第9話 サービスシーンになってしまうお風呂回
「ふぃ~……」
家に帰ってだらだらと過ごした後、風呂へ入る。風呂って不思議だ。なんだかすっごく疲れが襲ってくるのに気持ちがいい。ああ、極楽極楽。
「にーちゃーん」
風呂場の外から妹の呼び声が聞こえてきた。無視だ無視。お兄ちゃんは今日活動限界ですよーっと。代わりに母が答える声が聞こえてくる。
「お兄ちゃんならお風呂よ」
「マジっ!? 覗くっ!!」
「覗くなボケぇ!」
活動限界だが声は出た。火事場の馬鹿力ってやつだ。
妹、凪子は今年中学二年生になる普通の女の子だ。普通の……普通の美少女だ。見た目は。
「にーちゃん、一緒に入ろうぜー!」
「母さんっ! 凪子が脱ぎだしたっ! 止めて止めて!」
「いいじゃない。ちょっと前までは一緒に入ってたんだし」
「今は一緒に入ってないから!」
「しょうがないわねー……」
キッチンにいる母さんと風呂場に居る俺。その間に居る凪子にも当然会話は聞こえている筈なのに、曇りガラス越しに見えるシルエットは一切スピードが緩むことがなく危機感が強まる。
だが、そこは流石母さん。脱衣所に入ってくるとすぐさま凪子を叱りつけ、服を着させ、脱衣所から追い出してくれた。母って偉大。
「サンキュー、マイマザー」
「あんたねぇ、偶には一緒に入ってあげたら? 泣いてたわよ、凪子」
「嘘泣きだよ、あれ」
「知ってる」
知っとるんかい。いや、知ってるわな。母親は何でも知ってる。息子の恥ずかしい秘密も知ってる。
「でも本当に、去年くらいまでは一緒に入ってあげてたじゃない」
「……ミスコン、見たろ」
「あら、その話題、正悟が出すなんて珍しいわね。なんか心境の変化でもあった?」
「ないよ、別に……。たださ、凪子、あいつミスコンのとき、最前列で気持ち悪いくらい涎垂らしながら使い捨てカメラ何十台も持って俺のこと撮ってたんだ」
「うわ……どうりであの子」
「え、どうりで? どうりでってなに! 何かその状況の裏付けになる何か知ってんの、母さん!?」
「……これ以上はプライバシーだから」
いや、そもそも撮られてるの俺の写真っ! 俺のプライバシーがヤバいから!
「大丈夫だと思うわよ。売ったりとかはしてないと思う。ちゃんとあの子が使ってると思うから」
「使う!?」
「色々あんのよ。女の子……いえ、あの子には。きっと、多分、そう思わずにはいられない」
「母さん自身、自分を納得させようと必死じゃんか!」
「悪いのはあの子を目覚めさせちゃったあんただよ。後でアイスでも買ってやんな」
「なんでっ!?」
お鍋見なきゃーとか言いながら母さんが脱衣所から去って行く。もの凄く大きな疑問を残したまま。
凪子のやつ、さっさと兄離れすればいいのに。あいつは普通に女で、普通に美少女なのだ。俺にとってのマイナス要素があいつにとってはただのプラスだ。実際、女版俺ということでそれなりに引き合いも……って、それはそれで嫌だろうな。一々兄の名前を出されでもしたら。
「くそ、次妹に変なちょっかい出してる奴見つけたら全員キンタマかち割ってやる……」
「そんなことしたらにーちゃん捕まっちゃうよ」
「げっ、凪子! お前帰ってきたのか! かーさーんっ!」
「別にもう入ろうとなんてしないよぉー。ね、話そうよにーちゃん。今日から高校生でしょ? さみしーよ、凪子さみしーよ」
凪子は脱衣所のドアに背中を預けながら、ゆるゆると雑談ムードを作り出す。
「だから久々に風呂入るなんて言い出したのか。最近大人しかったのに」
「寂しい以外にも、にーちゃんがまた一つ大人になったと思うと嬉しくなっちゃって……思わず成長を確かめたくなっちった」
「お前は父親か?」
「え、とーちゃんそんなことしてるの!? うらやま……じゃなくて絶対下心あるよそれ!」
「してない。してないから」
こいつは家族の下から離れ、一人単身赴任しつつ養ってくれる父をもっと敬うべきだと思う。
「凪子、そういうお前はどうなんだ。中学校は楽しいか?」
「うん。未だに結構にーちゃんのこと聞かれるよ」
「にーちゃんのことは今はいいんです。知りたいのはそれじゃないから」
「凪子のお兄さん可愛かったよーとか」
「ごめん、知りたくない」
「凪子のお兄さん今も女装してるのーとか」
「したくてしたことねぇよ!」
「凪子のお兄さんお嫁さんにしたいとか」
「キモッ!? キンタマ蹴り砕いとけ!」
「それもう凪子やっといたよっ」
「やっちゃったの!?」
嘘か誠か、妹が傷害事件の犯人にされないか怖くなる。まぁ俺を嫁にしたいなんて言う変態だ。似た顔立ちの凪子にやられたのならそれはそれでご褒美とか思ってそう。変態ってのは生存能力だけは高いからな……。
「凪子は友達ちゃんといんのか」
「ふつーかな」
「その普通がにーちゃんには分からん」
「にーちゃんは友達何人居るのさ」
試すように聞いてくる凪子。ふふふ、俺をぼっちのままだと思って侮ったな?
「その質問はあまりに俺を舐めすぎだな、凪子! 俺の友達は……1人だ!」
0人だった頃の俺からすれば、2倍にしようが10倍にしようが届かなかった数だ。勿論大事なのは数じゃない。質だ。ただ質という意味でも夕霧は中々に好感の持てる奴で……。
「凪子はその100倍くらいかな」
「ひゃ……」
くぅ!? こ、こいつ、圧倒的な数字でマウント取りに来やがった!? ま、まぁ? 大事なのは数じゃなくて質だから。言い訳みたいになってごめん、夕霧。
「でも大事なのは数じゃないと凪子思うな」
こ、こいつぅ……! どこまで俺を煽れば気が済むんだ!? それは持っている人間が言っちゃいけないことなんだよ! 持っている人間は数で満足しなきゃいけないの! やりがいのために働いてますって言っていいのがブラック環境で働いている人だけみたいなもん! やりがいのために働いてるって言ってる奴が年収1000万円稼いでたらムカつくだけだろうが!
「でも最近はちょっと退屈かも。前までは学校にもにーちゃんがいたのにさ」
「凪子……」
「ねぇねぇ兄ちゃん。中学校戻ってきてよ。留年のパワーアップ版みたいな感じで、ワンランクダウン!」
「そんな制度あったら今の倍は学生がいるんだろうな……」
「それか凪子が入学するまでにーちゃんが高校1年生で粘るって手もあるよ」
「無いから。そんな形で家計に負担はかけいらんない。なんちて」
「にーちゃん、寒い。寒いから凪子もお風呂入る」
「ごめん、本当にごめん!」
風呂に入ると気が緩む。気が緩むとダジャレが出る。それが男なの!
「ていうかさ、凪子? にーちゃん、そろそろのぼせちゃいそうだから、出たいんだけど……」
「のぼせる? 本当?」
「ああ、本当だ。だから凪子」
「じゃあもう少し凪子も粘る!」
「はい?」
「にーちゃんが倒れれば介抱が必要! 介抱できるのは今一番近くにいる凪子でしょ? つまりお兄ちゃんをじっくり間近で好きなだけ眺められるチャンス!」
チャンスじゃねーよ。何介抱にかこつけて下心発揮してんだよ。好きなだけってなんだよ、迅速に助けろ。
「かーさーんっ! 凪子がまた変なこと考えてるーっ!」
「あ、ダメっ! ごめん、にーちゃん!」
凪子はまた母さんに連れて行かれた。そして風呂を出た。彼女達が脱衣所を出た瞬間にな。やれやれ、間に合ったぜ。
「うえ、鼻血……」
間に合ってなかった。