10.4 今よりも私のことが好きじゃなくなった時
「もう。またそれ?」
ようやく顔を上げてくれた小月さんがこちらを見る。俺が真顔になっているのを見て少し驚いたあとまた下を向いてしまって、小さくありがとう、とつぶやく。
そんな小月さんに近づく。
気付いたときには柔らかく小月さんを抱きしめていた。
「こら。そ、そういうの駄目ってさっき言われてたでしょ」
「……」
「店員さん多分池辻くんのこと誤解してるから。事情知らない人にさっきの言い方はよくなかったね。私もつい浮かれてて……池辻くん?」
「……」
だって可愛いから。
もう無理。
小月さんの肩に手をのせて、少し距離をあけてかがむ。身長差があるから、はたからみたら今の俺の姿勢は猫背でかなりかっこ悪いと思う。でもそんなのどうでもいい。
「え? え?」
小月さんと顔の高さを合わせて小月さんの口に人差し指を軽くあてる。
目を見開く小月さんに構わず、顔を傾けて小月さんに寄る。
小月さんは後ろにさがりかけたが、止まって目を閉じてくれた。
ゆっくりと近づいて俺の唇が小月さんの唇に触れる。
――はずのところで小月さんが消えた。
「……」
「……」
「……池辻くん。なんなのこれ。今そういう流れじゃなかったでしょ」
小さくなった小月さんが抗議する。至極最もなご意見なので反論はない。というか俺も喪失感がはんぱない。だが『千穂ちゃん』の不始末は俺の不始末だ。
「面目ない」
「池辻くん、後でおしおき」
「何されるの」
「ひみつ」
そう言ったきり、しばらく無言の小月さん。
「……でもこれでいいのかも」
カップの中にいる小月さんの声は少し通りづらい。それでも聞き取れるのは、小月さんが意識してはっきり話してくれているせいかもしれない。
「ここ何日か、いっぺんにいろいろなことがあって、信じられないぐらいうまくいってさ。これでいいのかな、って思ってたんだ。だから池辻くんとは、もう少しゆっくり進むのもいいかなって」
「ゆっくり?」
「うん。いろいろ急に済ませてやることなくなっちゃったら嫌でしょ」
「うーん」
「ふふ、でも毎回こんなだといつまでたってもなんにもできないね」
小月さんが茶化すように言う。
あれ。
でも本当にその通りなんじゃないか。
手をつなぐくらいしかできなかったりする? いや、まだつないでないけどさ。
「あ」
小月さんが呆けたような声を出す。
「じゃあもし私たちがそういう、その、恋人らしいことが自然にできるようになる時が来るとしたら」
「うん」
「……池辻くんが私への興味を失った、ってことになるのかな」
「それは違う」
深く考えず、とっさに否定する。
「違う? ほんとに? 私にどきどきしなくなったってことにならない?」
「……」
聞き直されると苦しい。黙ってしまった。
「少なくとも、今よりも私のことが好きじゃなくなった時ってことだよね」
「……」
でまかせでも否定しないといけないが、口が半開きになったまま固まっているだけの俺。
「池辻くんごめん、なんか嫌な話した」
小月さんがそう言って、また無言になる。
何か言わなければ、と思えば思うほどなにも言葉が出てこない。




