りがすりガラスを通してるみたいにぼやけて見えてるのに、その一点だけがくっきりと。いや、どっちかというとコーヒードリッパーかアリジゴクの巣みたいに向こう側に向けてすぼまった先にはっきりと。ひとりの姿を浮かびあがらせてた。
それがその女性だった。
すらりとした容姿。全身黒ずくめ。でもスーツなんかじゃない。この時間帯のビジネス街には似合わない。かといってカジュアルというわけでもない。喪服とも違う。無理やり強引に例えるなら「魔法使い」か。いや、女性だから「魔女」か。でも童話に出てくるようなお婆さんじゃない。むしろ若い。魔法使いといってもローブを羽織ってたり大きな杖を持ってたりしてるわけじゃない。三角帽子どころか帽子自体被ってない。
髪は黒。前髪は眉のところでぱっつん。長い髪が目のすぐ外側から頬を隠すように垂れてるので小さな顔が余計に小さく見える。黒いマスク。覗いてるのは黒い大きな両の瞳だけ。
そう、瞳。その瞳がまっすぐ俺を見てた。黒い。どこまでも黒い。漆黒というか深淵という表現がぴったりくる。別の言い方を探すなら、あらゆる存在を飲み込むブラックホール。はたまた気象衛星ひまわりが捉えた超大型台風の目。いやあれは低気圧だから上昇気流なんで吸い込んでるわけじゃなかった。