第4話 北条水希は入試1位で美少女で、少し変
ぼけーっとしつつ、顔だけ挨拶をしている生徒に向け、挨拶が終われば手を叩くという人形と化した俺。早く帰りたい以外に感想はない。
まぁポジティブに考えれば何か大きな失敗をやらかしたというわけではないし、印象なんてものも話すようになれば覆る。いつかは笑いの種にもなろう。……なるよね?
問題は依然として超ビッグ友達グループの存在……なのだが、生徒達の自己紹介を聞いていると同じ出身中学の生徒はいるにはいるが、大勢が同じ中学、みたいなものは無かった。内輪乗りみたいなのもあまりない。中にはふざけて滑るお笑い型陽キャもいあけれど。
ただ、そんなんだって入学式直後に巨大グループを結成できるような規模ではない。となると、後方に生徒達が固まっていた理由は……?
「よし、次で最後だな。っと、お前は……まぁ、寝てた奴もいるかもしんねぇし、頼むわ」
「はい」
空気に染み込んで浸透していくような、そんなよく通る真っ直ぐな声。スピーカーを通し電波変換されたものよりも遙かに透明度を持つその声は一瞬で教室の空気を塗り替えた。
そうか、入学式直後、いきなり注目を集め囲まれていたのはお前だったのか。
彼女は俺とは対照的な位置、光の射し込む窓際最後列にいた。そういう演出のためかと思えるような僅かに開けられた窓の隙間から吹き込む風で長い黒髪が揺らめく。日の光が美しく儚げな表情を照らす。写真展の額縁の中に飾られていそうなその姿に生徒達が見とれる中、彼女は対角線上にいる俺の方へ目を向けつつ、口を開いた。
「北条水希です。出身校は、矢板第三中学」
矢板第三中学。俺と同じ出身校。そう、俺は北条を知っている。友達というわけではなく、同じクラスになったのも一度だけ。友達どころか知り合いかさえ分からない間柄だ。いや、俺は知っているけれど。
彼女は中学でもかなりの有名人だった。美人、優秀、さらにお家柄もいいらしい。何人もの勇者が告白に挑み返り討ちにあったという話も聞いた。例外なく、冷徹に一片の容赦さえなくフられたらしいけど。
だが、まさか彼女がこの学校に入ってくるなんて夢にも思わなかった。
北条は孤高の女王様だ。誰かと仲良く談笑している姿など見たこともない。噂だが、彼女が地区制の公立中学に入学したのだって、家から近くて受験の手間がないからだという。
彼女は優秀で近栄にも当然受かる学力の持ち主だったが、地元から遠いここを選ぶなぞ思うはずもない。
まずい、実にまずい。彼女がもしも俺を覚えていれば。“あの一件”を根に持っていたりすれば……俺がわざわざ遠いこの近栄高校に入学した意味が無くなってしまう。
「趣味は……特にありませんが、高校に入学したら叶えたい夢がありました」
生徒らが聞き入る中、北条は僅かに表情筋を緩ませた笑みを浮かべて言った。
「私の夢はラブコメのような学園生活を送ることです」
ラブ……コメ……? きっと先生を含め、この教室の人間全てが同じ疑問符を頭に浮かべただろう。当然"オナチュウ"である俺だって、いや、俺だからこそ、あの北条水希がそんなエキセントリックなことを言い出すなんて思いもしなかった。
全員が固まり、その言葉の詳細な説明を望むような熱視線を向けている。
しかし北条はそんな視線も全く感じないかのように、「よろしくお願いします」と自らの挨拶を早々に切り上げ、何事も無かったように席に座ってしまった。
なんだろう、この違和感は。なぜ趣味を言うタイミングで夢なんてもんを言い出したんだ? なにか意味があったのだろうか。それこそ、悪目立ちといっても過言ではない余計な注目を集める意味が。
「お、おお……これで全員終わったな、ありがとう」
終わってしまえば一人の自己紹介を深掘りすることなどできるわけもなく、先生は生徒の自己紹介パートを終わらせる。誰もが北条の挨拶に気を取られたままだろうけど。
「うん……じゃあ早速席替えをします」
「えっ! 席替えですか?」
「自由に座らせたままにするわけないでしょ。このままだと出身中学で固まっちまうし、交友も深まらない。名前順ってのも逆に覚えられないだろ、マルマルくんの前の席のバツバツちゃん、みたいなさ」
そう言いながら先生は教壇の上に箱を置いた。投票箱のような出で立ちのそれは、この状況だと一つしかない。
「というわけで、これからくじを引いて貰います」
「えーっ!?」
何人かの生徒から悲鳴が上がる。殆どが窓際後方を陣取っていた生徒によるもの。さらにその内最も大きな声を上げた男子生徒、北条の隣の席に座っていた男子生徒が勢いよく立ち上がった。
「そりゃないっすよ先生! 折角この位置取ったのに!」
「ええと……お前は……」
「國本ですっ! 國本清人! 今自己紹介したばっかっすよ!?」
「ああ、そう國本な、國本。それで、その席がなんだって?」
「いや、そりゃあだって……ほら、水希もなんでって思うだろ!? 折角仲良くなったのに!」
國本くんはそう、隣の席の北条に気安く声をかける。しかも名前で。明らかに北条の隣の席というポジションにこだわってのものというのは誰の目にも見て取れたし、不満の声を上げた生徒はおそらくそれが理由なのだろう。謎のラブコメ発言もそこはマイナスには働いてはいないようだ。
しかし、北条と仲良くなったって……本当かよ?
話を振られ、北条はちらっと國本くんを見る。対角線上からでも彼女に彼への興味が無いというのははっきり分かった。むしろここまで人って人に対する興味を消せるものなのかとゾッとしさえする。
「水希、ラブコメみたいな高校生活送りたいんだろ? 俺とやろうぜ、ラブコメ!」
「……」
聞きようによっては茶化しているとも思える発言。というかそうにしか聞こえない。
北条があの自己紹介を冗談でやっていなければ嫌われてもおかしくない言動だが彼にそんな意識は無いのだろう。もしかしたら本気でそのラブコメの相手とやらに志願しているのかもしれない。
だが、北条は俺の知る限りそうそう冗談を言わないタイプだ。特に身を削って笑いや失笑を取りに行くタイプじゃない。だからこそ俺も驚いたわけで。
「そう……」
その小さな呟き一つで、彼女の機嫌が斜めだと感じさせるに十分だった。
底冷えするような声というのはこういう声のことを言うのだろう。おそらく教室でただ一人だけ、返事をして貰えたという事実に浮かれているっぽい國本くんだけ気が付いてない。ご愁傷様……。
「それじゃあコメディを試させて貰えるかしら。そうね、今すぐこの窓から飛び降りてみてくれない?」
「え?」
「大丈夫。コメディの世界なら日常茶飯事よ。骨が折れても次のページには治っているもの」
あからさまな作り笑顔でそう言う北条は悪魔にも見えた。それはそれで蠱惑的で魅力的な笑顔なのだが。
「北条、あまり過激な発言は先生として看過しづらいんだが?」
「ふふっ、冗談ですよ。彼が冗談を仕掛けてきたので、打ち返してみただけです。ああ、勿論私も席替えには異存はありませんので」
そんなどこからどこまでか分からない冗談を言いつつ、北条が話を戻す。そして國本くんはあえなく撃沈した。
「ま、いくら文句を言われても決定事項だからな。それじゃあ順番に引きにこい。えーっと……お前から、な」
名前を思い出そうとして、それでも思い出せず俺を指さす先生。覚えられないなら名前順で座らせた方がいいんじゃないかと、そう思ったのは多分俺だけでは無かったに違いない。