第8話 掘り起こされるトラウマと暴かれる真実と
最悪だ……そんな言葉じゃ言い表しきれないくらい最悪だ! 今すぐ家に帰って引きこもりたいっ!!
「青海……女の子だったの……!?」
突然現れた、別のクラスに行ったはずの夕霧さんがそのくりくりとした両の目をまん丸に見開き聞いてくる。
「ち、ちが、違うんだ! 俺は正真正銘男だぁっ!」
「そうよ、リトルガール。彼は男の"娘"なの」
「うわああああああああああ!!」
二度目の悲鳴、それは男の娘という現代日本で生まれた謎の造語に対する拒否感によるものだった。
変装用の伊達メガネを奪われ、中学末期からこれまた顔を少しでも隠すためにと伸ばしていた前髪はヘアピンで分けられ、白日の下にさらされた俺の顔を見て誰もが息を飲み、そして男子共が生唾を飲み込んだのを思い出す。
俺はお前らと同類だぞ。出るとこは出てない付くものは付いてる!
「反則よね。くっきりとした目に長いまつげ、すっとした鼻筋、色気を漂わせる瑞々しい唇、シャープな顎……これで化粧もケアもしていない完全天然物だもの。本当に芸術的な完成された美少女だわ」
「やめて……全然嬉しくない……」
本当に嬉しくなかった。
小学生くらいの頃は、そりゃあもうその頃から馬鹿にしてくる奴らはいたけれど、声変わりをする頃に男らしい特徴が出てくると聞いて希望がもてた。
けれど、いざ中学に上がって声変わりをし始めた時、変わったのは周囲だった。特に男子。普通に友達として接していた奴らさえよそよそしくなったのだ。
俺も声変わりはした。したが、その変化は殆どなくて、合唱コンクールでも問題なくソプラノパートを歌えてしまうレベル。喉仏も少し喉元が硬いくらいであまり出てきていない。身体も骨格が元々そうなのか男らしく筋肉が出てくるみたいなことはなくて、身長も低くて……いつからか周囲も俺を”女”として見るようになっていた。
「私、ずっと貴方のファンだったのよ。私も周りからは美人だってもてはやされていたけれど」
「私も、じゃなくていいじゃん。私は美人、でいいじゃん。巻き込まなくていいじゃん」
北条が床に伏した俺の顎を掴み、顔を上げさせる。それだけで何故か感嘆の声と黄色い悲鳴が響いた。
「自覚しなさい。貴方は美しい。そして可愛らしい。私が嫉妬してしまうくらいに」
「ち、違う……そんなこと……」
「だって中学の学園祭で……」
「や、やめろ、言うなっ! やめてくれっ、それだけはっ!!」
「青海君……?」
それまで黙って見守っていた前田さんが、流石に俺の動揺っぷりに動揺したのか、声をかけてきてくれる。女神かよ。助け出してくれ……!
「あの、北条さん? 青海君、流石に嫌がって……」
「前田さん、彼、凄く可愛いでしょう?」
「うん、可愛いっ」
一点の曇りもなく食い気味にっ!!! 女神だと思っていた前田さんは一瞬にして北条側に回った。
「ちょっと、1位」
夕霧さんっ!!
「リトルガール、貴方も思わない?」
「……リトルガールというのはやめなさいよ。あたしは夕霧彩乃っ!」
「そう、ごめんなさい夕霧さん。名前を知らないものだったから。ちなみに私は1位でなく北条水希……よろしくね? ところで貴方、青海君の友達?」
「と、とも……だちという程ではないけど、なれるとは思ってるわ」
う、嬉しい……そんな風に思ってくれてるなんて。この状況じゃなかったら感涙してたかもしれない。今は全く別の意味で泣きそう……ていうか、もう半泣きだ。
「なら知っておいて損は無いわ。彼の輝かしき栄光を」
「栄光……?」
「いや、マジでやめ……むぐっ!?」
俺の抵抗を許さんとばかりに手で口を塞いでくる北条。なんでこれだけの意思がこいつに……ていうか前田さんも夕霧さんも最早止める気配なんて見せず北条の言葉を待ってしまっている!?
「忘れもしない中学3年の秋……私たちが通っていた矢坂第三中学の学園祭でミスコンが開催されたの」
「ミスコン?」
「どこにでもある普通の公立中学校よ? 学園祭なんてのも地域交流の一環で大それた規模なんてなかった。ただ、生徒達の要望が強すぎて学校側も重い腰を上げたの。他校からも見物者が集まる中々の盛り上がりだったわ」
ああ……今でも思い出す。期待に満ちた同級生、後輩たち、そして教員、保護者、その姿を……その視線を……。
「ミスコンといっても自己推薦でなく人気投票からのほぼ強制エントリー制だったわ。当然私も選ばれた」
「当然ね……それであんたが優勝したって話?」
「残念ながら私は準グランプリだったわ」
「え、準……? ということは……」
「ええ、1位は彼」
ああ、もう嫌だ。やり直させてくれ。そうしたら今日学校に来ずに引きこもったのに。
だが、あえて心を鬼にして振り返るのであれば矢坂第三中学第一回ミスコンテストは俺の人生の中で一番の黒歴史だった。
なぜか当然のように人気投票で上位にランクインさせられた俺は、そこで強制的に女性もの水着を着させられ、その上にエプロンを羽織らされ、必死で股間を小道具のお盆で隠し、寒空の下涙を堪えて時間が過ぎ去るのをただただ祈っていた。それだけでも死ねるのに、あまつさえ他校からも客が訪れるほど美人と名高かった北条をさしおいてグランプリに選ばれたときは、もし小道具がお盆でなくナイフだったならば自ら腹を切って自害をしていただろう。
「あれが衆人環視の下で明確に突きつけられた初めての敗北だった……その時私は悟ったの。彼こそが好敵手。私のラブコメに欠かせないライバルだって」
「ラブコメ……? いち……北条さん、あんた何言って」
「彼は私と一緒にラブコメのような高校生活を送るの! キラキラに輝いて、充実して、誰しもに語り継がれるような素敵な日々を! 入学、クラス分け、そして席順っ! あらゆる結果がそれを後押ししてくれている……これは運命なのよ! 彼にヒロインをやれとラブコメの神様も言っているんだわっ!」
そんな北条の言葉を最後に俺は抵抗をやめ、自席に戻り力なく机に項垂れ伏した。そんな俺を見て流石に哀れみを感じたのか、クラスメート達、そして野次馬が散っていくの気配で感じながら。好奇の視線だけはビンビンに伝わってきていたけれど。
そして、どれくらい時間が過ぎただろう。
――どうやら少しやりすぎてしまったみたい。少し目立ってしまうだろうから、私は先に教科書貰って帰るわね。それじゃあ……また明日。
また明日、という部分を強調させ、そんなことを耳元で囁き帰っていった北条。きっと全てあいつの思ったとおりに進んだのだろう。俺はピエロだ……女形のピエロ……。
――その、青海君? 私は、その、いいと思うよっ。全然変じゃないし、むしろ羨ましいくらいで……! じゃ、じゃあね!
前野さん、違うよ。君は女子、俺は男子。価値観が全然違う。可愛いと言われても嬉しくないし、羨ましがられても余計辛くなるだけ……。
――青海、俺はいいと思うぜ。また……フッ、明日なっ!
死ね。誰だよテメェ。カッコつけてんじゃねぇ。死ね。
「はぁ……」
「あ、起きた」
「え……夕霧さん?」
「でっかい溜息ねぇ~」
もう誰も居ないと思った教室で、夕霧さんだけが俺の前の席に座って残っていた。彼女はぽちぽちと今時ガラケーをイジりながら優しげに笑う。
「どうして……?」
「うーん、だってあんたと一緒に帰ろうと思って来たから。まったく、あんたが落ち着くの待ってたせいで随分遅くなっちゃったじゃない。ほら、さっさと起きる! 教科書もらいに行かなきゃいけないんだからっ!」
「え、あ、おう」
有無を言わせぬ夕霧に俺はただただ圧されつつ、慌てて鞄を背負う。
「あの、夕霧さん」
「なによ」
「なんか……ごめん」
「なんで謝んのよ」
「いや、騙してたみたいで気まずくて」
「そっ。それなら受け取っておくわ。気にしてないけど」
夕霧さんはそうけらけらと笑う。入学式前の攻撃的な感じから鑑みると、気を遣われている感は否めない。
「本音を言うと、ちょっと嬉しかった」
「え?」
「ほら、あたしこんな見た目でしょ。青海も小学生みたいだーって思ったでしょ。分かってんだからね?」
「いや……」
そりゃあ小さいと思ったけど、小学生とまでは思っ……たかもしれない。
「ほら、嬉しかったのは、同じ悩みを共有できる相手だと思ったから。見た目から勝手な印象押しつけられてるのあんただけじゃないのよ?」
「夕霧さん……」
「あんたがそれ察して、普通に接してくれたの嬉しかった。そーいう事情があったとは思いもしなかったけど」
「う……」
からかうように夕霧さんが口角を上げる。顔をイジられるのと気遣いがバレるので恥ずかしさのダブルパンチだ。俺は死ぬ。
「しょうがないから、あたしが友達になってあげるわ。だから、さんってつけるのも禁止。分かった?」
「……そういやさっき、友達になれるかもって言ってたよな」
「そりゃちょっと話しただけだもの。そう簡単に友達になれるなんて思わないでよねっ」
なんだか変なツンデレみたいに夕霧さんはそういって舌を出す。その行動がちょっとロリっぽいって思ったのは言わないことにしよう。
しかし友達……友達か。初めてではないけれど、久しぶりの感覚だ。
俺達は遅れてきたことで少し先生方から叱られつつ、無事教科書を手に入れるとその足で昇降口に向かう。
「青海は電車?」
「ああ、電車で1時間くらいかな。夕霧は?」
「あたしは歩き。青海、あんたカワイイんだからチカンには気をつけなさいよぉ?」
「うっせ。お前こそショージョユーカイなんてことにならないようにしろよ……って、マジで送った方がいい?」
「途中から本気で心配してんじゃないわよっ! あたしにはこれがあるからいいのっ!」
夕霧は鞄につけたキーホルダーを見せつけてくる……ってこれ防犯ブザーじゃねーか! 画面のないたまごっちだと思ってた。なんだ、画面のないたまごっちって。
「そういうあんたこそ、いざチカンに襲われたらどうすんのよ」
「キンタマ蹴り潰す」
「あんたこそ本当に男子……?」
うっせーやい。電車の中で男物のズボン履いているやつのケツに手を伸ばしてくる変態野郎の遺伝子潰してやってんだ。平和維持に貢献したとかで表彰されたっていいくらいだいっ!
なーんて、本当はそんな過激なことをせず、即逃げ決め込んでるんですけどね。ただそれを伝えるとマジで痴漢にあった経験があるとバレるので黙っておいた。